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楽団員紹介

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インタビュー 西浦 豊(ファゴット副首席奏者)

2017-01-01
西浦 豊(ファゴット副首席奏者)
— 入団されたのは。

30年近く前になると思います。当時の常任指揮者の小泉ひろしさんと団員の皆さんの前でオーディションを受けた記憶があります。指揮者陣では、やっぱりトーマス・ザンデルリンクさんの印象が強烈でした。うちのオーケストラのスタイルを創ったのは彼だと思います。当時の練習では罵倒されましたけど、今はぜひもう一度来ていただいて見返したいです。

— オーケストラの中でファゴットの下吹き(2番奏者)の魅力は。

木管の中で一番低い音域になるので、支える役割だとはよく言われます。吹いていてアンサンブルが決まった時は気持ちがいいですね。あと、地味だと思われている割に難しいことをしていたりするんですが、聞こえないんですよ。

— コントラファゴットも2番奏者の担当ですよね。

音楽大学に入って最初の6月にあった定期演奏会で、ブラームスの交響曲第4番のコントラファゴットを吹いたんです。それ以来、得意になったし、好きなんです。聞こえないのを、どやって聞こえさせるのかが楽しいんです。コントラファゴットのソロがあるラヴェルの「マ・メール・ロワ」とか「左手のためのピアノ協奏曲」なんかは、俄然やる気になりますよね。

— オーケストラでファゴットを吹いていて、良かった!と思う瞬間は。

やっぱり演奏する自分たちが良かったと思った演奏が、お客様の反応も同じように良かった時が一番うれしいですね。結構思いが違うんですよ。吹いてて「今日はちょっと…」と思ったのに、お客さんは意外に湧いてたり、なかなか一致することがないんです。

— ファゴットを始めたのは。

小学校4年から趣味でフルートやってました。高校1年の終わりぐらいに音楽大学を受けたいと思ったんです。でもほぼ独学でやってきたから、悪い癖が取れなくって、楽器を買い換えようと、ようやくついた先生に相談したら「あなた絶対に低音に向いているからファゴットやらない」って言われて。声が低いからなのか、息の使い方が低音向きなんだそうです。ファゴットって何のことかわからないまま、京都市交響楽団の仙崎和男先生を紹介されて、お宅に伺ってファゴットを吹かせていただいたら、ストラヴィンスキーの「春の祭典」で最初に出てくる高いc(ド)の音が出たんです。「出るねぇ、やってみる」ってなりました。

— 近年は団員の入れ替わりも多くなりましたが、オーケストラのカラーは変わりましたか。

大阪のオーケストラのローカルな色を一番残してるのは、うちの楽団かなと思うんです。いわゆるコテコテな、調子にのるとどこまでも行くところですね。人が変わってもそれは残っていってほしいなと思うんです。自分自身のことでは、他の人に迷惑をかけないよう技術を保つために、自分で納得できるまでの練習をして、それでまかなう以外に方法はないのかなという気がします。
 
西浦豊写真:(C)飯島 隆
 
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
 
~プログラムマガジン2017年度1・2月号掲載~
 
 
 
 
 

インタビュー 荒木 雅美(チェロ奏者)

2017-01-01
荒木 雅美(チェロ奏者)
— 入団された頃の思い出は。

メンバーになったのは32年前ですね。あっという間でした。もう2番目に古い団員になるんです。当時はみんな20代だったから、学生のクラブみたいな雰囲気で、チケットも自分で売る分が割り当てられて…。変わりだしたのは、やっぱりトーマス・ザンデルリンクさんが来てからですね。その頃、三洋電機さんがスポンサーに付いてくださって、担当の人たちと一緒に野球の試合をして親交もはかりましたよ。

— ザンデルリンクさんはどんな方でしたか。

音楽バカっていう人なので、シャツはズボンから出てるし、音楽以外は何もできない感じ。いつも私たちはキンダーガーデン(幼稚園児)って怒られてました。それでも腹を立てながらも、本番が終わると達成感があって、うちのオケが変わったきっかけは、やっぱりザンデルリンクかな。

— チェロを始めたのは。

相愛中学校にピアノ専攻で入ったんですけど、ピアノの競争に性格的についていけなくて、中学2年の時に「あんた身体大きいからチェロどうや」って言われたんです。それで始めたんですけど、もともと自分の声が低いからなのか、高い音には興味がないんです。やっぱり人間の声に近いと言われる音がチェロの魅力ですね。辞めないでこられたのは自分に合ってたんだなぁと思います。
— チェロを弾く、オーケストラならではの魅力って何でしょうか?
自分の楽器と他の楽器がきちんと響き合えた時の厚みですね。パートの中だけでなくて、音域の近いホルンとかトロンボーンとか、さらにオーケストラ全体が一体になった時の感覚です。

— 今までオーケストラと過ごしてきた中で、最も印象に残る出来事は?

