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楽団員紹介

インタビュー 吉岡 克典(ヴァイオリン奏者)

2019-07-02
— ヴァイオリンはいつから始めましたか
 
3歳になる前でしたが、実はヴァイオリンには興味がなくて、小中学校はずっとサッカーをやっていました。高校へ行く時に、ヴァイオリンをやるなら音楽科があると言われ、初めて将来のことを考えます。弾いたら、ほめられるのは嬉しかったし、巧けりゃなんとでもなる。それでも、高校に入ったら、井の中の蛙でした。先輩に小中高と全国大会で1位だった人がいたんです。その人が一日6時間練習すると言うんで、やってみたら何をしたらいいのかわからなかった。
 
— 転換点はありましたか
 
賞を取りたいと思った時に変わったように思います。先生に人の真似をするなと言われていました。「何が悪いねん」と思ってたんですが、1年生で出たコンクールで出場順が2年生と3年生にはさまれて、「やったれ」と思って弾いたのを評価してもらったのが、きっかけです。この時は予選を通ったのですが、先生には「通っても本選には出さない」と言われて、本当に出してもらえませんでした。反骨心もあって、2年の時に大阪大会で3位、3年の時に1位になりました。そこからですよ(笑)
 
— 高校を卒業して、どうしましたか
 
ヨーロッパの音楽だから、現地で習わないとと思ったんですが、半ば強制的に東京芸大を受験。実技はできたんですが、ピアノで落ちました。「これでヨーロッパに行ける」と思ったら、もう1年受けろとなりました。敷かれたレールから逃げることしか考えていませんでしたね。桐朋学園に行きたかったって先生に言って、自分で江藤俊哉先生に手紙を書いたんです。それで桐朋学園のディプロマコースに入りました。でも知り合いが誰もいない。学校も行かずにレッスンだけ行っていたんですが、しばらくして、江藤先生が倒れられてしまいました。それで、やる気がなくなってしまった。
 
— その後は?
 
ヴァイオリンやめて、働こうとも考えました。でも祖母に一度も聴かせてないと思って出た新人演奏会で弾いたら、やっぱりヨーロッパへ行きたくなりました。1ヶ月の間に決められるならという条件でチェコに行かせてもらいました。大阪の八尾市出身なので土臭いのが同じだと思って。それでプラハ音楽院でヴァイオリンのレッスン室を教えてもらって、パヴェル・クデラーセック先生に決めました。ヴァイオリンの持ち方から直してもらったんですが、2年もたたない、これからっていう時に、父が病気になって帰国します。
 
— それで仕事はどうしましたか
 
弾けるようにはなったけど、どうやったら弾ける場所が得られるのか、わからなかった。習っていた先生のリサイタルに行ったら、後輩に「今度オーディションがあるし、エキストラにも来てよ」と言われて、受けてみたんです。それで入団することになりました。オーケストラは高校の授業で少しやっただけで、右も左もわかりませんでしたが、一人では学べないことが、沢山あります。最近はアウトリーチやワークショップをやる機会が多くって、こうした裾野を広める仕事は自分の役目。好き勝手やってきた自分だからこそ、伝えられることがあるんです。
 
 
 
 
吉岡克典写真(C)飯島 隆
 
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
 
~プログラムマガジン2019年度4・5・6月号掲載~
 
 
 
 
 
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