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2018年度 名曲コンサート 曲目解説

 
 
第103回名曲コンサート   8月25日(土)
小林 資典
長富 彩

 
イギリス・東欧の系譜
 
2018年8月25日(土)
昼の部 13時30分/夜の部 17時00分 開演
 
ベドルジハ・スメタナ(1824-1884)
歌劇「売られた花嫁」序曲
 
 「まずはこの手紙にある、たくさんの書き間違い、文法上の間違いについて、お詫び申し上げます。私は、今日にいたるまで、母国語を完全に習得する機会を持てなかったのです。子供のときから、学校でも実社会でも、ほとんどドイツ語で教育されてきました。」
 スメタナ36歳のときの手紙である。そう、「チェコ国民楽派」の創始者と目されるスメタナは、意外にも、前半生においてはチェコ語が自由に使えなかったのだ。もちろん、これには歴史的背景がある。16世紀の中ごろ以降、スメタナの生まれたボヘミア地方は、ハプスブルク家の支配下にあった。つまりオーストリアの一部だったのであり、長らくドイツ語の使用が強いられていたのだ。
 ところが1859年、オーストリア軍がフランスとイタリアの同盟軍に敗れると、体制に変化が起こり、芸術の分野でも国民的芸術を創出しようという機運が高まるようになる。スメタナもこれと期を一にして、それまで指揮者として活動していたスウェーデンの町、イェーテボリ(先の手紙も1860年に同地で書かれている)をあとにし、プラハに戻ることを決意。61年に帰国し、歌手団体「フラホル」の指揮者を受けもつなどして、チェコの音楽文化再興を目指す運動に身を投じた。
 彼のオペラ創作も、この流れで始まったものであり、《売られた花嫁》は、《ボヘミアのブランデンブルク人たち》に続く第2作にあたる。1866年5月に初演された時点では、政情不安もあり、予定の上演をすべて実現することが叶わなかったが、10月には大成功、スメタナは晴れてプラハ国民劇場(このときはまだ仮劇場)の指揮者となる。
 台本はもちろんチェコ語で、チェコの詩人カレル・サビーナが書いた。舞台は19世紀中ごろのチェコの農村。自分の美しい娘を、大地主の息子に嫁がせようと考えている父親がいる。しかし娘には恋人がいた。そこで結婚仲介人が、その恋人を説得する。「彼女はあの地主の子息以外とは結婚しない」という書面にサインをすれば、金をやるというのだ。恋人はサインをし、金を得る。愛する人を売り渡すとはなんという輩! ところが、のちにこの恋人が、ほかならぬくだんの地主の、もう一人の息子であったことが判明。めでたしめでたし―。
 序曲は、5音音階(日本風にいえばヨナ抜き)によるほとばしるようなフレーズでいきなり開始。超スピードで走りぬける弦楽器の斉奏、同じ作曲家の連作交響詩《わが祖国》(1872-79)を髣髴とさせる高らかなテーマなどが印象的だ。
 
作曲年代 1863-66年
初  演 1866年5月30日、ベドルジハ・スメタナ指揮、プラハにて
楽器編成 フルート2、ピッコロ1、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、弦五部

 
 
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840-1893)
ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調 作品23
 
 舞台は変わって19世紀の帝政ロシアである。チャイコフスキーが法務省の勤めをやめ、思い切って音楽家への道を本格的に歩み出したのは1863年、23歳の年。ペテルブルグ音楽院にて、アントン・ルービンシュタインのもとでがむしゃらに勉強をし、ここを「銀メダル」付きで卒業、66年には、モスクワに移る。アントンの弟、ニコライ・ルービンシュタインが新設するモスクワ音楽院で教鞭をとることになったのだ。ニコライは、チャイコフスキーの最初の交響曲2作を初演するなど、とても友好的な上司であったが、のちにチャイコフスキーがこれから聴くピアノ協奏曲を弾いて聞かせたところ、まことに厳しい判定を下した。「こんなものは演奏できやしない。どのパッセージも陳腐で、生気がなく、なんて下手くそなんだ。直そうにも直しようがないよ。」
 チャイコフスキーはかなり傷ついたようだが、彼は彼で、これまた意外な挙に出る。普段なら他人の意見をよくきくはずの彼が、一音たりとも直すものかと言い放ち、この恩人への予定していた献呈も取りやめにしてしまったのだ。
 そうして、完成作を外国に送る。すると、すぐに返事がきた。「この素晴らしい芸術作品の献呈にあずかる栄誉を、私は誇らしく思います。」この「私」とは、当時の高名なピアニストにして指揮者、ハンス・フォン・ビューロー。彼は、早くも作品完成の翌年に、アメリカのボストンで本作を初演する(ピアノを担当)。結果は大成功であった。
 のちにニコライ・ルービンシュタインも、この作品を繰り返し演奏するようになるが、彼の当初の冷たい反応には、それなりの理由もあったようだ。このときはまだ、本作の管弦楽部分ができていなかったため、曲の真価が十分に伝わらなかったのであろう。

 第1楽章 雄渾な開始部は、まだ序奏。それが静まったあとに主部が来るあたり、交響曲さながらである。主部に入ってすぐピアノによって示される、切れ切れのメロディが第1主題。ある物乞いの歌から採ったといわれる(民俗的なものへの共感)。たおやかな第2主題は、まずクラリネットで、後半部は弱音器つきの弦楽器で。この長大な楽章は、むしろこの第2主題を積極的に活用してゆく。

