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楽団員紹介

インタビュー 孫 宝徽(チェロ奏者)

2018-12-21
孫 宝徽(チェロ奏者)
̶ 入団はいつですか?
 
 1995年からです。台湾から留学で来ていた時でした。音楽ではなかったのですが、妹が先に留学で大阪に来ていました。私は先輩に大木愛一先生を紹介してもらい、先生が教える大阪教育大学の大学院に入ったのです。その後、大阪シンフォニカーにエキストラで来るようになりました。
 
̶ その頃はザンデルリンクさんが音楽監督・常任指揮者の時代ですね。
 
 そうです。ブラームスが印象に残っています。彼はトレー ナーでした。私は新人でしたから、まだまだ皆さんについていくのに必死でした。20代で入って、余裕が出てきたのは、やっぱり40歳になってからでしたね。当時は周りも誰しもが一所懸命でしたね。
 
̶ 最近、印象に残る演奏会はありましたか。
 
 カーチュン・ウォンさんが指揮した演奏会です(第218回 定期演奏会、2018年6月1日)。台湾には大勢来ていますが、 これまでアジア人の指揮者が少なかったんです。アジアの台 頭を感じられて嬉しいです。ブームも来るのかなと思いました。ウォンさんは音楽を上手に組み立ててくれましたが、技術だけでなく、人柄も良かった。無駄な説明もなく、棒の表現だけで伝わってくるものがありました。
 
̶ オーケストラでチェロを弾いていて、良かったと思う瞬間は?
 
 一体化する時ですね。一緒に波に乗って、方向性が一致した時は感動しますね。良い指揮者が来た時は、その可能性は高くなります。指揮者はキャプテンですが、それでも任せっぱなしは良くないです。自分のパートで作っていけるように心がけています。
 
̶ チェロを始めたのは?
 
 3歳からピアノをやっていたのですが、音楽の道を進む中で副科のものが必要になって、8歳の時に始めました。ところが人数の多いピアノは競争が激しく、勉強もできないと生き残ることができな かった。10歳の時に、テレビでオーケストラが演奏しているのを見て、かっこいいと感じて、オケでチェロを弾きたいと思いました。台湾では5年制の専門学校で学び、音楽大学の2年に編入する仕 組みがあります。とにかく「継続は力なり」と思って、チャンスを待ちました。台湾の音大では、オケの座り順は競争なんです。先輩後輩関係なく、期末の試験で変わるんです。残酷な競争です。誰も友達はいなかった。それが日本に来たら、伸び伸びできて楽しかった(笑)
 
̶ それはオーケストラに入っても続いていますか?
 
 もちろん辛い時もあるけども、やっぱり弾くことは楽しいです。自分の中では「ノーミス」を目指し たい。それでこそ、要求されたことに応えることができます。だから必ず早めに練習します。自分も満足でき、聴く人も感動できる音楽を目指していきたいです。
 
 
孫 宝徽写真 (C)飯島 隆
 
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
 
~プログラムマガジン2018年度9・10月号掲載~
 
 
 
 
 
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