大阪交響楽団 2013年度 定期演奏会 曲目解説

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2013年度 定期演奏会 曲目解説

 
 
第179回 定期演奏会   9月27日(金)
児玉 宏

≪児玉宏のブルックナー Vol.9≫

2013年9月27日(金)19時00分開演

 

 児玉宏と大阪交響楽団が取り組んできたブルックナーの交響曲シリーズがいよいよラストスパートにさしかかった。このシリーズは番号順に進められてきたわけではないが、結局最後に残されたのは今回演奏される第8番と第9番(これに第00番が加えられる可能性もあるが)。私はこれら2曲こそが、ブルックナーにとって交響曲を作るという行為の最終結論であったと思っている。この2曲が示す、まるでアルプスの偉容を仰ぎ見るときに感じるような崇高さや神秘感は、彼の作品の中でも、否この世に残されたあらゆる交響的作品の中でも一際抜きん出たものである。アルプスの偉容が人為によって創り得ないように、これら2曲も、ブルックナーの手を借りて神が生み出したとしか思えないほどの荘厳さに満ちている。こうした世界を人間の手で現実の響きにすることは至難の業だが、これまで築き上げてきた児玉・大阪響のコンビが、その大きな経験と渾身の力をもってきっとその偉容に迫ってくれるに違いない。

ブルックナー
交響曲 第8番 ハ短調(第1稿)