阪神淡路大震災の時にちょうど妊娠中だったんです。私自身は大阪に住んでいたんですが、多くの人が亡くなりましたし、直後に神戸の無茶苦茶になった街並みを見てショックを受けました。その後(1995年の)5月の神戸の演奏会で、スメタナの「モルダウ」で月の光が照る部分を弾いていた時に、お腹の中にいる子供がポコポコって蹴ったんですよ。ああ命がここにあるんだって、こんな幸せはないなと、この命を大事に守りながら演奏を続けていければいいなと思いました。音楽って人間にとって密接なつながりがあるんだと感じましたね。主人も団員で同じ舞台に立っていたので、夫婦というよりも運命共同体のように同じモノを創り上げる場を共有していました。反省点はいっぱいあるんですけど、それも踏まえて幸せだったと思います。主人は亡くなりましたけど、今もずっと一緒にステージに乗っているような気持ちで演奏しています。もうあと何年かでこの生活も終わるかもしれませんが、良かったことしか浮かんでこないですね。
 
荒木雅美写真:(C)飯島 隆
 
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
 
~プログラムマガジン2017年度1・2月号掲載~
 
 
 
 
 

インタビュー 花石 眞人(パーカッション首席奏者)

2016-11-01
花石 眞人(パーカッション首席奏者)
パーカッション首席奏者
花石 眞人


— 打楽器を始めたのは。

中学1年で吹奏楽部に入ってからですね。吹奏楽の楽器はトランペットぐらいしか知らず、まずはトロンボーンに配属が決まったんです。が、実は小学校の高学年の頃から当時流行っていたロックバンドのベイシティローラーズに憧れていて、ドラムセットが棚に入ってるのが見えたんですよ。そこで「先生これやりたい!」と。
 

— 音楽大学に行くきっかけは。

顧問の先生が勧めてくれて。プロになりたいというよりは追及したいという気持ちが強く、高校1年の春から個人レッスンに通い始めました。でもオーケストラプレーヤーになりたかったわけではないんです。京都市立芸術大学在学中も学外でロックバンドの活動もしていたし、学内では芝居のサークルにも入ってたんですよ。周りは全員美術学部の中で、音楽学部は僕一人。きっと舞台とか、人前で「何か」を共有するのが好きなんですね。だからどういう楽器がじゃないんです。ずっと独学でギターもやっているんですけど、10本ぐらい持っていて今はウクレレ、バンジョーまであります。
 

— オーケストラの中での打楽器の魅力は何でしょう。
 
まず弦楽器や管楽器が奏でる旋律があって、そこにハーモニーが付いて、他の楽器も含めてリズムを刻む中で、僕ら打楽器は雑音(ノイズ)に過ぎないのですが、その雑音をいかに楽音に近づけて一緒に音楽を作るかということをしています。弦楽器や管楽器では出せないものを担っているんです。作曲家にとっても最後に加えるスパイスみたいなもので、打楽器で音楽の味をひきしめたり華やかにさせていると思います。
 

— オーケストラの打楽器ならではの難しさは。
オーケストラは弦楽器が主体なので、一番後ろに控える打楽器は、指揮者に近いところからは距離や時差もあります。オーケストラをひとつにしたいのに、もどかしい思いをすることもありますが、打った音で空気が変わることがあるんです。破裂した瞬間に、ビッグバンじゃないけどホールが広がるように感じますが、聴いている人はそこに感動を覚えるんじゃないでしょうか。シンバルを「ジャン」と鳴らしたり、トライアングルの一音でオーケストラを動かすこともできると思います。
 

— 打楽器の出番を待っている時は何をしているんですか。
寝てます(笑)。でも微動だにせず一点を見つめているのも不自然だと思いませんか?もちろんちゃんと聴いているし、そろそろ出番だなというのはわかっていて、ステージの上でオンとオフを作っています。お客様の表情を眺めていることも多いし。なるべくリラックスをして自分が演奏する時に精一杯力を出せるように。ただ大きく鳴らせばいいというものではないから。でも、他の楽器からは「休みが多くていいねっ」て言われるし、音出すと大きいって睨まれて、一番ストレスの多い楽器なんです。けれど周りの顔色を見て媚びを売るように演奏することはしたくない。作曲家が望む音楽に対して謙虚にやっていきたいし、聴いていただくお客様のために演奏したいです。
 
