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楽団員紹介

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インタビュー 津末 佐紀子(オーボエ首席奏者)

2018-07-23
津末佐紀子(オーボエ首席奏者)
— 楽器を始めたきっかけは?

中学校の吹奏楽部から始めたのですが、第1希望がオーボエでした。先輩の楽器紹介でいい音だなと思ったんです。小学校の時に鼓笛隊に入っていたので、中学校に入ったら吹奏楽部か、従兄弟が入っていたテニス部の、どちらかとは考えていました。担任の先生が吹奏楽部の顧問だったのが決め手になりました。

— オーボエを始めてみて、いかがでしたか?

難しい、音が出ない、唇を巻きっぱなしにできない、と難しいことばかりでした。リードだけで吹いて2時間とか、不思議な練習もしましたよ(笑)。中2までは学年で一番下手だったのですが、中3ぐらいでやっと人並みに吹けるようになりましたが、高校に入ったら辞めようと思っていました。でも高校にオーボエがいなくって、「楽器買うから入って」って先生に言われて、やることになったんです。中学校の時にプロ仕様のいい楽器を吹かせてもらっていたのですが、高校の楽器はスクールモデルだったので物足りず、結局は親に楽器を買ってもらいました。そこからちゃんとやり始めて、文系か理系かを決める段階になって、漠然とオーボエかなと考え出したんです。

— 音大に入ってどの時点でプロの奏者になろうと意識しましたか。

ドイツに留学したいというのはあって、3年生の冬にオーボエのクラスでドイツ旅行に行きました。その時に初めてオペラを二つ観て、一つは楽しかったんですが、もう一つはドイツ語もわからないし、つまらないなと思って観たのが「さまよえるオランダ人」(ワーグナー)でした。だけど、なぜかオペラがやりたいって思ったんです。それまでは、やる機会もないし、触れることもなかったんですけど、帰ってきてから図書館でDVDを見たり、興味がわいて、この時ぐらいからオーケストラで吹きたいと意識したように思います。

— その後、ドイツに留学されますね。

大学を卒業した年の9月から留学しました。ドイツには5年半いて、特にメンタル面が強くなりました。大変な事もたくさんありましたが楽しかったです。研修団員という形でオペラを演奏することができ、ますますオペラが好きになりました。初めてのものばかりで、リハーサルなしでいきなり本番であってもやるしかなかった。そのおかげで対応力が鍛えられました。

— 日本に帰ってきてほどなく、オケマンとしての生活が始まりましたね。

ドイツではほとんどがオペラでしたし、2番を吹いていました。それが大阪交響楽団に入って1番を吹くことになり、勝手が違ったんです。何を頼りにしたらいいのかもわかりませんでした。最初は辛かったです。周りの目を気にし過ぎていたように思います。ある時点で「自分でいよう」と考え直し、少しずつ軌道に乗っていきました。ちょうど在籍10年になりましたが、演奏していると前からも横からも後ろからも音が聞こえる、いい位置にいるなぁと実感しています。休団して久しぶりに復帰したら、改めてオケって楽しいなって思いました。
 
 
 
 
津末佐紀子写真 (C)飯島 隆
 
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
 
~プログラムマガジン2018年度7・8月号掲載~
 
 
 
 
 

インタビュー 坂口 雅秀(ヴィオラ奏者)

2018-07-23
坂口雅秀(ヴィオラ奏者)
— 入団はいつですか?

ルーマニアに演奏旅行(2002年12月)へ行った頃でした。それ以前に、エキストラでヴァイオリンでも来ていたのですが、雰囲気が自由で、個性のあるオーケストラだという印象を持っていたんです。弾いていて楽しいなと感じていました。毎回毎回チャレンジができるんです。今でもその思いはあります。
— ヴィオラで入団されたんですね。
ヴァイオリンと両方弾いていたんですが、入団を機にヴィオラに専念しました。気持ちいいんですよ、ヴィオラは。音域もオーケストラの中での役割も好きです。目立たないように隠し味に徹する一方で、時々、スパイスのような刺激も求められます。

— 最初、ヴァイオリンを始めたきっかけは。

小学校4年生の時に、父から「柔道か、ヴァイオリンか、どちらをやるか選べ」と言われて、「柔道は痛そうだな」と思って、ヴァイオリンを始めました。音楽は小さい時からずっと好きでした。リズムを刻むことに興味があったんです。タイヤに巻きつけたチェーンが、回転と共に一定のリズムになるのを眺めるのが好きだったりもしました。専門的に楽器を始めたのはヴァイオリンが初めてです。

— ヴァイオリンを職業にするきっかけは?