 ブルックナー(1824~96)が残した交響曲に関して、これまで稿や版のことが問題にならなかった曲はほとんどない。ブルックナーは、信頼している友人などから意見されると、急に弱気になり改訂に乗り出すのが常だったからである。その結果修正を施された稿が、そしてまたそれを校訂した版がいくつもできるということになった。このことに関しては、これまで8年にわたって続けられてきたこのシリーズの解説において常に述べてきたことである。そして実は彼の最高傑作と目されるこの第8番においても、その問題は付いて離れない。ブルックナーが初めて成功の美酒を味わった第7番の後だけに、いつも自作に対して遠慮がちであったブルックナー自身さえも、この作品には大きな自信と愛着があったようで、自作の交響曲の中で最も美しいものになったと考えていた。
 ただ交響曲第7番の大成功を受け、交響曲創作に自信を深めていたブルックナーが、60才前後の最円熟期に約3年もの歳月(1884年夏に着手し、1887年8月に完成)をかけて書いたこの作品も、ヘルマン・レーヴィやヨーゼフ・シャルクといった信頼する友人たちの理解を得ることが出来ず、その思いがけない厳しい反応はブルックナーを大きく落胆させ、その創作力を萎えさせるとともに、自殺を考えさせるほどであった。交響曲第7番で成功を勝ち得ていたあとだけに、並みの人なら、これで作曲家生命を断たれていたかもしれない。しかし彼の作品にも顕著に窺えるように、その粘り腰的な忍耐力と強靭な精神力が何とか彼を持ちこたえさせた。その後、彼は交響曲第9番に着手すると同時に、交響曲第1番や第3番の改作にも手をつけ、ついでこの第8番の改訂にも取り組み、1890年3月にやっと改訂版(第2稿)の脱稿にこぎつけたのである。この第2稿(ノーヴァク版。両稿を混合したハース版については、今回は触れない)が、現在一般的に演奏される第8番である。この第8番第2稿が、大宇宙を思わせる壮大さや引き締まった構成の見事さから、彼の最高傑作との評価を下す識者が多いことは事実であるし、私もその意見に何ら依存はない。ブルックナーにとっては、改訂の作業は厳しいことであったろうが、その苦労はまぎれもなく報われ、ここに交響曲史上における大傑作が誕生したのである。
 実はいま私は、「第2稿」、「改訂」という言葉を使ったが、二つの稿を比較してみれば分かることだが、実は二つの稿の間には、単に改訂と言った言葉では済まされないほどの大きな違いがあり、この第2稿は、場合によっては新しい作品と呼んでも良いほどであることを我々は認識しておかねばならない。児玉自身も、『交響曲第8番の二つの版は「それぞれ全く独立した作品」であり、同じ交響曲の「二つの版」という範疇では考えることができないように思われます』と述べている。となれば、我々は別作品としての第1稿にも改めて注目する必要があるであろう。そもそも、この第1稿はレーヴィやシャルクが批判したように本当に問題の多い作品だったのだろうか。むしろあまりにもブルックナー的な語り口が、彼の作品に完全に寄り添えているとは言い難い人たちから理解されなかっただけではないのか。ここで再び児玉の言葉を借りれば、『音符が書き下ろされるのと同時にブルックナーの内面で起こる「音楽的発展の軌跡」を、より明確に聴き取ることができるのは、第1稿ではないかと思います』ということになる。こうした理由から、今回児玉は思い切って第1稿に取り組むことになった。第2稿は聴く機会も多いし、ブルックナーに関心のある人なら知らぬ人はないはずである。その大傑作の陰に隠れて忘れられがちな第1稿を再認識するのに、今回は最上の機会の一つになることだろう。
 ではここで第2稿とは異なるところに注意しながら、第1稿の音楽のあり方を簡潔に眺めておくことにしよう。楽章は通常通り4つからなるが、緩徐楽章がいつもにも増して長大になったことから、スケルツォが第2楽章に置かれていることが、これまでの他の交響曲と違っている点である。ブルックナーもロマン派の作曲家のご多分に洩れず、自らの作品に少なからず標題的意図を持っていたことが知られており、例えばこの作品を指揮してもらえると期待していた指揮者ヴァインガルトナーに宛てた手紙には、この作品に込められた意図が説明されている。ただその説明の稚拙さと音楽そのものが示す深遠さには大きな隔たりがあり、私はそれにあまり捉われる必要はないと思う。
 第1楽章は、ブルックナーの定石通り弦のトレモロの中から主題が現れる神秘的なブルックナー開始に始まり、これまでのどの作品にもまして緊密な構成のもと、3つの主題を持つソナタ形式に基づいて壮大な宇宙の広がりにも比すべき偉容に満ちた世界が構築される。第2稿では、全曲にわたって3管編成が取られているが、この第1稿ではフィナーレ以外は2管編成が取られている。また小さなモティーフの付加や楽器の変更など、両稿で細かな違いはあるが、何よりも指摘しておくべきは、第1稿の小節数が第2稿よりも126小節も多いことだろう。その最も大きな原因になっているのがコーダの部分である。第2稿では、あの印象的な第1主題のリズムが、トランペットとホルンによって何度も強調されたあと、徐々にディミヌエンドして曲を閉じる。ところが第1稿ではここで曲が終わらず、突然 fff で最後のクライマックスがもう一度形作られるのである。このように終わりそうで終わらないところは、ブルックナーの語法に慣れない人や第2稿に慣れた人にとっては煩わしさやしつこさが感じられるところかもしれない。しかしこのような執拗さこそがブルックナー本来の志向(嗜好)でもあり、やはり彼の原初的な思いがこもった部分であるとも言える。皆さんは果たしてどのようにお聴きになられるだろう。