 第2楽章 A-B-A’の構成。快速の中間部Bを、「スケルツォ」とみなすこともできよう。Aは可憐かつ、くつろいだ歌。

 第3楽章 ウクライナ地方の春の歌に基づく第1の主題と、やはり民俗ふうの調べである第2の主題が交代するロンド形式。ゴールは変ロ長調で、そこへと向けて管弦楽をじわじわと盛り上げてゆくあたり、いかにもチャイコフスキーだ。
 
作曲年代 1874-75年
初  演 1875年10月25日、ベンジャミン・ジョンソン・ラング指揮、ハンス・フォン・ビューロー独奏、ボストンにて
楽器編成 独奏ピアノ、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、弦五部
 
 
 
アントニン・ドヴォルザーク(1841-1904)
交響曲 第8番 ト長調 作品88
 
 ドヴォルザークは、1841年、プラハ近郊のネラホゼヴェスに生まれる。家業の関係で、当初肉屋の職人を目指した彼が、ついに作曲を始めたのはようやく20歳のとき。その才能に着目し、世に出すべく強力に支援したのは、8歳年上のブラームスだった。徐々に国際的名声を高めてゆくが、なかでもイギリスでの大人気は特筆もので、それによって経済的にも余裕が出てきた頃、1884年に、ドヴォルザークは南ボヘミアのヴィソカーという地に別荘を買った。美しくのどかな田舎で創作に没頭するという、かねてからの望みを叶えたのだ。このヴィソカーの地が彼はたいそう気に入り、こんなふうに書いている。
 「数日来、またこの美しい森にきて、これ以上ない好天のもと、素晴らしい日々を過ごしています。鳥たちの魅惑の歌には、感嘆の念を募らせるばかりです。(中略)作曲家はたいてい、森の鳥の歌から、創作上の刺激を受けるものです。そうして、最美のメロディが生まれるのです」(出版人、フリッツ・ジムロック宛ての手紙より)
 交響曲第8番は、1889年に、ここヴィソカーで書かれた。ドヴォルザークの、最後から数えて2番目の交響曲にあたる(最後の交響曲は、あの有名な「新世界より」。のちのアメリカ滞在時に書かれた)。本作に関し、作曲者自身は次のようにコメントしている。「この交響曲で目指したのは、従来の交響曲とは違う作品、音楽的想念を、なにか新たな方法で音化するような作品を書くことでした」。
 「新たな方法」を、筆者なりに名づけるとすれば、「連想法」となろうか。たくさんの魅力的な楽想―鳥の歌声も!―にあふれた交響曲だが、それら楽想の多くは、互いにその「身ぶり」を、そこはかとなく共有しており、連想がつらなる物語といった趣である。良き理解者ブラームスが、珍しく「断片的なもの、重要でないものが多すぎて、それが所在なげに散乱している」と批判的に評したのも、こうした手法に戸惑ったためであろう。ベートーヴェン以来の交響曲の伝統からすれば、テーマやモチーフを、きっちりと論理的に組み立ててゆくのが本筋だからだ。ドヴォルザークも、過去には第6交響曲などでそれを実践したが、ここへきて、「論理的構築」を無視しないまでも、相対化し、新しい道を模索し始めたのである。

 第1楽章 次々と魅力的な旋律があふれ出すが、ただのメドレーには終わらない。冒頭の、中音域―チェロ、クラリネットほか―で歌われる物憂げな旋律(A)と、その後の、鳥の声のように弾むフルート・ソロ(B)をよく覚えておこう。(A)は展開部、再現部のそれぞれ開始を告げるし、(B)の弾むリズムは、随所に縫い込まれている。

 第2楽章 これも物憂げな、ため息のような弦楽で始まる。葬送の足どりのようでもある。続いて、またもフルートが―オーボエと重なって―遠くにいる鳥の啼き声のように響く。弦も、フルートも、音階を昇るように3音から成るアウフタクト(弱起)で始まる。以後、ときに牧歌的、ときに悲劇的と、次々と新たな旋律が。

 第3楽章 A-B-Aの3部形式+終結部の構成。交響曲の伝統からすれば、ここで激しい舞曲が来るところだが、ゆるやかなワルツ。またも物憂げで、3音から成るアウフタクトで開始。第2楽章の反響のよう。

 第4楽章 トランペットによるファンファーレで開始。ここに、第1楽章の(B)のリズムがこだましている。次に、中音域(チェロ)でゆるやかな旋律が歌われるが、こちらは第1楽章(A)をどこか思い起こさせる。以後は、このチェロ主題の変奏ともみなせるし、この主題と別主題が交差しながら展開するロンドともみなせる。
 
 
作曲年代 1889年
初  演 1890年2月2日、アントニン・ドヴォルザーク指揮、プラハにて
楽器編成 フルート2(1名はピッコロ持ち替え)、オーボエ2(1名はイングリッシュ・ホルン持ち替え)、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、弦五部
 
 
C) 舩木篤也(音楽評論家)(無断転載を禁ずる)
 
 
 
小林資典写真(C) Gerardo Garciacano 
長富 彩写真(C)井村重人
 
 
 
 
 
 

 

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