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楽団員紹介

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新入団員のお知らせ 岡本 伸一郎(アソシエイトコンサートマスター)

2016-09-01
岡本 伸一郎(アソシエイトコンサートマスター)
8月25日に行われましたオーディションにおいて、アソシエイトコンサートマスターに岡本伸一郎(おかもと しんいちろう)が合格、9月1日付で入団いたしました。

▶︎東京藝術大学卒業後、ジュネーヴ高等音楽院にてソリスト・ディプロム及び、オーケストラ・ディプロムを取得。帰国後、首席奏者等でオーケストラ公演に客演。
 
メッセージ
私が初めて大阪交響楽団の演奏を聴いたのは2010年夏の定期公演でした。前夜に数名の団員の方々と食事に行った折、シューベルトの交響曲の楽譜を見ながら討論していた光景は、本番の演奏と共に今でも鮮明に覚えています。その後、この楽団の方々と触れ合うなか、舞台上でも舞台裏でもいつも楽しく、そして真摯に音楽と向き合う姿に惹かれていきました。これから同じ舞台に立って演奏を共に出来る事をとても嬉しく思います。
 
 
岡本伸一郎写真:(C)飯島隆

インタビュー 藤崎 俊久(ファゴット首席奏者)

2016-09-01
藤崎 俊久(ファゴット首席奏者)
— 20年間所属して心境の変化はありますか。

自分の次の人のことを考えるようになりました。年齢的なこともあるし、病気や事故でキャリアが絶たれる可能性もあるわけですが、自分がこのオケにいた時間をどういう形で遺すことができるのかを考えて、普段の仕事をするようになってきたという気はします。演奏面では、オーケストラの全体像を考えた上で自分のパート譜を見つめるような仕事のやり方にこだわりたい。このオーケストラが将来、さらに上のレベルのオケになった時、今やっていることがどう活かされるだろうか、それを意識することでこだわるという意味では以前より頑固になったかもしれませんね。
 

— オーケストラの中でのファゴットの役割と魅力は何でしょう。

漫才でいうツッコミ役です。花形の楽器がいくらナイスなボケをしても、ツッコミが悪いと笑えないと思うんです。上手なツッコミができるならば、このどうしても音量に恵まれず地味な音色の楽器もその特徴が活かされると思います。花形のメロディに対して、ハーモニーの一声部として支える時もあれば、対旋律を奏でている時もある。単純に拍の頭打ちを鳴らすのでも、その発音やタイミングをどう取るかで、メロディの歌いやすさが変わります。そこには技術も要るし、センスも要る。相手がどうやりたいのかを理解する音楽性が無いとできないことなので、やりがいを感じています。漫才でもボケ役に対してツッコミ役はキャラが地味で名前や顔を覚えてもらえるのも後回しになることが多いそうですが、ファゴットもそれに似ていて、でもそれでいいんです。時々出てくるファゴットが吹くソロは、一般的にはテノールの音域なんですが、私は自分の声質に合わせ、バリトン歌手になったつもりで声楽のイメージで吹いています。ファゴット奏者は柔和で温厚な人が多いのですが、内面では音楽に対するこだわりが人一倍という職人気質の人ばかり。言うなれば頑固な平和主義者、という感じかもしれませんね。
 

— オーケストラで演奏していて、幸せな瞬間というのは何でしょうか。

この素晴らしいモノの中に自分が居る、と実感する時です。私自身の吹く音が、全体の中でまったく目立たず埋もれていても関係無いんです。ファゴットは音量が出ないという楽器の特性上、どんなにしっかりフォルテで鳴らしていても、他の楽器の音を同時に聞き取ることができます。あのプレイヤーがこんなに素敵なことをやっている、いろいろな場所から届くそんな瞬間を絶えず聴き取ることができるのは、ファゴットの利点かもしれません。そんな素晴らしい音楽が生まれた瞬間の共有が1番の幸せです。近頃は特に、私はソロよりも合奏が好きだからオーケストラに入ったんだということを、強く自覚させられています。だからこそ、そんな幸せな瞬間を共有させてくださる皆さんへ感謝の毎日ですね。
 
藤崎俊久 写真:(C)飯島 隆
 
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
 
~プログラムマガジン2016度年9・10月号掲載~
 
 
 
 
 

インタビュー 里屋 幸(アシスタントコンサートマスター)