実は「なんとかなるわ」というつもりできました。ヴァイオリン以外できないだろうなと思っていたところはあります。大阪教育大学を卒業して、ヴァイオリンで仕事を始めたんですが、大学の先生のつながりで、少しずつエキストラにも呼んでもらえることができて、音楽家同士のヨコの関係も作ることができました。本当に何にも考えていませんでしたが、10年ぐらいはフリーで活動しました。

— 入団して生活は変わりましたか。

同時期ぐらいに結婚したんです。引越しもして、大幅な変化でした。周りもびっくりするぐらい、すぐにオーケストラには馴染めたように思います。

— 近年、オーケストラとして変わってきたことは

メンバーが増えて、個人個人の自由も持ちながら、オーケストラとしての方向性が出てきたように思います。

— 印象に残っている演奏会はありますか?

少し前ですが、ヴラディミール・ヴァーレクさん(2004年9月から2008年3月まで、首席客演指揮者)が指揮する本番のときに、棒を振っている姿がすごく大きく見えて、エネルギーが迫ってくるのを感じました。ああ、これが本物だなと。

— ヴィオラ以外に楽しいことは?

植物や鳥が好きなんです。妻も好きなので、一緒に「今日は大阪城公園に、三光鳥が2羽いたよ」とか言い合っています。三光鳥って「月、日、星、ホイホイホイ」って鳴くんですよ!
 
 
 
坂口雅秀写真(C)飯島 隆
 
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
 
~プログラムマガジン2018年度7・8月号掲載~
 
 
 
 
 

インタビュー 中西 順(ホルン奏者)

2018-07-06
中西 順(ホルン奏者)
— 最近、印象に残っている演奏会はありますか?

外山雄三先生が振られたチャイコフスキーですね(2018年2月22日、第216回定期演奏会での「交響曲第4番」)。楽譜を読んで音楽を創る、そこから音楽が生まれるという原点を痛感させられました。

— ホルンはいつからですか。

高校の時にホルンを始めました。中学では野球をやっていました。中学に吹奏楽部はなかったのですが、音楽室の横に楽器庫があって、そこにあったサックスを吹いてみたかったんです。ちょうど、ザ・スクェアとか渡辺貞夫とか、その頃バンドブームだったんです。リードも見よう見まねでプラスティックを削って作ってみました。教則本を買ってきて、一人でやってみたんです。その後高校に入学すると、サックスをやりたくってブラスバンドに入りました。そしたら中学からの経験者がいたので、サックスはできなくって、先輩から渡されたのがホルンだったんです。初めて見ました。全然音が鳴らなくって、まったくの初心者から始めました。

— 面白くなったのは?

ちょうど音が出だした頃、友達がデニス・ブレインが吹くモーツァルトのレコードを貸してくれたんです。すごく格好良くて、いい音がしたので、やってみようと思いました。高3の時、親戚のおじさんの一つのことを突き詰めたら良いことがあるという言葉に後押しされて、「音楽大学に行きたい」と考えたのですが、大学に入ったら上手い人ばっかりで、びっくりしました。ずっと負けっぱなしだったんですが、いい環境だったと思います。音だったり音楽だったり、また楽器に対しての姿勢を学ぶことができました。

— 卒業して留学されますね。

ケルン音楽大学のアーヘン校に留学して、最初に(ドヴォルザークの交響曲第9番)「新世界より」を演奏会で聴いたんです。すごく上手だけど、どこで聴いても「新世界」は「新世界」だと妙に納得させられました。まったく違うものが聴こえて来るような気がしていたんです。結局、ドイツには4年いました。

— 日本に戻って、フリーランスで活動されるんですね。

帰ってきて2ヶ月で阪神淡路大震災が起こったという時期でした。その後、あちこちのオーケストラにエキストラで吹くことができたのですが、日本のオーケストラって繊細だなと思いました。

— その後、当時の大阪シンフォニカーに入団されて現在に至ります。

入団して約20年になるんですが、まだまだです。登山家の三浦雄一郎さんみたいに一生現役で、というような意気込みでやって行けたらいいなと思います。いい音が出た時は、オケっていいなと感じるし、お客様の大きな拍手で、また頑張ろうと励まされます。
 
 
 
中西 順写真(C)飯島 隆
 
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
 
~プログラムマガジン2018年度4・5・6月号掲載~
 
 
 
 
 

インタビュー 西村 彩(ヴァイオリン奏者)

2018-07-06
西村 彩(ヴァイオリン奏者)
— 最近、印象に残っている演奏会はありますか?

