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第224回 定期演奏会   12月13日(木)
ユベール・スダーン (C)F.Fujimoto

2018年12月13日(木)19時00分開演
 

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)
フリーメイソンのための葬送音楽 ハ短調 K.477
 
 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756〜1791)とフリーメイソンの関わりは深い。ウィーンでフリーメイソンに入会する以前にも、ザルツブルク時代(1772年)に歌曲「おお聖なる絆よ」(K.148)が書かれている。彼の幼少期から、モーツァルト一家にはフリーメイソンに入会している人々との付き合いがあったようである。モーツァルト自身がフリーメイソンに入会を許されるのはウィーン時代の1784年。それ以降、フリーメイソンのための作品を数々書くことになる。この「葬送音楽」もそのひとつだ。
 作曲年代は1785年11月頃とされる。その直前にフリーメイソンの結社員フォン・メクレンベルク公爵とエステルハージ伯爵が相次いで死去し、その追悼式のために書かれた。しかし、モーツァルトが自作の記録を残していた「自作目録」では7月との記載があり、その成立には謎が残っている。二人の結社員が亡くなる前に「葬送音楽」として書かれた可能性もあるということである(モーツァルトが間違って記載したという説もある)。
 ハ短調という調性、そしてバセットホルンの深い響きによって、この作品には独特の暗さが認められる。宗教曲的な深さと共に、モーツァルトの死生観、死を前にした彼の率直な気持が表現されている作品とも言えるだろう。
 
  
   作曲年代 1785年
 初  演 ウィーンにて。
 楽器編成
オーボエ2、クラリネット、バセット・ホルン3、コントラファゴット、ホルン2、弦楽5部
 
 
 
アルバン・ベルク(1885-1935)
ヴァイオリン協奏曲(ある天使の思い出に)
 
 ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンが活躍した18世紀から19世紀初頭のウィーン。それから約100年後、世紀末のウィーンには新しい音楽が胎動していた。それを総称して「新ウィーン楽派」と呼ぶが、その代表的な作曲家がアーノルト・シェーンベルク、アントン・ウェーベルン、そしてアルバン・ベルク(1885〜1935)であった。ベルクはこの3人の中では最も若く、そして最も早く亡くなった。彼の「白鳥の歌」とも言えるのがこの「ヴァイオリン協奏曲」である。
 その作曲の直接のきっかけは、1935年2月にアメリカのヴァイオリニスト、ルイス・クラスナー(ウクライナ生まれ、1903〜1995)からヴァイオリン協奏曲を委嘱されたことである。その当時、ベルクは大作オペラ「ルル」の作曲を進めていたのだが、実はもうひとつヴァイオリン協奏曲に取りかかるきっかけとなる出来事があった。それはベルクと親交のあったグフタフ・マーラーの未亡人アルマと、彼女がマーラー亡きあとに再婚した建築家ヴァルター・グロピウスの間に生まれた娘マノンが19歳で亡くなったことである。ベルクはそのマノンを非常に可愛がっており、彼女へのレクイエムとしてヴァイオリン協奏曲を書くことを考えた。そしてオペラ「ルル」の作業をいったん中断させ、この協奏曲に取りかかったのである。「ある天使の思い出に」(献辞であって、サブタイトルではない)という献辞はそのエピソードから来るものである。
 1935年8月にはベルクとしては異例の早さで完成したが、実はその時にベルクは虫刺されによる悪性の腫瘍にかかっており、自分自身の死期も意識しながら、この曲の作曲を進めたという説もある。ベルクは完成後の12月に敗血症で亡くなり、オペラ「ルル」は未完のまま残された。
「ヴァイオリン協奏曲」は2つの楽章から構成される。そしてそれぞれの楽章が2つの部分から成っている。12音技法によって作曲されているが、短三和音と長三和音を含む音列を使うことで、かすかに調性的なニュアンスも感じられるように書かれているのが特徴だ。
 第1楽章はまずアンダンテとアレグレットの2つの部分から成る。アンダンテは3部形式で、まず導入部でクラリネット、ハープ、独奏ヴァイオリンで基礎的な音列が奏でられる。アンダンテに入ると、やや調性的な和声的動機が出る。中間部はウン・ポコ・グラツィオーソとなり、独奏ヴァイオリンが活躍する。第3部では冒頭の動機が回想される。すぐに8分の6拍子のアレグレットの部分へ移るが、ここはスケルツォ的な楽想で、2つのトリオ部を持つ。最後の部分ではケルンテン地方の民謡がホルンとトランペットによって奏でられる。
 第2楽章はアレグロとアダージョの2部から成る。激しい不協和音で始まる3部形式のアレグロ。中間部では第1楽章の第2トリオ部が回想される。アダージョではコラールが引用される。これはヨハン・ルドルフ・アーレが作曲したものをJ・S・バッハがカンタータ第60番「おお永遠よ、汝おそろしき言葉よ」の終曲に引用したもので、それをベルクは使っている。その音型はまず独奏ヴァイオリンに登場する。そこから2つの変奏が続き、クライマックスが作られる。再びケルンテン地方の民謡が登場するが、最後はコラールが静かに戻って来る。
 