2016-04-01
里屋 幸(アシスタントコンサートマスター)
— 2006年に入団して10年が経ちましたね。

最初はトゥッティ奏者だったんですが、2年が経って、ちょうどオーケストラに慣れた頃にアシスタントコンサートマスターという役職ができることになりました。それで再びオーディションを受けて、今日に至ります。入団する前はフリーのヴァイオリン奏者として活動していました。様々なオーケストラでエキストラ奏者として演奏していたのですが、私にとっては、オーケストラというものを知るための、今思うとありがたい時間でした。オーケストラでの弾き方というものが、最初はどうしたらいいのかわからなかったんです。ヴァイオリンの後ろの方の席で弾いて、周りの方から見よう見まねで学んでいました。
 

— オーケストラのヴァイオリン奏者になりたかったのですか。

ヴァイオリンは4歳の時からやっていて、ヴァイオリニストという仕事には憧れていました。ソリストになろうとしている方が、私の周りにはたくさんいたのですが、自分がそうなろうとは思わなかったんです。ただ、職業としてヴァイオリンを弾いていきたいというのは、なんとなくあって、その選択肢として考えられるのが、オーケストラのヴァイオリン奏者でした。オーケストラも小さい時からやっていて、嫌いではなかったんです。母も楽器をしていましたが、させようとしたことはないと言っていました。自分でやると言ったみたいですけど、覚えていません(笑)。小学校から相愛学園の音楽教室のオーケストラに入ったんですが、周りに上手な方がたくさんいて刺激を受けました。その頃の経験は、今オーケストラをやっている基盤になっていると思います。
 

— オーケストラで演奏していて、幸せな瞬間というのは何でしょうか。

大きい編成の時は、自分の弾いている席からは全く見えない位置で演奏している楽器とヴァイオリンの音が驚くほど一緒になる瞬間があって、その時は大勢で弾いている醍醐味があります。小さな室内楽に近い編成では、みんなの息遣いみたいなものが感じられて、幸せだなと思います。
 

— アシスタントコンサートマスターの役割は何なのでしょうか。

コンサートマスターには、指揮者とのコンタクト、楽団とのコネクトなど、莫大な量の仕事があって、多くの労力を使います。アシスタントコンサートマスターの役割は、その支えになることです。座る場所が2ndヴァイオリンの近くになるので、他の弦楽器との間に入って、コンサートマスターのしていることが、他の人にわかるようにすることも重要です。オペラやバレエでピットに入った時は、どうしても死角になってコンサートマスターが見えずらい席があるのですが、コンサートマスターがやっていることを代わって伝えようと思って弾いています。また、コンサートマスターがソロを弾いている間に、オーケストラをまとめるのは、アシスタントコンサートマスターの仕事になります。

 
里屋 幸 写真:(C)飯島 隆
 
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
 
~プログラムマガジン2016年度9・10月号掲載~
 
 
 
 
 

インタビュー 細田 昌宏(ホルン首席奏者)

2016-07-01
細田 昌宏(ホルン首席奏者)
— 細田さんが楽器を始めたのは。

フルートはずっとやっていたのですが、ホルンは17歳の高校生の時に吹奏楽で始めました。子供の頃から大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏会をよく聴きに行っていたんです。大阪フィルのホルン奏者、近藤望さんに憧れて、この楽器をやってみたいと思っていました。NHK交響楽団のベートーヴェンの「第九」の演奏会で、N響の千葉馨さんが吹くソロを聴いて大きな衝撃を受けたのもきっかけです。ズデニェク・コシュラーの指揮でした。ホルンを始めてすぐの頃、大阪市ユースオーケストラで延原武春さんの指揮に鍛えられました。トーマス・ザンデルリンクさん(1992年から2000年まで、大阪シンフォニカー時代の音楽監督・首席指揮者)との出会いもこのオーケストラでです。実家が淀屋橋で喫茶店をやってて、音楽家や音楽関係者がよくお客さんで来ていて、大阪フィルの扇町の練習場にも毎日のように自転車で通いました。ホルンは大阪フィルの西田末勝先生に習いました。プロとしての活動は、テレマン・アンサンブルが最初になります。その後、ザンデルリンクさんの熱心な誘いで大阪シンフォニカーで演奏するようになりました。当時はがむしゃらな楽団でしたが、ザンデルリンクさんの奮闘が功を奏して、飛躍的な伸びをオーケストラとしては成し遂げたと思います。
 

