大阪交響楽団 2014年度 定期演奏会 曲目解説

00778757
 
 
 
第185回 定期演奏会   4月24日(木)
寺岡 清高

シェイクスピア生誕450年記念【オセロー】
≪自然・人生・愛~マーラーとそのライヴァルたち①≫
 
2014年4月24日(木)19時00分開演 
 
 
 ドヴォルザークの序曲三部作『自然と人生と愛』を考えるとき、幾つかの重要なポイントがある。
 まずは「序曲」という形態について。序曲とは元々オペラや演劇の幕開けに際し、舞台への集中を観客に喚起するべく、時には開幕ベルのような役割も兼ねて演奏されていた。ところがそうした実用的な目的のために作られていた序曲が、徐々に音楽的な内容を増し加えるにつれ、舞台上演とは切り離され、演奏会でも取り上げられるようになる。さらには「演奏会用序曲」なるものも、演奏会文化の発達した19世紀になると盛んに書かれるようになり、例えばドヴォルザークの後ろ盾となったヨハネス・ブラームス(1833‐97)なども、生涯にわたり一曲もオペラこそ書かなかったものの、優れた演奏会用序曲を残している。
 『自然と人生と愛』も、この演奏会用序曲の系譜に連なる作品だ。これを作曲した頃のドヴォルザークは、既に自作のオペラや演劇のために幾つもの序曲を作っていたが、演奏会用序曲として完成・出版されたものはこれが唯一である。それぞれ、『自然の中で』『謝肉祭』『オセロ』と題された3つの序曲から成っているものの、標題音楽のように何かあるストーリーを音楽で具体的に描くというよりかは…といっても『オテロ』についてはウィリアム・ シェイクスピア(1564‐1616)の同名の戯曲を彷彿させる展開が聴かれるが…、題名から想起される雰囲気やイメージが曲全体を支配しているといってよいだろう。(なおドヴォルザークは晩年、標題音楽の系譜を継ぐ交響詩にも取り組むが、これらもストーリーを克明に追うというよりかは、演奏会序曲の特徴が押し出されている。)
 作曲の経緯を見ると、前者2曲はそれぞれ、ドヴォルザークの50歳の誕生日を祝ってケンブリッジ大学とプラハ大学から与えられた名誉博士号の返礼として1891年の春から秋にかけて、また最後の1曲は同年の冬から翌年の初頭に順番に書かれた。ということは一応単独での演奏も可能なわけだが、『自然の中で』の冒頭で用いられたテーマ〔譜例1〕が、『謝肉祭』『オセロ』においても形を変えて幾度も登場することからも、3曲連続で演奏することが念頭に置かれていることは明らかである。(じっさい初演も3曲続けた形でおこなわれた他、ドイツ語圏ではこの連作を指して「自然三部作」という呼称も存在する。)
 それにしてもなぜ、ドヴォルザークは『自然の中で』のテーマを他の曲にも用いたのだろう。テーマ自体は、きわめてシンプルだ。長閑なテンポに基づく6拍子を基本にしたもので、かのルートヴィ ヒ・ファン・ベートーヴェン(1770‐1827)も交響曲第6番『田園』の最終楽章で用いた「パストラーレ」という形式に拠っている。「パストラーレ」は例えば「牧歌」と訳すことができ、ヨーロッパ文化の世界では、生まれたばかりのキリストを牧人が表敬訪問するクリスマスの出来事や、牧人が至福の生活を営んでいたギリシア神話の失われた楽園=アルカディアといった聖なる空間を連想させる。
 ドヴォルザークが、自然豊かなボヘミアの小村ネラホゼヴェスに生まれ、生涯自然を愛したことは有名だ。大都会プラハを活動の拠点としながらも、折を見て大自然の中で過ごすことをもっぱらとし、またそこで作曲のインスピレーションを得ることも度々だった。もちろんそうした自然への傾倒が『自然の中で』のテーマにつながる訳だが、話はそれだけでは終わらない。ドヴォルザークは、当時ボヘミアで盛り上がっていた民族運動の流れに連なる作曲家であり、当時そうした民族運動を表象する音楽の一つが「パストラーレ」だった。民族運動の背後には往々にして宗教界の後押しが見られるが、パストラーレは19世紀のボヘミアにおいて、教会で用いられるミサ曲の中で好んで用いられていたのである。
 さらに重要なのは、人間臭い活気に溢れた『謝肉祭』、愛ゆえの憎悪や嫉妬といった究極の人間感情を生々しく漲らせた『オセロ』の要所々々に、『自然の中で』のテーマが現れる点。これなどは、人間もまた自然の一部にすぎないという世界観を反映したもので、人間が全てを支配できるかのような考え方に基づく近代社会や近代科学へのアンチテーゼを唱えたロマン派の考え方を汲むものである。しかも『謝肉祭』においては、喧噪の最中に出現した異空間のごとき静謐な中間部で、自然のテーマが失われた世界を偲ぶかのように儚く響いたり、あるいは『オセロ』においては自然の情動に突き動かされた英雄が破滅的な最後に向かって坂を転がり落ちていったりするあたり、ドヴォルザークの同郷人であるグスタフ・マーラー(1860‐1911)への影響も色濃く窺える。
 
初演:1892年4月28日、プラハにて。作曲者の指揮による国民劇場管弦楽団の演奏。

編成:ピッコロ(『謝肉祭』で1、『オセロ』で第2フルートが持ち替え)、フルート2、オーボエ2、イングリッシュホルン1、クラリネット2、バス・クラリネット1(『自然の中で』のみ)、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、テューバ1、ティンパニ、タンブリン(『謝肉祭』のみ)、トライアングル(『オセロ』を除く)、シンバル、大太鼓(『オセロ』のみ)、ハープ(『自然の中で』を除く)、弦五部
 
