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楽団員紹介

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インタビュー 小曲 善子(ホルン副首席奏者)

2019-07-02
小曲 善子(ホルン副首席奏者)
— ホルンはいつから始めましたか
 
中学の吹奏楽部です。水泳部と迷ったんですが、ブラスに入ってクラリネットをやりたかったのにジャンケンで負けて、一番難しそうなホルンにまわされて、3日間ぐらいマウスピースを吹いても音が出なくって「どうしよう」と思ったところから。それでも2年生になる時に吹かせてもらったソロがまあまあうまくいって、中3の時に赴任してきた顧問の先生にすごくほめてもらったんです。大学は吹奏楽部が有名なところに行って、将来は高校の教師と吹奏楽部の顧問になると思っていました。
 
— それが?
 
学校の先生になるなら音楽大学を出た方がいいって言われたんですよ。高1から地元の先生に習って、高2から猶井正幸先生についたんです。めっちゃくちゃ、あがり症でした。入試は緊張して落ちて、浪人です。そこで、メンタルを強くする本を読んで、知らない中学生の前や、ピアノの発表会で吹いたりしたら、ご飯が食べられなくなって胃潰瘍になるほど。それでもなんとか相愛大学に推薦入試で通りました。
 
— 当時、挫折はありましたか
 
高1でついた先生にアンブシュア(唇の当て方)を全部変えられて、3オクターブぐらい出ていたのが5音しか出なくなりました。吹奏楽部の合奏にも入れず、一人寂しく運動場の片隅で、鏡を見てロングトーンを2ヶ月ぐらい続けました。次は高3で入試に落ちて「私の人生終わった」と思った時です。
 
— 大学に入ってからは?
 
相愛の1回生の試験で、口がカラカラになって音がパスパスになったんです。一度克服したはずの緊張という壁でした。3回生の時に猶井先生が相愛を辞められ、次に来られたのが大阪センチュリー交響楽団(当時)の向井和久先生でした。最初「めっちゃ、偉そう」な態度を取ってしまったんです。それでも、色々な人を紹介してくだって、飲み会にも連れて行ってもらいました。だんだん先生のことが好きになって、オケマンになりたいと思い始めます。教職の受講をやめたら練習時間ができました。すぐにオーディションを受けろと言われましたが、合格するはずもありません。卒業後もレッスンは続け、秋にこの楽団のオーディションで合格できたんです。
 
— 入団後は順調でしたか
 
最初の4、5年は初めての曲ばかりで、毎日練習後は帰って練習して、翌朝も練習してという毎日でした。それでも、先輩には良くしてもらい、同年代が次々に増えて友達も沢山できました。吉岡君が入ってきて、ボウリングによく行ったんですよ。
 
— オーケストラでホルンを吹く醍醐味は?
 
1番ホルンを支えることができたと思えた時と、ホルンの4人でサウンドがまとまった瞬間ですね。あとは、同じ曲でも何年か前ではできなかったことが、自信を持ってできるようになった時に、自分の中の成長を感じることができます。
 
— あがり症は克服できましたか
 
今もありますよ。でも、ちょっとは楽しめるようになりました。誰でも緊張するし、上手に付き合っていくしかないです。緊張している方がうまくいくこともあります。中高生に教えるときにも、アドバイスができますね。
 
 
小曲善子写真(C)飯島 隆
 
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
 
~プログラムマガジン2019年度4・5・6月号掲載~
 
 
 
 
 

インタビュー 吉岡 克典(ヴァイオリン奏者)

2019-07-02
吉岡 克典(ヴァイオリン奏者)
— ヴァイオリンはいつから始めましたか
 
3歳になる前でしたが、実はヴァイオリンには興味がなくて、小中学校はずっとサッカーをやっていました。高校へ行く時に、ヴァイオリンをやるなら音楽科があると言われ、初めて将来のことを考えます。弾いたら、ほめられるのは嬉しかったし、巧けりゃなんとでもなる。それでも、高校に入ったら、井の中の蛙でした。先輩に小中高と全国大会で1位だった人がいたんです。その人が一日6時間練習すると言うんで、やってみたら何をしたらいいのかわからなかった。
 