— ホルンの魅力って何でしょう。

時には和音を作り、またソロがあって、指揮者の求める音楽と曲想に合ったソロを吹けるかどうかという挑戦です。金管楽器の中で一番小さなマウスピースで一番長い管を吹く難しさを、何年たっても痛切に感じます。コンディションに左右されることも多いし、何十回やっている曲でも、毎回違うんです。これはホルンの永遠の課題かもしれません。フォルテッシモで吹いた後に、いきなり小さな音でソロを吹くなんてということも、どのホルン吹きも悩むところでしょう。それでも、経験と共にまず優先させるのは音楽的なことだと思うようになりました。人の肉声に一番近くって、倍音が多くて、ハーモニーを作った時に雄弁で時にはデリケートに、また、刺激的な音が出せる楽器というのが魅力的ですね。バロックから現代に至るまで、これだけ多様に使われる楽器というのも、オーケストラの中での重要性があると実感します。
 

— これからどんなホルン吹きになりたいですか。

月並みだけど、まだまだ勉強です。年齢が上がって身体能力が衰える中で、それをいかにカバーして、より前向きな演奏ができるように努めていくしかありません。この楽団では、若い人たちがどういう感性で演奏するのかということに、アドバイスとフォローをどういった形でしていくのか。そして、外山先生がそのキャリアをオーケストラにどんな形で与えてくださるのか楽しみです。
 
細田昌宏 写真:(C)飯島 隆
 
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
 
~プログラムマガジン2016年度7・8月号掲載~
 
 
 
 
 

インタビュー 林 七奈(コンサートマスター)

2016-07-01
林 七奈(コンサートマスター)
— 林さんのコンサートマスター就任は、2005年9月でした。

ミュージックアドバイザー・首席指揮者だった大山平一郎さんに呼んでいただきました。その後、指揮者だけでなくメンバーも随分入れ替わりがあって、オーケストラの雰囲気も変わってきました。ここ数年は若い人がどんどん入ってきて、彼らのやり方をこちらもどうやって取り入れていくか試行錯誤の毎日で、まだ完成形ではないですが、良い方向に向かっていると信じて、みんなで頑張っています。
 

— 楽器を始めたきっかけは何ですか。

私は外国生まれで、カナダから奈良に帰ってきたのが3歳の時でした。当時は日本語が不自由だったこともあって、人と話すのが嫌になったんです。カルチャーショックのような状態になって、拒否反応から耳が聞こえなくなってしまいました。転地療養として場所を変えるのもいいんじゃないかということで、鎌倉に住んでいた祖父母のところへ、私一人が行くことになりました。その近くに黒柳守綱さん(NHK交響楽団ほかでコンサートマスターを歴任、黒柳徹子さんの父)が隠居して住んでいらしたんです。先生はとても教え上手で、ヴァイオリンを弾いたら、こんなに喜んでくれる人がいるんだと思いました。習い始めて3年ぐらいでお亡くなりになってしまい、最後の弟子になった私は、先生の楽器を形見にいただきました。
 

— ヴァイオリン奏者となることを決めたのは。

不思議なことに、ヴァイオリンを始めた時にヴァイオリニストになるんだって思ってたんです。なぜか、これしかないっていう感じでした。でも、オーケストラはむしろ苦手で、コンサートマスターなんて絶対向いていないと思っていたんです。大学の卒業演奏会でコンサートマスターをさせていただいたんですけど、指揮をされた佐藤功太郎先生に「君はオーケストラに向いている」と言っていただいて、オーケストラに紹介もしてくださるということだったんですが、それを丁重にお断りしたほどでした。
 

— コンサートマスターの仕事とは何でしょう。

指揮者がいてオーケストラがあってのコンサートマスターだから、私のカラーが強すぎてもダメだし、無さすぎてもダメ。そのバランス感覚が大事。指揮者のやりたいことをオーケストラに伝えて、オーケストラのいいところを引き出さなくてはならない。音楽に対する謙虚な姿勢を失わないようにして、独裁者になっちゃいけないんです。イタリアで勉強した時に、パートとして音楽が聴こえるということを学びました。
 

— コンサートマスターの隣に座る時は、どんな役割をするのですか。

コンサートマスターがやりたいことを考えながら、その助けをしなければいけません。指揮者とコンサートマスターとオーケストラの関係の中で、色々なことに気を配りながら、中継ぎ役ができればと思ってます。
 
林 七奈 写真:(C)飯島 隆
 
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
 
~プログラムマガジン2016年度7・8月号掲載~
 
 
 
 
 
公益社団法人大阪交響楽団
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