インタビュー 大槻 健太郎(コントラバス首席奏者)
2024-01-07
一楽器を始めたのはいつだったんですか。
コントラバスは高校1年の時に始めたんですが、ヴァイオリンを小学1年から中学2年頃まで学んでいました。中学時代は陸上にのめり込んでいたんです。当時X JAPANやB'zといったバンドが大好きで、ギターに憧れて父と楽器店に行って買ってもらったんですけど、実はそれがエレキベースだったんです。家に帰り音を出してみると「ジャーン」と鳴ると思ったら「ボーン」と音がして「おかしいな?」と。しばらくほったらかしていたんですが、同級生がバンドをやろうと誘ってくれて。高校に入って、たまたま友達が「吹奏楽部の先輩にすごく上手いベーシストがいるから」って言うので行ってみたんです。本当に感動してしまい、すぐに入部届を出しました。
一吹奏楽ではコントラバスを弾くことになるわけですが、エレキベースとは随分違うように思うのですが。
もちろんコントラバスとエレキベースは違う楽器ですが、音の配列は同じなんですよ。そしてヴァイオリンを弾いていた経験から号でコントラバスの弦を弾く感覚も割と早くめました。音大に行ってからは、周りが小さい頃から音楽をやっている人ばかりだったので、随分と環境は変わりましたが、吹奏楽にはなかった弦楽器とアンサンブルできることも楽しかったです。中学生の頃にヴァイオリンで市民オーケストラに入っていたんですが、いままで聴いてきた曲に改めて取り組むこともできて、感動がありました。
一大学を卒業してどうされましたか?
武蔵野音楽大学を卒業後、もっと外の世界を知りたくて桐朋学園大学の研究科に入学しました。
コントラバスをウィーン奏法で学んできたので、研究科を修了後ウィーン国立音楽大学に留学しました。街に音楽はあふれているし、歌劇場ではオペラを立見で楽しむこともできました。教会をはじめ街並みも芸術的で、毎日が感動と発見の連続で、何より、ドイツ語の響きが耳に馴染んでくると音へのニュアンスやアプローチも変わっていったように感じました。帰国後は再びフリーで演奏活動を始め、オーケストラや音楽祭に出演しました。自分の先生が演奏しておられる同じ舞台で弾かせていただけたことも思い出深いです。また、新日本フィルハーモニー交響楽団で半年間の短期でしたが、契約団員を務めたのは大きな経験で、プロの現場の素晴らしさを知ることができました。
ーそんな中で大阪交響楽団のオーディションがあったんですね。何年の入団ですか。また楽団の印象はいかがでしたか?
2015年です。当時の音楽監督で首席指揮者だった児玉宏さんが指揮をする定期演奏会や名曲コンサート、アジアオーケストラウィークの公演がとても印象深かったですし、自分たちの音楽をどのようにつくっていくかというディスカッションがしやすいなと感じました。いろんなことを仲間と気兼ねなく話すことができたんです。
ー大阪交響楽団のいいところは?
全ての演奏会に情熱を注ぎ込み、お客様に楽しんでいただけるように自発的に取り組むところでしょうか。
一大阪交響楽団で印象に残る演奏会は?
外山雄三先生と2017年にチャイコフスキーの《交響曲第6番「悲愴」》を演奏した時、冒頭のコントラバスとファゴット、ヴィオラから始まるところで、自分では緊張していたんですが、外山先生の出されるオーラに魅了されてしまいました。音の重厚さが凄いんですよ。深く作品を感じることができました。