インタビュー 阿部 竜之介(トロンボーン首席奏者)
2020-08-05
— 楽器を始めたのは、いつからですか?
中1の時に、それまでは剣道少年だったんですが、姉の影響でユーフォニアムを始めたんです。アメリカの大学に行くつもりだったんですが、フランスで行われたコンクールで、テューバの演奏レベルの高さに愕然としました。その人たちを教えた先生と話す機会があって、その人に習おうと。正直、当時トロンボーンは持って行くのかも迷っていたぐらいです。本格的にトロンボーンの勉強を始めたのは、21歳でフランスに留学してからでした。
— フランスはどこの街に行ったんですか?
ペルピニャンという地中海沿いのスペインとの国境に近いところでした。海も山もある快適で最高の場所です。トロンボーンでオーケストラの醍醐味を味わいながら、ソリストとしてユーフォで活動できればという夢がありました。先生にはトロンボーンをユーフォの2倍練習しろと言われて、その通りにしました。
— どちらかを選んだわけじゃなかったんですね。
よく、どちらがメインなんですか?と質問されるんですが、きついのを承知で両方の道を選びました。1998年から2002年までがフランスで、その後1年間、ドイツのライプツィヒでプロの吹奏楽団でユーフォ奏者として在籍しました。次がハンガリーです。ニーレジュハーザという街で教えることになったんですが、ハンガリーがEUに加盟してすぐで、フランスの音楽院で取ったディプロマの扱いのルールが決まらず、宙ぶらりんな状態でした。サボルチ交響楽団というところで、トロンボーンを吹いていたんですが、コンサートの数は少なかったんです。
最終的に就労ビザが取られなくて、日本に帰ってきました。珍しいと思うんですけど、6年間ヨーロッパにいて、色々な体験を実際に現場に身を置いてできたのはよかったです。
— 日本に帰ってきて、どうしましたか?
出身地の松山を拠点にしました。学校の吹奏楽部の指導が多かったのですが、あとは個人レッスンと、フリーランスとしての活動です。トロンボーンでエキストラの仕事も少しずつあったんですが、日本のオーケストラでの経験がなかったので、仲の良い友達から色々と習慣なんかを教えてもらいました。2015年に大阪交響楽団のオーディションを受けて、入団することになります。
— すぐに楽団へは馴染めましたか?
今になって、みんなオケに入って慣れるまで大変だったという体験を聞いて、自分だけじゃなかったんだと思いました。自分を活かしながら、どう位置付けをするのかを、色々なメンバーに助けてもらって、ようやく楽しめるようになってきました。フリーランスの時間が長かったからだと思うんですが、演奏に集中できる環境があることに、まずは感謝しなきゃいけない。それを忘れちゃいけないと思うんですね。
今までの人生で戻りたい時はありません。その時その時を必死でやってきたので、絶対、今がうまくいっているという感覚があるんです。一回一回のコンサートは聴いている人にとっては唯一なので、あまり過去には浸らないようにしています。生徒にもウォームアップだからって適当に音を出さないでって言っています。吹き直すって良くないんですよ。今が最高になるように、いつ出した音が自分の最後の音になっても後悔しないようにしています。
阿部竜之介写真(C)飯島 隆
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
~プログラムマガジン2020年度8・9月号掲載~