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楽団員紹介

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インタビュー 中西 順(ホルン奏者)

2018-07-06
中西 順(ホルン奏者)
— 最近、印象に残っている演奏会はありますか?

外山雄三先生が振られたチャイコフスキーですね(2018年2月22日、第216回定期演奏会での「交響曲第4番」)。楽譜を読んで音楽を創る、そこから音楽が生まれるという原点を痛感させられました。

— ホルンはいつからですか。

高校の時にホルンを始めました。中学では野球をやっていました。中学に吹奏楽部はなかったのですが、音楽室の横に楽器庫があって、そこにあったサックスを吹いてみたかったんです。ちょうど、ザ・スクェアとか渡辺貞夫とか、その頃バンドブームだったんです。リードも見よう見まねでプラスティックを削って作ってみました。教則本を買ってきて、一人でやってみたんです。その後高校に入学すると、サックスをやりたくってブラスバンドに入りました。そしたら中学からの経験者がいたので、サックスはできなくって、先輩から渡されたのがホルンだったんです。初めて見ました。全然音が鳴らなくって、まったくの初心者から始めました。

— 面白くなったのは?

ちょうど音が出だした頃、友達がデニス・ブレインが吹くモーツァルトのレコードを貸してくれたんです。すごく格好良くて、いい音がしたので、やってみようと思いました。高3の時、親戚のおじさんの一つのことを突き詰めたら良いことがあるという言葉に後押しされて、「音楽大学に行きたい」と考えたのですが、大学に入ったら上手い人ばっかりで、びっくりしました。ずっと負けっぱなしだったんですが、いい環境だったと思います。音だったり音楽だったり、また楽器に対しての姿勢を学ぶことができました。

— 卒業して留学されますね。

ケルン音楽大学のアーヘン校に留学して、最初に(ドヴォルザークの交響曲第9番)「新世界より」を演奏会で聴いたんです。すごく上手だけど、どこで聴いても「新世界」は「新世界」だと妙に納得させられました。まったく違うものが聴こえて来るような気がしていたんです。結局、ドイツには4年いました。

— 日本に戻って、フリーランスで活動されるんですね。

帰ってきて2ヶ月で阪神淡路大震災が起こったという時期でした。その後、あちこちのオーケストラにエキストラで吹くことができたのですが、日本のオーケストラって繊細だなと思いました。

— その後、当時の大阪シンフォニカーに入団されて現在に至ります。

入団して約20年になるんですが、まだまだです。登山家の三浦雄一郎さんみたいに一生現役で、というような意気込みでやって行けたらいいなと思います。いい音が出た時は、オケっていいなと感じるし、お客様の大きな拍手で、また頑張ろうと励まされます。
 
 
 
中西 順写真(C)飯島 隆
 
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
 
~プログラムマガジン2018年度4・5・6月号掲載~
 
 
 
 
 

インタビュー 西村 彩(ヴァイオリン奏者)

2018-07-06
西村 彩(ヴァイオリン奏者)
— 最近、印象に残っている演奏会はありますか?

和歌山の田辺で演奏したベートーヴェンの「田園」(交響曲第6番)と「運命」(交響曲第5番)です(2018年2月17日、紀南文化会館大ホール)。外山先生の指揮でしたが、楽譜に忠実にというのをもとにされて、妥協がないんです。詰めの甘いところはすぐに指摘されますし、何より本番に全身全霊で集中して、全力を出すことを求められます。

— 入団していかがでしたか?

1995年7月にメンバーになりました。大学在学中にオーディションがあったんです。最初は、知らない曲がどんどんやってきて譜読みが大変でした。今でも知らない曲の譜読みは大変です。個人的には去年弾いたフランツ・シュミットの交響曲第2番(2017年4月13日、第209回定期演奏会)が本当に難しかったです。それまでの個人的な史上最高難易度ランキング1位がウォルトンの交響曲第1番だったんですが、それを塗り替える作品が現れたというわけで、今までも、そしておそらくこれからもずっとそういうことの繰り返しです。それでも、ハーモニーが決まった、うまくいったと思えた時は、オーケストラで弾いていてよかったと感じますね。 何も知らないところから仕事を始めたので、その過程の中で色々なことを勉強したり、知ることができました。入団して10年ぐらいした時に、ウィーンへ留学することができたのは、とても良い経験でした。

— 留学して何が変わりましたか?

自分のテクニックの向上はもちろんのこと、ウィーンはいるだけで、音楽がしたくなるような環境でした。落ち着いた豊かなエネルギーがあって、文化そのものに余裕があるように感じ、そういう余裕をいいなと思うようになりました。1年だけだったのですが、春夏秋冬の移り変わりを感じることができて、(ベートーヴェンの)「田園」の嵐の部分のように、本当にポツポツときたと思ったら、急にザーッと雨が降ってくるんですよ。人との出会いにも恵まれて、本当に良くしていただきましたし、風土を肌で感じながら歴史ある街で勉強できてその後の大きな財産となっています。以前に大学院に行ったのも入団後でしたし、仕事をしながらこうやって勉強させていただけたのは大変幸せなことで、本当にありがたいと感謝しております。

— ヴァイオリンを始めたきっかけは。

子供の頃姉がピアノをやっていて、家でアンサンブルできたら楽しいのではという母の考えで、6才の時「ヴァイオリンやってみる?」と言われて、「うん」と答えたら、当時北九州に住んでいたのですが、篠崎ヴァイオリンスクールというところに連れて行かれました。現在N響コンマスの篠崎史紀さんの御両親が教えられているところで、そこでヴァイオリンを弾く楽しさを教えていただきました。その後ご指導いただいた先生方にも仲間にも、友人や家族にも恵まれて、今まで続けることができてありがたいと思っています。
 
