インタビュー 潮見 裕章(テューバ奏者)
2019-07-02
— 先日、楽団の創設者である敷島博子さんが亡くなられました。どんな思いを抱いてますか。
僕らがオーディションを受けていた時代は、当時の指揮者のトーマス・ザンデルリンクさんや本名徹次さんと一緒に代表(敷島博子さん)も聴いていらっしゃったんですよ。エキストラで呼んでいただいた時代からお世話になっていますから、恩義を感じて1999年の入団以来、20年間やってきました。
— テューバはいつから始めましたか。
中学校1年生からです。吹奏楽部に入って始めました。小学校では空手の道場に通ってたんですが、一緒にやってた友達に誘われてクラブの見学に行ったんです。その日が部活を決めなくちゃいけない日で、顧問の先生の部屋でやりたい楽器を一人ずつ言うんです。友達は「アルト・サックスに決まった」って先に出てきて、さあ僕の番です。部屋に入ったとたん「おう、お前はテューバ、もうええで!」と2秒ぐらいで決まってしまいました。当時から体が大きかったんですね。
— 実際に楽器を触り出して、どうでしたか。
テューバという名前すら知らなかったんですが、音楽の面白さを教えてくれる先生だったので、友達と一緒に演奏する楽しさを感じることができました。高校に入るとテューバ専攻だった音楽の先生がいらっしゃって、音大を受験したいという相談もできました。僕は兵庫県相生市の出身なんですが、隣町の龍野で開かれた吹奏楽のクリニックを受講した時に、京都市交響楽団の武貞先生を紹介してもらって、音大受験の準備を始めました。その後、大阪音楽大学の短大に合格しました。浪人も考えたんですが、短大を出て編入試験を受ける道を選びました。もともと学校の音楽の先生になるつもりだったんですが、在学中に先生方の紹介で仕事で使ってもらうことが増え、プロのオーケストラでの本番に向けての積み重ねや、金管五重奏でアンサンブルの楽しさを経験し、その中でプロを目指したいという気持ちが芽生えてきたんです。大学を卒業して、3ヶ月だけドイツのミュンヘンで勉強しました。その後、フリーランスの仕事をたくさんいただき、大阪音大でも非常勤教育助手というのを3年して、その任期満了時に、このオーケストラのオーディションに合格できたんです。
— オーケストラの中でのテューバの魅力は?
『バビル二世』のロデムみたいに何でも姿を変える楽しさを感じて演奏しています。トロンボーン・セクションと一緒に行くぞと「ドーン」となったり、コントラバスとだと「ブーン」となる。オケ全体が鳴っている時でも、テューバは独立して聞こえやすいと思うんですが、それをいかにテューバの音でないように吹くにはどうするのか、その逆ならと、一人で色々とオケの音を変えられるというのが面白いです。
— 印象に残る本番はありますか?
いっぱいあるんですが、外山雄三先生とのチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」でしょうか(第208回定期演奏会、2017年2月22日)。自分が望んで出しているのでも、させられているのでもない空気感の中で、そうとしか吹けない音がひねり出されて、演奏していて「ゾゾゾゾ」と来ました。児玉宏さんとも命令されているわけではないのに、その通りに演奏してしまうという感覚がありました。僕自身が吹奏楽の指揮をするので、とても興味があります。指揮というのは、その人のバックグラウンド、人生で経験したことが勝手に滲み出る部分があると思うのですが、この二人からは強くそれを感じました。
潮見裕章写真(C)飯島 隆
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
~プログラムマガジン2019年度7・8・9月号掲載~