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楽団員紹介

インタビュー 岡本 伸一郎(アソシエイトコンサートマスター)

2019-07-02
— アソシエイトコンサートマスターとはどんな役割なのですか?
 
私の場合は3つ役割があります。コンサートマスターを務めることもあり、コンサートマスターの隣にアシスタントとして座る場合もあります。また、前の席にコンサートマスターが二人並ぶ時は、その後ろのプルトに座ります。アシスタントの席ではコンサートマスターが何を考えているかを察知してサポートし、共に実践することに尽きますし、後ろの席では、前の二人が感じていることを後ろのプルトへ如何に正確に伝えていくかということになります。
 
— 入団はいつですか?
 
試用期間を含めると2016年9月からですから、3年目に入りました。それ以前から客演奏者としてこのオーケストラでは演奏してきましたが、最初はtuttiで、その後にセカンド・ヴァイオリンの首席として呼んで頂いていました。その都度やるべき事が変わっていきました。
 
— ヴァイオリンを始めたきっかけは?

実は生まれながらに心臓の疾患があり、大好きなスポーツには運動制限がありました。身体に負担をかけずにできることを親が考えてくれた時に、ヴァイオリンはどうだろう?ということになったんだと思います。4歳で始めました。楽しくなり出したのは高校に入る前ぐらいです。県立西宮高校の音楽科だったのですが、中学生の時に受けたコンクールで、今は同僚の吉岡克典君と出会いました。それまで自分の周りで男性でヴァイオリンをやっている人がいなかったので、とても親近感を覚えました。高校で再会してそこからですね。二人で色々な音楽を聴き漁り、楽譜を買い漁りという生活でした。
 
— それで音楽大学に行かれます。
 
大学に行く少し前からでしたが、田中千香士先生に出会って師事できたことは大きな転機だったと思います。先生に連れられて、毎年のようにフランスやアメリカに講習会やコンクールを受けに行きました。そうして、広い世界を教えていただいたことがとても大きな出来事でした。
 
— 大学卒業後はどうしたんですか?
 
すぐにスイスのジュネーヴに留学したのですが、どこまで自分がこの道でやっていけるのかをずっと考えていました。田中先生には日頃から「正式な仕事に就くまでに、自分の中に沢山貯金をためておきなさい」ということを言われていたのですが、これはつまり音楽家としての技術、経験と引き出しの多さのことです。仕事を始めるとどんどんそれを使っていく生活になる。すぐに底をつくような未熟なことではいけない。色々なものを自分の中にためておけということでした。スイスには9年いて、ジャン=ピエール・ヴァレーズという、田中先生がパリ留学時代に同級生だった方に指導して頂きました。音楽家としても師としても素晴らしい方です。
 
— 日本に帰ってくるきっかけはあったのですか?
 
2009年に田中先生が亡くなられたのですが、その1ヶ月前に一時帰国して先生とお話した時に、「日本に帰ってくるのも一つの選択肢だよ」と言われたんですね。留学する時は「向こうで骨を埋めなさい。帰って来てはダメ」と仰っていたのに。この時今まで話した事のない話を沢山する中で、自分も大人になってやっと本音で師匠と話ができたように感じました。ビザの更新も難しくなっていたので、帰るなら今だと思いました。家族のこともあって、関西に戻って仕事をすることにしましたが、人との出会いと、その後の良い関係を続けることができたご縁が膨らんで、今、この大阪交響楽団にいるのだと思います。お二人のコンサートマスターがいらっしゃる中で、そこから学んで自分ならどうするのかを常に考え、模索しているところです。
 
 
 
岡本伸一郎写真(C)飯島 隆
 
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
 
~プログラムマガジン2019年度1・2・3月号掲載~
 
 
 
 
 
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