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楽団員紹介

インタビュー 小谷 康夫(ティンパニ首席奏者)

2018-02-26
小谷 康夫(ティンパニ首席奏者)
— 楽器を始めたのは。

小学校5年生の時の鼓笛隊で、最初は打楽器ではなくトランペットでした。親がピアノの教師だったので3歳からピアノは習いましたが、反抗期に入ると嫌になっていました。それが、電子オルガンをしたら面白くって、その頃に解散直後だったビートルズを好きになったんです。赤盤と青盤(ベスト盤)、それから『ホワイトアルバム』ばっかり聴いてました。“レット・イット・ビー”は好きでしたね。それで鼓笛隊での担当が、途中でなぜかラッパから太鼓に変わったんです。この時点ですでに音楽で職業に就きたいという気持ちがありました。中学校で吹奏楽部に入ると、またトランペットだったんですが、電子オルガンを習いに行きながら、ドラム・セットを始めました。それでロックにはまったんです。「ディープパープル」命ですよ。高校の吹奏楽部でも最初はトランペットだったんですが、すぐにパーカッションがやりたくって変わりました。その後、音楽大学を受けたいということになって、マリンバを始めたというわけです。

— そこから演奏家になるまでは、まっしぐらだったんですか。

大学時代に半分は教師になろうと思ってました。親の意向もあって教員採用試験も受けて合格しましたが、面接を受ける段階になって、やっぱり演奏家の道を選びました。日本管打楽器コンクールの1回目がちょうど卒業する年だったんです。実は大学の卒業試験を風疹で受けられなくなって、卒業演奏会に出られなかったことを挽回するためにも頑張って、3位に入賞できました。
その後は各オーケストラとか当時の大阪府音楽団にエキストラに行きだして、そのうちに大阪シンフォニカーに入ることになったんです。ですが、楽団が給与制になる時に自由な活動がしたくって、一旦退団しました。ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団に10数年所属の後に、再びシンフォニカーへ戻ってきました。寺岡清高さんが正指揮者になった頃です。

— 指揮者陣の中ではどなたが印象深いですか。

外山先生はミュージック・アドバイザーに就任前でしたが、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」をやった時に、第4楽章の息の止まりそうなゆっくりとしたテンポは、他の人にはまねのできない緊張感だと思いました。児玉宏さんとのブルックナーはどれも記憶に残っています。

— ティンパニの魅力を教えてください。

一番はオーケストラを動かすことができること。決め所を握っている感覚はあります。ベートーヴェン、ブラームスなんかをすると特に感じますね。若い時は大きい音でアインザッツ(音の出だし)を決めるところが気持ち良かったのですが、今はコントラバスとタイミングや音程を合わせて、響きの一体感を作るのが楽しくなりました。叩くんじゃなくて響かせる感覚が大事なんだと思います。

— 大阪交響楽団らしさとは?

音楽に対して情熱があって、実際の年齢ではなく、若い感覚を持ったメンバーが多いと思います。気が若いですね。
 
 
 
 
小谷康夫写真:(C)飯島 隆
 
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
 
~プログラムマガジン2018年度1・2月号掲載~
 
 
 
 
 
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