— 転換点はありましたか
 
賞を取りたいと思った時に変わったように思います。先生に人の真似をするなと言われていました。「何が悪いねん」と思ってたんですが、1年生で出たコンクールで出場順が2年生と3年生にはさまれて、「やったれ」と思って弾いたのを評価してもらったのが、きっかけです。この時は予選を通ったのですが、先生には「通っても本選には出さない」と言われて、本当に出してもらえませんでした。反骨心もあって、2年の時に大阪大会で3位、3年の時に1位になりました。そこからですよ(笑)
 
— 高校を卒業して、どうしましたか
 
ヨーロッパの音楽だから、現地で習わないとと思ったんですが、半ば強制的に東京芸大を受験。実技はできたんですが、ピアノで落ちました。「これでヨーロッパに行ける」と思ったら、もう1年受けろとなりました。敷かれたレールから逃げることしか考えていませんでしたね。桐朋学園に行きたかったって先生に言って、自分で江藤俊哉先生に手紙を書いたんです。それで桐朋学園のディプロマコースに入りました。でも知り合いが誰もいない。学校も行かずにレッスンだけ行っていたんですが、しばらくして、江藤先生が倒れられてしまいました。それで、やる気がなくなってしまった。
 
— その後は?
 
ヴァイオリンやめて、働こうとも考えました。でも祖母に一度も聴かせてないと思って出た新人演奏会で弾いたら、やっぱりヨーロッパへ行きたくなりました。1ヶ月の間に決められるならという条件でチェコに行かせてもらいました。大阪の八尾市出身なので土臭いのが同じだと思って。それでプラハ音楽院でヴァイオリンのレッスン室を教えてもらって、パヴェル・クデラーセック先生に決めました。ヴァイオリンの持ち方から直してもらったんですが、2年もたたない、これからっていう時に、父が病気になって帰国します。
 
— それで仕事はどうしましたか
 
弾けるようにはなったけど、どうやったら弾ける場所が得られるのか、わからなかった。習っていた先生のリサイタルに行ったら、後輩に「今度オーディションがあるし、エキストラにも来てよ」と言われて、受けてみたんです。それで入団することになりました。オーケストラは高校の授業で少しやっただけで、右も左もわかりませんでしたが、一人では学べないことが、沢山あります。最近はアウトリーチやワークショップをやる機会が多くって、こうした裾野を広める仕事は自分の役目。好き勝手やってきた自分だからこそ、伝えられることがあるんです。
 
 
 
 
吉岡克典写真(C)飯島 隆
 
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
 
~プログラムマガジン2019年度4・5・6月号掲載~
 
 
 
 
 

インタビュー 徳田 知希(トランペット首席奏者)

2019-07-02
徳田 知希(トランペット首席奏者)
— オーケストラでトランペットを吹いていて、良かったという瞬間は?
 
僕たちのオーケストラは2管編成なので、古典の曲をやることが多いのですが、2本のトランペットとティンパニがチームになって、一つに揃った感覚が最後まで続くと非常に充実感があります。もちろんトランペットが活躍する作品もそうなのですが、そちらは、どちらかというと、吹き終えるとホッとしますね(笑)
 
— トランペットはいつから?
 
北海道の旭川出身なんですが、小学4年生で入ることになった器楽クラブです。母がPTAのコーラスをやっていて、どちらも同じ先生が指導されていたのがきっかけでした。僕の意見はほとんどなし。余っていたのがトランペットだったんです。しばらく音なんか出ませんよ。面白くなってきたのは高校生になってからです。仲間に全国選手がいて、刺激されました。練習量が増えて、試してみる、吹けるようになる、だから面白いという循環ができたんです。市民バンドで大人の人と接したことも、よい経験になりました。
 
— 音楽家になることを意識したのは?
 
教員になることしか考えてなかったんですが、「その成績では社会科は受からないぞ」と言われて、教育大学の音楽科に進学することになりました。ところが大学にはトランペットの先生がおらず、先輩に札幌交響楽団の松田次史先生のところに行くぞと連れて行かれたのが始まり。札響の演奏もよく聴くようになって、これは楽しいなと。在学中に、札響の演奏会と金管アンサンブルに仕事として呼んでいただいたこともよい経験になりました。
 
— その後はどうされましたか。
 
東京や大阪、海外に行こうとはせず、地元を地盤にプレイヤーとしての活動や、指導者としての仕事を続けていました。その中でプロのオーケストラを受験するようになって、2003年に大阪シンフォニカー交響楽団のオーディションを受けることになりました。まったく縁もゆかりもなく、事務所に電話した時「えぇ!北海道!!」と言われたんですよ。
 
— 入団後は?
 
