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楽団員の部屋

インタビュー 増山 頌子(チェロ副首席奏者)
2024-04-26
一楽器を始めたのはいつだったんですか。
父が読売日本交響楽団のコントラバス奏者で、母がアマチュアでチェロを弾いていて、5歳で自然とチェロを始めました。子どもの頃はグレン・グールドが弾いたバッハの<ゴールドベルク変奏曲>を聴くのがすごく好きでした。母が毛利郎先生に習っていて、父の同僚でもあったので、私も20年間ずっと毛利先生に師事しました。
幼稚園の時の七夕の短冊に「チェロのオーケストラになりたい」つて書いたことがありましたね。勉強も好きだったんですけど、中学生の頃にはチェロ以外の道に行かれないかなとは思っていました。

ーこれまで挫折はありましたか?
途中でやめたいと言ったことはありましたし、大変なこともありました。でも「向いてないな」と思った次の日には「弾いてないとまずい」となって、ずっと続けてきました。幼稚園の時から桐朋学園の音楽教室に通って、高校、大学、研究生とずっと桐朋です。その研究生の2年目に大阪交響楽団のオーディションがありました。少し他のオケのエキストラにも行っていましたが、割合早い時期にオーディションに受かることができました。逆に言うと、まだ右も左もわからない状態で入団したわけです。2016年で、外山雄三先生がミュージックアドバイザーに就かれた年でした。初めて大阪で暮らしましたが、皆さんおおらかで明るいし、それぞれの個性を認め合っているように感じました。

ーこれまで大阪交響楽団で演奏されてきて、一番印象に残っているのは?
外山先生の〈悲愴〉です(チャイコフスキー「交響曲第6番」、第208回定期演奏会・2017年2月22日)。出だしとか、最後とか、そこをお振りになっている時にエネルギーの気迫が伝わってきて、こんなに黒く濁った暗い感情の表現があるのだなと圧倒されました。

ーオーケストラでのチェロの役割、そして、チェロを弾いていて良かったなと思えたことは何でしょうか?
オーケストラの中でコントラバスやティンパニ、そして金管楽器とともに、土台をつくって運んでいく部分が大事だと思っていて、それと同時に弦楽器や木管楽器と混ざって、その間を埋めたり、一緒にメロディを歌ったり、いろいろな役割ができるところですね。リハーサル、ゲネプロへと進む中で、メンバーの意識が集まって、一つの大きな流れになって動き出す時が、オーケストラでチェロを弾く醍醐味です。少ない人数では出し得ない大きなエネルギーがあるんです。

一大阪交響楽団の魅力って?
温かい人が多いんです。「出る杭は打たれる」ようなことはありません。音楽的に光る特徴を持ったメンバーが多くて、本番の集中力をいつも周りから感じて演奏しています。お互いを尊重して鼓舞し合う関係でいられるオーケストラだなと思います。ご自身の経験を惜しげもなく伝えてくださる先輩が多くて、ありがたく感じています。

ーこれからどんなチェロ奏者を目指されたいですか?
オーケストラの音楽性を盛り上げて、引っ張っていくのと同時に、副首席奏者として他のパートの皆さんと一緒に音楽をしていきたいと思っています。首席の意向を汲みつつ、付いていくだけではなくて、周りのこともキャッチしつつ、後ろのことも気にかけて、二頭立て馬車のように走っていかれれば良いですね。チェリストとしては慢心せずに、どんどん上を目指して、自分を高めていきたいです。

ー音楽以外で夢中になっていることはありますか?
食べるのも覆るのも好きです。あとは化粧品の情報を追うのが楽しいです。飼ってはいないのですが犬も大好きです。
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