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楽団員紹介

インタビュー 松田 尚子(ヴァイオリン奏者)

2019-07-02
— 先日、楽団の創設者である敷島博子さんが亡くなられました。どんな思いを抱いてますか。
 
1991年に入団したんですが、私が入った頃も毎回リハーサルから顔を出されていました。いつも明るいお母さんという感じで、練習から本番まで笑いが絶えない雰囲気がありました。
 
— ヴァイオリンはいつから始めましたか
 
はっきり覚えていないんですが、母が家でヴァイオリンを教えていたので、きちんと習い出すまでは、母と一緒に家でやってました。小学校に入って基礎から初めて、相愛学園の高校音楽科、相愛大学、さらに専攻科まで、ずっと久合田緑先生に習いました。先生がアメリカから帰っていらしてすぐで、お家が通える所だったんです。毎回レッスンを録音して持って帰ると、母が楽譜に書き込みをして「これをやっておきなさい!」と。その頃から母も厳しくなったし、先生も厳しかったです。それでも大変だと思いながらも、遊びかヴァイオリンかというぐらいで、呑気な小学生でした。
 
— その後は順調に続けられたのですか?
 
小学生の時から相愛の子供の音楽教室に入ってオーケストラを始めるんですが、中学生になるとオーケストラに管楽器が入ってきて、大学生の人たちが加わるんですよ。ちょうど相愛大が共学になった頃でした。初めて知った世界で、とても楽しかったんです。尾高忠明先生や円光寺雅彦先生にも振っていただきました。できたてのザ・シンフォニーホールでも弾くことができましたね。大学時代はコンサートマスターをさせてもらいました。専攻科に1年残っていた頃、エキストラでこのオーケストラによく呼んでもらっていたんです。トーマス・ザンデルリンクさんが初めて客演で来られた頃で、ものすごく怖かったんですよ。
 
— それでオーディションを受けることに?
 
先輩に声をかけていただいて、受けました。卒業と同時に大阪シンフォニカーに入団しました。でも生活は変わらないんですよ。それまでもずっとオケで弾いていましたから。
 
— オーケストラでヴァイオリンを弾く魅力は何ですか?
 
オケで有名なヴァイオリニストの伴奏をすると、自分が一人で演奏する上での未熟さに早い時点で気がつきましたが、オーケストラってみんなの力じゃないですか。集合体となって一つの曲を作り上げる面白さがありますね。
 
— 印象に残る本番はありますか?
 
それぞれなんですよね。中でも児玉宏さんとブルックナーの交響曲を毎年一つずつできたのは、喜びでした。それまでは《第4番》しかやってこなかったし、大きいオケじゃないから全部できないとも思っていましたから。児玉さんはリハーサルの仕方も特有のやり方があって、新鮮でした。
 
— もしヴァイオリンじゃなかったら何の楽器をやりたいですか?
 
うーん、そうですねぇ…、ホルンかな。音が好きなんですよ。
 
— これまで在籍されてきて楽団の変化は感じますか?
 
私が入った時は年齢差がそれほどなかったんですが、今は幅広い年齢構成になりましたから。それが普通ですけど。関西以外の出身者も増えましたし。変わりましたねぇ。ある意味、スマートになったのかなぁ。でも、皆んな和気あいあいと仲良いですよ。いつも笑ってますね。
 
 
 
松田尚子写真(C)飯島 隆
 
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
 
~プログラムマガジン2019年度7・8・9月号掲載~
 
 
 
 
 
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