和歌山の田辺で演奏したベートーヴェンの「田園」(交響曲第6番)と「運命」(交響曲第5番)です(2018年2月17日、紀南文化会館大ホール)。外山先生の指揮でしたが、楽譜に忠実にというのをもとにされて、妥協がないんです。詰めの甘いところはすぐに指摘されますし、何より本番に全身全霊で集中して、全力を出すことを求められます。

— 入団していかがでしたか?

1995年7月にメンバーになりました。大学在学中にオーディションがあったんです。最初は、知らない曲がどんどんやってきて譜読みが大変でした。今でも知らない曲の譜読みは大変です。個人的には去年弾いたフランツ・シュミットの交響曲第2番(2017年4月13日、第209回定期演奏会)が本当に難しかったです。それまでの個人的な史上最高難易度ランキング1位がウォルトンの交響曲第1番だったんですが、それを塗り替える作品が現れたというわけで、今までも、そしておそらくこれからもずっとそういうことの繰り返しです。それでも、ハーモニーが決まった、うまくいったと思えた時は、オーケストラで弾いていてよかったと感じますね。 何も知らないところから仕事を始めたので、その過程の中で色々なことを勉強したり、知ることができました。入団して10年ぐらいした時に、ウィーンへ留学することができたのは、とても良い経験でした。

— 留学して何が変わりましたか?

自分のテクニックの向上はもちろんのこと、ウィーンはいるだけで、音楽がしたくなるような環境でした。落ち着いた豊かなエネルギーがあって、文化そのものに余裕があるように感じ、そういう余裕をいいなと思うようになりました。1年だけだったのですが、春夏秋冬の移り変わりを感じることができて、(ベートーヴェンの)「田園」の嵐の部分のように、本当にポツポツときたと思ったら、急にザーッと雨が降ってくるんですよ。人との出会いにも恵まれて、本当に良くしていただきましたし、風土を肌で感じながら歴史ある街で勉強できてその後の大きな財産となっています。以前に大学院に行ったのも入団後でしたし、仕事をしながらこうやって勉強させていただけたのは大変幸せなことで、本当にありがたいと感謝しております。

— ヴァイオリンを始めたきっかけは。

子供の頃姉がピアノをやっていて、家でアンサンブルできたら楽しいのではという母の考えで、6才の時「ヴァイオリンやってみる?」と言われて、「うん」と答えたら、当時北九州に住んでいたのですが、篠崎ヴァイオリンスクールというところに連れて行かれました。現在N響コンマスの篠崎史紀さんの御両親が教えられているところで、そこでヴァイオリンを弾く楽しさを教えていただきました。その後ご指導いただいた先生方にも仲間にも、友人や家族にも恵まれて、今まで続けることができてありがたいと思っています。
 
 
 
西村 彩写真:(C)飯島 隆
 
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
 
~プログラムマガジン2018年度4・5・6月号掲載~
 
 
 
 
 

新入団員のお知らせ 南條 聖子(ヴィオラ奏者)

2018-04-13
南條 聖子(ヴィオラ奏者)
2018年2月1日付でヴィオラトゥッティ奏者に
南條 聖子(なんじょう しょうこ)が入団いたしました。

▶︎京都市立堀川高等学校音楽科を経て京都市立芸術大学音楽学部を卒業。2009年 京都フランス音楽アカデミーを受講の際スカラシップを得て、フランス・サント古楽フェスティバルにオーケストラのメンバーとして参加、フランス各地で演奏。2012年より長岡京室内アンサンブルのメンバーとして演奏会や録音に参加する。
 
メッセージ
客員奏者として初めてプロのオーケストラで演奏したのが大阪交響楽団でした。それ以来、沢山のコンサートで演奏させて頂いたことは私のこれまでの音楽人生の糧となっています。そして今は、団員としてこれからここで体験していく事や出会う人たちとの交流にワクワクしています。コンサート会場で皆様をお待ちしておりますので、私達の音を楽しみに何時でもいらして下さい!
 
 
 
南條聖子写真:(C)飯島隆
 
公益社団法人大阪交響楽団
Osaka Symphony Orchestra
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大阪府堺市堺区
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