 
 ところで序曲『オセロ』について、当初ドヴォルザークは『エロイカ』や『悲劇的』といったタイトルも考えていた。『エロイカ』 といえば、ベートーヴェンの交響曲第3番『英雄』の原語のタイトルだが、たしかに英雄を想起させる悲劇性や力強さに溢れている点、ベートーヴェンのそれと共通する点は多い。
 ただしベートーヴェンが描いた英雄は、新時代のヒーローとして蒙き世界に希望の光を灯す救世主的性格を帯びているのに対し、『オセロ』の英雄は最終的に、嫉妬という理性ではコントロールできない自然の感情に突き動かされ破滅してゆく。このあたり、フランス革命の希望がまだ輝いていた時代を生きたベートーヴェンと、革命の理想も現実もことごとく明らかになってしまったそれ以降の世界を生きた彼の後輩(その中に、ブラームスもドヴォルザークもマーラーも位置する)たちとの差が滲み出ているといえるだろう。 とはいえ19世紀の作曲家たちにとって、ベートーヴェンは絶対的な規範として圧し掛かり、特に交響曲の分野においては、彼の作品の再来を待つかのごとき声も高かった。
 そうした声に動かされると同時に、またプレッシャーを感じながら創作活動をおこなった一人がブラームスである。例えば1883年に作曲された『交響曲第3番』は、ナンバーが同じということに加え、第1楽章の表記がアレグロ・コンブリオ、さらに3拍子にも通底する6拍子といった具合に、ベートーヴェンの『英雄』と共通点が多いことから、この作品を指して「ブラームスの『エロイカ』」という呼び名が生まれたほどである。そしてブラームスの『交響曲第3番』から大きな影響を受けて生まれたのが、1884年から85年にかけてドヴォルザークが書いた『交響曲第7番』だ。
 たしかに、これはある種ドヴォルザークの『エロイカ』であるといえる。それは、第1楽章がブラームスのそれと同様6拍子(6/8拍子)を基本にし、さらに第1主題にベートーヴェンが「第九」等で用いた悲劇や葛藤を象徴するニ短調が使われている
〔譜例2〕、といった表面的事象にのみとどまらない。ドヴォルザーク自身、当楽章を仕上げた後「このボヘミアの交響曲が世界を動かさんことを!」と手紙にしたためているほどであるし、この楽章には1883年に演劇作品『フス教徒』のために作曲された序曲の主題の変化形〔譜例3〕が出現するほどである。(フス教徒は、ボヘミアの
宗教改革家ヤン・フス(1369‐1415)に賛同した人々のことで、彼らは民族運動の先駆的存在としてとりわけ19世紀のボヘミアの文学作品や芸術作品のテーマとして度々取り上げられた。)
 また、この交響曲がロンドンのフィルハーモニック協会からの依頼を受けて作られた点も重要である。当時ロンドンは世界有数の国際都市として繁栄をきわめており、ヨーロッパ大陸で頭角を現しつつある気鋭の音楽家の作品を上演することが盛んにおこなわれていた。さらにロンドンを都とする大英帝国は外交的には「光栄ある孤立」を保っていたため、当時オーストリア=ハンガリー帝国において植民地的扱いを受けていたボヘミア出身のドヴォルザークによる民族主義的な作品を上演することには、大きな意味があった。
 ただし『交響曲第7番』は、もちろん民族主義的な要素のみでひとくくりにできる作品ではない。闘争的な第1楽章は低弦が呻くように消えてゆくという非英雄的終結を迎え、第2楽章では、冒頭の郷愁を含んだ穏やかな楽想が突如方向性を失ったかのように、十二音技法をも連想させる不安定な経過部〔譜例4〕(このあたりも、
ブラームスの『交響曲第3番』の第2楽章からの影響を指摘できる部分だ)が現れる。第3楽章はボヘミアの民族舞踊フリアントを彷彿させる〔譜例5〕スケルツォ楽章だが、伝統的な構成に比べて長大なコーダが付され、しかも愉悦に溢れているはずの民族舞踊とは対照的に執拗に叩きつけるリズムが前面に押し出される。そして交 響曲の結論であるはずの第4楽章で、最終的な勝利の凱歌が長調で響き渡るのは、楽章のいっとう最後の部分になってからである。
 革命の表と裏、激高する民族運動、ベートーヴェンやブラームスの影…。『交響曲第7番』は、こうした要素がないまぜとなり、単純な英雄像を訴えるだけではもはや立ち行かなくなった19世紀後半の『エロイカ』に他ならない。そしてそれは、マーラーをはじめとする世紀転換期の作曲家たちにも大きな影響を及ぼす先駆的存在と化したのだった。
 
初演:1885年4月22日、ロンドンにて、作曲者指揮によるロンドン・フィルハーモニック協会管弦楽団の演奏。

編成:フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、弦五部
 
 
 (C) 小宮正安(ヨーロッパ文化史研究家・横浜国立大学准教授)           (無断転載を禁じる) 

 

譜例作成:森洋久(文中の譜例は上部指揮者写真の下にリンクしています。)

 

 
 
 
一般社団法人大阪交響楽団
Osaka Symphony Orchestra
〒590-0074
大阪府堺市堺区
北花田口町3-1-15 東洋ビル4F
TEL:072-226-5533
FAX:072-226-5544
 
 
四国支局
〒790-0051
愛媛県松山市生石町
649-11-402
TEL:089-947-4751
FAX:089-934-3577
 
 
201309301658395847.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
<<一般社団法人大阪交響楽団>> 〒590-0074 大阪府堺市堺区北花田口町3-1-15 東洋ビル4F TEL:072-226-5533 FAX:072-226-5544