ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)
交響曲 第9番 ニ短調 作品125 「合唱付き」
年末の風物詩として定着してきたベートーヴェンの「第九」。今月は日本全国で「歓喜の歌」が響く。クラシック音楽にそれほど興味を持っていない人ですら、市民の合唱団に参加したり、家族や友だちの合唱を聴きに行ったり、様々な形で「第九」と関わっている。しかし、欧米では年末よりも特別なできごとを記念したり、祝ったりするときに、この作品が演奏されることが多い。1951年にバイロイト音楽祭が再開されたときの記念演奏会、1989年にベルリンの壁が崩壊したのを記念して、レナード・バーンスタインが行った特別演奏会、1998年に長野オリンピックの開会式での5大陸、6ヶ国、7か所での同時演奏など、自由を手にした人々の感動を象徴して演奏されるのが「第九」である。第4楽章の合唱「歓喜の歌」の歌詞は、ドイツの詩人シラーが人類愛と平和をテーマに書いた作品に基づいている。フランス革命の4年前の1785年、シラーがこの詩を書き綴ったとき、ドイツではまだ、封建的な政治が社会全体を覆っていた。「すべての人が兄弟になる」と歌い上げたシラーの言葉は、そうした圧政に対して人々の団結を呼びかける主張の表れだったのだろう。そう考えると、私たちがいま、このフィナーレに来年への希望や抱負を託すのはあながち的外れではなさそうだ。平和への希求という点で、私たちの想いはシラーと一致している。
ベートーヴェンはシラーの詩を20代で読んで感動し、いつか歌曲にしようと心にとめていた。歳月は流れ、ようやくこの詩に合唱を書き、交響曲のフィナーレに用いることを決めたのは1820年代。40歳になってからのことである。すでにかなりの難聴となり、このころには眼もずいぶんと衰えていたらしい。曲のもつ緊迫した表情にはそうした生活の苦難も投影されているのかもしれない。
この作品は交響曲に独唱や合唱が入るという編成そのものが個性的で、ジャンルの歴史においても革新的。だが、ユニークなのはそれだけではない。たとえば第4楽章の始めに、それまでの3つの楽章がほんのひとフレーズずつ、よみがえる。つまり「苦悩から勝利へ」という流れが、爆発的な歓喜を前に回想されるのである。あるいは第2楽章にスケルツォを、第3楽章に緩徐楽章をおく楽章配置も型破りといえる。また、第4楽章には当時、流行だったトルコ行進曲風のパッセージも挟み込まれている。とにかく、にぎやかで破格な交響曲なのである。この作品ではどうしてもフィナーレばかりに気をとられてしまうが、やはりそれまでの山や谷を越えて初めて、歓喜は訪れる。第1楽章から第3楽章までの展開もじつにおもしろい。
第1楽章(アレグロ・マ・ノン・トロッポ、ウン・ポコ・マエストーソ、ニ短調、2/4拍子)は神秘的で荘厳な雰囲気ではじまる。一気に激しさを増して、第1主題群へと高まっていく。大きなスケール感と骨太の構造をもったソナタ形式の速い楽章で、重々しい風格に苦悩を滲ませている。第2楽章スケルツォ(モルト・ヴィヴァーチェ、ニ短調、3/4拍子)は、穏やかなトリオを挟んで、きびきびとした主部がフーガを形づくっていく。第1楽章の重厚さとのコントラストがみごとで、緊迫感のある楽想が奏でられる。第3楽章(アダージョ・モルト・エ・カンタービレ、変ロ長調、4/4拍子)は嵐のなかでふっと天使が微笑んだような幸福感にあふれている。2つの性格の異なるメロディで構成される。プレストからアレグロ・アッサイへと流れ込んでいく第4楽章「合唱付」(プレスト、ニ短調、3/4拍子)は、騒音のような序奏ではじまり、これまでの回想と歓喜の歌が交代しながら、しだいにバリトンの独唱へと導かれていく。そして合唱による「歓喜の歌」がはじまる。
2017年を締めくくり、明日への希望を込めた「第九」。大阪交響楽団とはばたけ堺!合唱団、大阪交響楽団感動の第九特別合唱団2017の皆さんの演奏に、隅から隅までじっくりと耳を傾けたい。