花石 眞人写真:(C)飯島 隆
 
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
 
~プログラムマガジン2016年度11・12月号掲載~
 
 
 
 
 

インタビュー ウラジミール・スミコフスキー(ヴィオラ副首席奏者)

2016-11-01
スミコフスキー(ヴィオラ副首席奏者)
ヴィオラ副首席奏者
ウラジミール・スミコフスキー

— 音楽を始めたのは。そしてヴィオラという楽器について教えてください。
 
生まれ故郷のウクライナのオデッサにあるオペラハウスで、5歳から少年合唱団に所属して歌っていました。男の子には変声期があるので、ヴァイオリンを始めることになったのが8歳の時です。その後、サンクトペテルブルクの近くのプスコフで音楽大学に入って、ヴァイオリンとサクソフォンを専攻しました。大学の4年の時にヴィオラに転向します。さらにコンセルヴァトワール(ウファ国立芸術院)で学んだ後に、オーケストラに所属したのです。私は深く甘いヴィオラの音が好きですが、とても難しい楽器です。重さがあることに加えて、ヴァイオリンと比べると弦の圧力が強いのです。そして本来のヴィオラの音域を出すためには、楽器の大きさが47cmぐらいは必要なのですが、これでは大きすぎて誰も弾けません。今はほとんど39cmほどの楽器を皆さん使っていて、これではあまりきれいな音が出ないのです。私の楽器は42cmあります。
 
— 日本に来られたきっかけは。そして日本人が奏でる音楽を、どのように感じますか。
 
ノヴォシビルスクの音楽大学の教授の紹介でした。1年間だけのつもりだったのですが、日本で妻となる人に出会ってしまって、もう23年になりました。ロシアと違って、日本の音楽環境の弱いところは子供たちのための音楽学校がないところです。日本人は楽器を弾くテクニックは素晴らしいのに、音楽が豊かではない。例えば多くの日本人の指揮者は、今取り組んでいる作品が何のために創られたのかという話を練習でほとんどしません。音のイメージが貧弱なのです。でも日本のお客様のことはとても好きです。毎回これだけ沢山の人が演奏会に足を運ぶということに驚きます。でももう少し音楽に厳しくなって欲しい。日本の聴衆は優しいですね。
 

— 20年以上日本のオーケストラで弾いてきてどんなことを感じますか。
 
日本のオーケストラはどこも同じキャラクターを持っているように思います。一人一人のテクニックは本当に素晴らしいんですが、どんな音楽をしても一緒になってしまうのです。チャイコフスキーにはチャイコフスキーの、ベートーヴェンにはベートーヴェンのスタイルがあるはずです。セクションでの練習もしないといけないと思います。ロシアでは弦楽器を1プルトごとに弾かせたりもするんですよ。練習の方法も違いますね。そして、日本人はメロディを歌わせるのは上手なのに、伴奏が機械的で大きすぎるように思います。どの音符も同じように弾いてしまうんです。C.P.E.バッハの「あなた自身が音楽に感動しなければ、聴き手を感動させることはできないだろう」という言葉を、同僚たちにはぜひ心に留めていてほしいと願っています。
 
ウラジミール・スミコフスキー 写真:(C)飯島 隆
 
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
 
~プログラムマガジン2016年度11・12月号掲載~
 
 
 
 
 

新入団員のお知らせ 青木宏朗(ホルン副首席奏者)

2016-09-01
青木 宏朗(ホルン副首席奏者)
9月1日付でホルン副首席奏者に
青木 宏朗(あおき ひろあき)が入団いたしました。

▶︎東京音楽大学卒業。第83回日本音楽コンクール ホルン部門最高位(1位なし2位)他、多数のコンクールで上位入賞。2014年9月~2016年8月まで兵庫芸術文化センター管弦楽団にてコアメンバー(ホルン)として勤務。これまでにホルンを五十畑勉、水野信行、山岸博、松崎裕、ジョナサン・ハミル、深村友一の各氏に師事。
 
メッセージ
大阪交響楽団の先輩方と一緒に演奏できることを嬉しく思っています。より良い演奏を目指して全力を尽くします。どうぞよろしくお願いします。
 
 
 
青木宏朗写真:(C)飯島隆
 
公益社団法人大阪交響楽団
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