 
 
西村 彩写真:(C)飯島 隆
 
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
 
~プログラムマガジン2018年度4・5・6月号掲載~
 
 
 
 
 

新入団員のお知らせ 南條 聖子(ヴィオラ奏者)

2018-04-13
南條 聖子(ヴィオラ奏者)
2018年2月1日付でヴィオラトゥッティ奏者に
南條 聖子(なんじょう しょうこ)が入団いたしました。

▶︎京都市立堀川高等学校音楽科を経て京都市立芸術大学音楽学部を卒業。2009年 京都フランス音楽アカデミーを受講の際スカラシップを得て、フランス・サント古楽フェスティバルにオーケストラのメンバーとして参加、フランス各地で演奏。2012年より長岡京室内アンサンブルのメンバーとして演奏会や録音に参加する。
 
メッセージ
客員奏者として初めてプロのオーケストラで演奏したのが大阪交響楽団でした。それ以来、沢山のコンサートで演奏させて頂いたことは私のこれまでの音楽人生の糧となっています。そして今は、団員としてこれからここで体験していく事や出会う人たちとの交流にワクワクしています。コンサート会場で皆様をお待ちしておりますので、私達の音を楽しみに何時でもいらして下さい!
 
 
 
南條聖子写真:(C)飯島隆
 

新入団員のお知らせ 伊藤 瑳紀(ヴァイオリン奏者)

2018-04-13
伊藤 瑳紀(ヴァイオリン奏者)
2018年2月1日付で、ヴァイオリントゥッティ奏者に
伊藤 瑳紀(いとう さき)が入団いたしました。
 
▶︎桐朋学園大学音楽学部を経て、昭和音楽大学大学院修士課程修了。桐朋学園在学中にラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン、音大オケフェスティバルなどに参加。昭和音楽大学大学院ではフェスタサマーミューザに参加。PMF2017に参加。第23回日本クラシック音楽コンクール全国大会大学女子の部第5位。(最高位)。ジェラール・プーレ氏に師事。
 
メッセージ
セカンドヴァイオリンに新しく入団いたしました、伊藤瑳紀です。オーケストラで演奏することを夢見て日々練習してきたので、その夢が叶い大変嬉しく思います。この伝統あるオーケストラに相応しい音が奏でられるよう、これから精進して参りますのでよろしくお願い致します!
 
 
伊藤瑳紀写真:(C)飯島隆
 

インタビュー 小谷 康夫(ティンパニ首席奏者)

2018-02-26
小谷 康夫(ティンパニ首席奏者)
— 楽器を始めたのは。

小学校5年生の時の鼓笛隊で、最初は打楽器ではなくトランペットでした。親がピアノの教師だったので3歳からピアノは習いましたが、反抗期に入ると嫌になっていました。それが、電子オルガンをしたら面白くって、その頃に解散直後だったビートルズを好きになったんです。赤盤と青盤(ベスト盤)、それから『ホワイトアルバム』ばっかり聴いてました。“レット・イット・ビー”は好きでしたね。それで鼓笛隊での担当が、途中でなぜかラッパから太鼓に変わったんです。この時点ですでに音楽で職業に就きたいという気持ちがありました。中学校で吹奏楽部に入ると、またトランペットだったんですが、電子オルガンを習いに行きながら、ドラム・セットを始めました。それでロックにはまったんです。「ディープパープル」命ですよ。高校の吹奏楽部でも最初はトランペットだったんですが、すぐにパーカッションがやりたくって変わりました。その後、音楽大学を受けたいということになって、マリンバを始めたというわけです。

— そこから演奏家になるまでは、まっしぐらだったんですか。

大学時代に半分は教師になろうと思ってました。親の意向もあって教員採用試験も受けて合格しましたが、面接を受ける段階になって、やっぱり演奏家の道を選びました。日本管打楽器コンクールの1回目がちょうど卒業する年だったんです。実は大学の卒業試験を風疹で受けられなくなって、卒業演奏会に出られなかったことを挽回するためにも頑張って、3位に入賞できました。
その後は各オーケストラとか当時の大阪府音楽団にエキストラに行きだして、そのうちに大阪シンフォニカーに入ることになったんです。ですが、楽団が給与制になる時に自由な活動がしたくって、一旦退団しました。ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団に10数年所属の後に、再びシンフォニカーへ戻ってきました。寺岡清高さんが正指揮者になった頃です。

— 指揮者陣の中ではどなたが印象深いですか。

外山先生はミュージック・アドバイザーに就任前でしたが、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」をやった時に、第4楽章の息の止まりそうなゆっくりとしたテンポは、他の人にはまねのできない緊張感だと思いました。児玉宏さんとのブルックナーはどれも記憶に残っています。

— ティンパニの魅力を教えてください。

一番はオーケストラを動かすことができること。決め所を握っている感覚はあります。ベートーヴェン、ブラームスなんかをすると特に感じますね。若い時は大きい音でアインザッツ(音の出だし)を決めるところが気持ち良かったのですが、今はコントラバスとタイミングや音程を合わせて、響きの一体感を作るのが楽しくなりました。叩くんじゃなくて響かせる感覚が大事なんだと思います。

— 大阪交響楽団らしさとは?

音楽に対して情熱があって、実際の年齢ではなく、若い感覚を持ったメンバーが多いと思います。気が若いですね。
 
 
 
 
小谷康夫写真:(C)飯島 隆
 
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
 
~プログラムマガジン2018年度1・2月号掲載~
 
 
 
 
 
公益社団法人大阪交響楽団
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大阪府堺市堺区
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