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楽団員紹介

インタビュー 永嶺 貴洋(ヴァイオリン奏者)

2022-05-30
― 大阪交響楽団に入ったのはいつになりますか?
 2004年に入団しました。アメリカでオーディションのことをネットで見つけて、時差ボケの中で受けました。関西には縁もゆかりもなかったんです。幼少時が千葉で、中学から東京育ちでした。
― ヴァイオリンを始めたきっかけは何だったのですか?
 父が小さい時に習うはずだったのが、レッスンから逃げ出してやらなかったんですよ。子供にはぜひと考えていて、5歳で始めることになりました。「あごに楽器をはさんで、譜面台のまわりを一周してごらん」と言われたのを覚えています。10歳の時に東京で桐朋学園の先生に習うことになりました。そこからですね、ちゃんとやり始めたのは。悪いくせを全部とって「きらきら星」からやり直しです。でも、そのうちに教室のなかで、どんどんうまくなって順番が上がっていくのが面白くなって、中学3年の時に学生音楽コンクールで初めて入選しました。その時、1位だったのは諏訪内晶子さんでした。
― そのまま音楽高校に進まれました。
 高校は桐朋学園だったんですが、とにかく男子が少なかったですね。かなりひねくれていたと思います。その後、同じ学校の大学に進みました。大学で先生が替わって、和波孝禧先生についたんですが、その頃、オーケストラは好きじゃなかったんです。卒業したらどうしようかと思っているところに、「アメリカに行かないか」と言われました。和波先生がサイトウ・キネン・オーケストラで一緒だった安芸晶子先生に声をかけてくださって、エール大学へ行くことになりました。英語は行けばなんとかなると思ったんですが、ほかの単位は全部そろったのに、英語の試験に受からず、修了できませんでした。しかたないからボストンの友達のところに逃げ込んで、今度はボストン大学の先生に聴いていただいて、移ることになったんです。その後、シカゴ交響楽団のトレーニング・オーケストラであるシカゴ・シヴィック交響楽団に受かって、シカゴには3年いました。でも同時多発テロもあって、なかなか滞在も難しくなり、日本に帰ろうと思ったんです。
― オーケストラには興味が持てたんですか?
 ボストンでオーケストラ・スタディを勉強して、ようやく「こういう風に弾けばいいんだ」って思えるようになりました。シカゴで出会った森悠子先生に呼ばれてエキストラに行ったのが、先生が主宰されている長岡京室内アンサンブルでした。アメリカかヨーロッパで仕事をしたいという希望があったのですが、「一番いいのは、日本に帰ることです」と森先生に言われてすごくショックでした。それでも京都に来た時、ちょうど祇園祭の真っ最中で、関西っていいなと思ったこともあって、大阪交響楽団のオーディションを受けることにしました。戻るんだったら、絶対受かってやろうと、人生で一番練習しましたね。
― それで当時は大阪シンフォニカー交響楽団だったこの楽団に入ることになったんですね。
 アメリカとは、オーケストラでの色々な習慣が違って戸惑いました。今でも慣れていません。いわゆる「オケ弾き」ってないと思っているんです。オケは最大人数の室内楽です。合わせることばっかり考えてないで、一つ一つの音に神経を注ぎたい。すべての音に血が通っていないとだめなんです。
—印象に残る本番はありますか?
 ジェラール・プーレさんがサン=サーンスの《ヴァイオリン協奏曲第3番》を弾いたことがあったんですが(第118回定期演奏会・2007年6月22日)、大胆なんだけど正統的で、派手ではないけど訴えかけられる演奏でした。


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