ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840-1893)
交響曲 第5番 ホ短調 作品64
興味深いことに、チャイコフスキーのいわゆる“3大交響曲”と“3大バレエ”は、それぞれペアを成すように同時期に作曲されている。それぞれ、交響曲第4番(1877)とバレエ《白鳥の湖》(1876)、第5番(1888)と《眠れる森の美女》(1889)、そして第6番《悲愴》(1893)と《くるみ割り人形》(1892)が並ぶ。このリストに、さらにオペラ《エフゲニ・オネーギン》(1878)、《スペードの女王》(1890)を加えると、各時期にチャイコフスキーを捉えていた大きな哲学的・芸術的な問題が浮かび上がってくる。自身の結婚問題を抱えていた30代のチャイコフスキーが、きわめてロマン的な愛と運命の相克に取り組んだとすれば、晩年の創作では、人生の終わりや超現実的世界との交流が中心的テーマとなっている。それでは交響曲第5番の場合はどうだろうか。
当時の帝政ロシアでは革命派テロリストが暗躍し、暗殺された先帝の跡を継いだアレクサンドル三世は、国内の民主化運動を厳しく弾圧した半面、芸術文化を保護奨励し、ロシアの国際的イメージを高めることに意を尽くした。その立役者こそ、国際的に認められたロシア人作曲家チャイコフスキーである。悪の妖精の呪いで眠りに落ちたオーロラ姫が、王子のキスによって100年後に目覚める《眠れる森の美女》の物語は、ちょうどフランス革命から100年を経た当時の帝政ロシアへの壮大な賛美にほかならない。暗いホ短調で始まった交響曲第5番が、最後には力強いホ長調の行進曲で締めくくられるのも、同じく誠実な愛国心の表明と考えられるのである。
全体は、冒頭クラリネットの低音によって提示される循環主題が、まるで運命に翻弄されるドラマの主人公のように、意匠を変えながら各楽章に現れることで、音楽的にも心理的にも一つの流れに統合されている。
【第1楽章】第1主題は循環主題の特徴(特にリズム)を受け継いでいるが、ニ長調の第2主題はチャイコフスキーらしい叙情的な旋律である。展開部では、6拍子の特徴を生かして2分割(3拍+3拍)と3分割(2拍+2拍+2拍)の二通りのリズムを対立させながら、激しいクライマックスを築き上げる。
【第2楽章】ホルン独奏を主役とするオペラの一場面のように叙情的な音楽が展開されるが(バレエ《眠れる森の美女》第2幕「ヴィジョン」に、良く似た主人公どうしのデュエットがある)、その情熱の迸りは、循環主題の出現によって突然中断される。
【第3楽章 “ワルツ”】歌謡的な前楽章に対して、こちらは舞踊性が中心だ。妖精や村人たちが舞い踊るバレエさながらに、多彩なリズムの絡み合いが小気味よい効果をあげるが、忘れていた循環主題が、最後に皮肉っぽく顔をだす。
【第4楽章 “フィナーレ”】堂々とした頌歌に転じた循環主題によって開始されるが、音楽は再び激しい動機展開の流れに呑み込まれ、オーケストラ全体の大きな問いかけと沈黙のあと、確信に満ちた輝かしい行進曲によって結ばれる。
作曲年代 |
1888年5月~8月 |
初 演 |
1888年11月5日(旧露暦)、作曲者自身の指揮、サンクト・ペテルブルクにて
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楽器編成 |
フルート3(うち1名はピッコロ持ち替え)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、テューバ1、ティンパニ、弦5部
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(C)千葉 潤(音楽学・ロシア音楽)(無断転載を禁じる)
山下一史写真:(C)ai ueda
横坂 源写真:(C)Takashi Okamoto