 つづく第2楽章は、通常とは異なりスケルツォ。長大な第1楽章のあと、さらに長大な緩徐楽章(彼の全交響曲の中で最大のもの)を続けるのは、さすがの彼も構成的に無理があると感じたのだろう。この壮大で武骨なスケルツォは、ブルックナー自身がその主題のイメージを「ドイツのミヒェル=質実、素朴な想像上の人物」と語った三部形式に基づくものだが、少しまどろむような不思議な浮遊感を持った中間部を挟んで、再現の最後の部分で、主和音上に同じモティーフが何度も繰り返される。この繰り返しが、提示部では8小節間であったのが、再現部では12小節間と実に1.5倍にも引き伸ばされており、聴いているものには繰り返しが果てしなく続くように感じられる。これも第2稿では8小節に短縮されるが、まさにブルックナーの面目躍如と言えるところだろう。このスケルツォに関しては、楽器の扱いなど部分的に細かな変化はあるが、基本的には両稿の間に大きな違いはあまりない。ただ夢見るような田園的たおやかさを持ったトリオの最初の24小節間は、第2稿に慣れた人には全く初耳の音楽が奏でられる。またトリオの前半の終止部分でヴァイオリンがトリルを続けている点も第2稿とは異なる。ブルックナーはトリルを非常に好んだが、それからすれば、第1稿の方がよりブルックナー的であるということもできるだろう。また第2稿のトリオで採用されたハープは、第1稿では用いられていない。
 第3楽章は、どの交響曲でもたっぷりとした長さを持つブルックナーの緩徐楽章の中でも最大の規模を持つ。どちらの稿で演奏しても演奏時間に30分近くもかかる。古典派の交響曲ならゆうに1曲分にも相当する長さで、普通なら緊張を欠いた冗長な音楽に陥らないとも限らない。しかしさすがにここには、彼がこれまで積み上げてきた緩徐楽章作曲の最高の成果の一つが示されており、聴く者は自分が至福とも言うべき荘厳で天国的な世界に佇んでいるとの思いを抑えることができない。構成的には自由なロンド風の構造(A-B-A′-B′-A″-コーダ)で作られているが、ここには既に人為的な構造などといったものを超越した神(秘)的、天国的世界が顕現しているといって良いかもしれない。第1稿と第2稿の違いは、基本的には第1稿の様々な部分が削除されたという点にあるが、例えばA′からB′の部分のコラール風の部分や、B′からA″に移行する部分、さらにはその後の部分でもかなりの小節が削除されており、結果的に総計38小節もの音楽が削除され、短縮されることになった。削除のない第1稿を聴かれ、果たして冗長に感じられるかどうか。ブルックナーの原初的な想いをぜひ自らの耳でお確かめいただきたい。
 続く第4楽章もやはり3つの主題からなるソナタ形式に基づく771小節もの長さを持つ長大な楽章。それぞれの主題がいかにもブルックナー的。第1主題は宇宙的な広がりの中から忽然として立ちのぼってくるような音楽。また聴く者を優しく温かく包み込み、自らの心に深く思いを巡らさせるような第2主題こそまさに至福、瞑想の世界。好々爺がのんびりと散歩でもしているような雰囲気を持った第3主題もブルックナーその人の姿を映し出しているかのよう。第1主題を主体とするおおらかで荘重な雰囲気を持った展開部、その第1主題がさらに大きく拡大され、まるで第2展開部であるかのような様相を見せる再現部を経て、第1主題が劇的に強奏されるといよいよ巨大なコーダ。ブルックナーならではの静寂の中、重厚な調べが徐々に高潮し、それが頂点を迎えると、各楽章の主要主題が一時に積み重ねられ、圧倒的なクライマックスを築きあげて大作が閉じられる。ただし、この第1稿には、第1楽章終結部の、あの印象的な下降音型による強烈な楽句はない。
 この楽章も、両稿の違いは、例えば第2主題から第3主題に移行する部分での短縮や、第1稿の223小節からの20小節が4小節に短縮されるなど、様々な部分で削除が行われたために生じる。その数、実に62小節にも及び、ブルックナーが自らの原初的な想いを捨てても、この作品が多くの聴衆に受け入れられることを望んでいた切なる思いが伝わってくる。これらの努力は決して無駄ではなかったわけで、結果的に第2稿が現在彼の最高傑作として評価されていることはこれまでも述べてきた。しかしまた我々は、第1稿が、彼が珍しく自信を持って世に送り出した最初の思いのこもった作品であることも忘れてはならない。これら二つの稿には、彼のこれまで過ごしてきた作曲家人生の在り方がまさに見事に象徴されているのである。今日この第1稿を耳にすることを通じて、ブルックナーの作曲家としての在り方について認識を新たにすることができれば幸いである。

(C)中村 孝義 (大阪音楽大学教授・音楽学)(無断転載を禁ずる)

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