   作曲年代 1935年
 初  演 1936年4月19日。ヘルマン・シェルヘン指揮。バルセロナにて。
 楽器編成
独奏ヴァイオリン、フルート2(ピッコロ持ち替え)、オーボエ2(1名はイングリッシュ・ホルン持ち替え)、クラリネット3、バス・クラリネット、アルト・サクソフォン、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、
トランペット2、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、打楽器、ハープ、弦楽5部
 
 
フランツ・シューベルト(1797-1828)
交響曲 第2番 変ロ長調 D125
 
 「歌曲の王」として知られるフランツ・シューベルト(1797〜1828)は歌曲のジャンルだけでなく、交響曲、室内楽などのジャンルでも多彩な作品を残している。交響曲では特に「未完成」「グレイト」などのサブタイトル付きの作品が有名だ。シューベルトが書こうとした交響曲は全部で13曲になるとされる。また「グムンデン・ガスタイン」交響曲と呼ばれる作品も「幻の交響曲」とされて来たが、これは現在では「グレイト」=大ハ長調のことであった、つまり「グムンデン・ガスタイン」=「グレイト」であると考えられるようになった。「未完成」も含めて、シューベルトの交響曲、特に第7番以降に様々な番号が存在していたのは、そうした理由による。
 さて、では初期の交響曲はどうだろうか? シューベルトは12歳でウィーンの帝室宮廷礼拝堂の合唱児童に採用され、コンヴィクト(王立寄宿神学校)の生徒となった。ここでは宮廷楽長のアントニオ・サリエリと副楽長のヨーゼフ・アイブラーが先生を務めており、シューベルトは彼らから音楽教育を受けた。このコンヴィクトには学生オーケストラが存在しており、ヴァイオリンが得意だったシューベルトは次第にその中で頭角を現し、コンサートマスターを務めるまでになった。また、この時期にはコンヴィクトが持つハイドンやモーツァルトの交響曲の楽譜に接することも出来たと言う。
 そんな環境の中で、シューベルトの楽才は育って行った。そして、1811年(想定)には「交響曲 ニ長調」(D2B断片)の作曲が試みられ、1813年には「交響曲第1番 ニ長調」(D82)が書かれた。この第1番はコンヴィクト時代の学習の成果を示したものとされている。そしてコンヴィクトを卒業した後の1814〜15年にかけて、つまりシューベルト18歳頃に交響曲第2番(D125)が書かれた。この時期は、教員養成学校を経て、助教員をしていた時代にあたる。作曲の動機に関しては詳しいことは分かっていない。ただ、シューベルト一家と親しく弦楽四重奏などを演奏していたヴァイオリン奏者ハットヴィッヒ宅で行われていた演奏会のために書かれたという説もある。私的な初演はおそらくそこで行われた可能性が高い。また1815年にコンヴィクトのオーケストラによって取り上げられた可能性もあると言われる。公開の初演は1877年になってからだった。
 交響曲第2番の編成は、交響曲第1番にフルートをさらに1本加えたものであり、規模はそう変わっていないが、音楽的な内容は非常に充実して来て、聴きごたえのあるものになっている。
 第1楽章はラルゴ〜アレグロ・ヴィヴァーチェ。序奏部付きのソナタ形式。変ロ長調。序奏部は管楽器のファンファーレ風の動機を持ち、モーツァルトの交響曲第39番変ホ長調を模倣したとも言われる。アレグロ・ヴィヴァーチェの主要部に入ると、ヴァイオリンに第1主題が登場する。これはまたベートーヴェンの「プロメテウスの創造物」序曲の主題に似ているとも言われるが、非常に力強く推進力のあるものである。第2主題もヴァイオリンに変ホ長調で現れるが、息の長いフレーズ。これを出した後、再び第1主題をヘ長調で出すために、提示部は非常に長いものになっている。その後短い展開部を経て、再現部へと移る。再現部でも第1主題を   第2主題の後に再び登場させるなど、第1主題を強く印象づける作風が取られている。
 第2楽章はアンダンテ、変ホ長調。主題と5つの変奏による。第4変奏では短調を取る。
 第3楽章はメヌエット、アレグロ・ヴィヴァーチェ、ハ短調。長調の交響曲で短調のメヌエットはかなり意外な選択だが、シューベルト的とも言える。4分の3拍子で弦がスタッカート付きの主題を出す。トリオ部は変ホ長調となりオーボエが主導する。
 第4楽章はプレスト・ヴィヴァーチェ、変ロ長調、ソナタ形式。4分の2拍子のとても速い楽章で、第1主題はヴァイオリンに登場する。第2主題もヴァイオリンが出す。いったん第1主題をヘ長調で出し、小コーダに入る。展開部も第1楽章のように短く、再現部へ移るが、ここでは第2主題がト短調で出される。そしてコーダに入り終わる。
 
   作曲年代 1814〜15年
 初  演 私的初演はウィーンにて。公開初演は1877年10月20日。オーガスト・マンス指揮。ロンドンにて。
 楽器編成
フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦楽5部
 
 
(C) 片桐 卓也(音楽ライター)
 
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