オーケストラ曲のレパートリーを、日々追いかけることから始まりました。大変というよりも、息つく間もない感覚でした。自分のポジションを確立するまで3年ぐらいはかかったように思います。吹奏楽ではオーケストラ曲を編曲したものも演奏していましたが、オーケストラで触れた時に、全部が本物というか、先人が残したものを何も変えずにやれることの凄さを感じました。
 
— 最近で印象に残る本番はありましたか。
 
毎回濃い経験が続いているんですが、特に外山雄三先生と、スタンダードな曲を時間をかけて練習できた時には、格別な刺激を受けています。その結果、常に身体と頭を使って演奏することになります。「古典をエレガントに」と師匠に教わってきたんですが、以前モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲を演奏した時に、これが一つのあるべき姿なんだなと感じました。
 
 
 
徳田知希写真(C)飯島 隆
 
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
 
~プログラムマガジン2019年度1・2・3月号掲載~
 
 
 
 
 

インタビュー 岡本 伸一郎(アソシエイトコンサートマスター)

2019-07-02
岡本 伸一郎(アソシエイトコンサートマスター)
— アソシエイトコンサートマスターとはどんな役割なのですか?
 
私の場合は3つ役割があります。コンサートマスターを務めることもあり、コンサートマスターの隣にアシスタントとして座る場合もあります。また、前の席にコンサートマスターが二人並ぶ時は、その後ろのプルトに座ります。アシスタントの席ではコンサートマスターが何を考えているかを察知してサポートし、共に実践することに尽きますし、後ろの席では、前の二人が感じていることを後ろのプルトへ如何に正確に伝えていくかということになります。
 
— 入団はいつですか?
 
試用期間を含めると2016年9月からですから、3年目に入りました。それ以前から客演奏者としてこのオーケストラでは演奏してきましたが、最初はtuttiで、その後にセカンド・ヴァイオリンの首席として呼んで頂いていました。その都度やるべき事が変わっていきました。
 
— ヴァイオリンを始めたきっかけは?

実は生まれながらに心臓の疾患があり、大好きなスポーツには運動制限がありました。身体に負担をかけずにできることを親が考えてくれた時に、ヴァイオリンはどうだろう?ということになったんだと思います。4歳で始めました。楽しくなり出したのは高校に入る前ぐらいです。県立西宮高校の音楽科だったのですが、中学生の時に受けたコンクールで、今は同僚の吉岡克典君と出会いました。それまで自分の周りで男性でヴァイオリンをやっている人がいなかったので、とても親近感を覚えました。高校で再会してそこからですね。二人で色々な音楽を聴き漁り、楽譜を買い漁りという生活でした。
 
— それで音楽大学に行かれます。
 
大学に行く少し前からでしたが、田中千香士先生に出会って師事できたことは大きな転機だったと思います。先生に連れられて、毎年のようにフランスやアメリカに講習会やコンクールを受けに行きました。そうして、広い世界を教えていただいたことがとても大きな出来事でした。
 
— 大学卒業後はどうしたんですか?
 
すぐにスイスのジュネーヴに留学したのですが、どこまで自分がこの道でやっていけるのかをずっと考えていました。田中先生には日頃から「正式な仕事に就くまでに、自分の中に沢山貯金をためておきなさい」ということを言われていたのですが、これはつまり音楽家としての技術、経験と引き出しの多さのことです。仕事を始めるとどんどんそれを使っていく生活になる。すぐに底をつくような未熟なことではいけない。色々なものを自分の中にためておけということでした。スイスには9年いて、ジャン=ピエール・ヴァレーズという、田中先生がパリ留学時代に同級生だった方に指導して頂きました。音楽家としても師としても素晴らしい方です。
 
— 日本に帰ってくるきっかけはあったのですか?
 
2009年に田中先生が亡くなられたのですが、その1ヶ月前に一時帰国して先生とお話した時に、「日本に帰ってくるのも一つの選択肢だよ」と言われたんですね。留学する時は「向こうで骨を埋めなさい。帰って来てはダメ」と仰っていたのに。この時今まで話した事のない話を沢山する中で、自分も大人になってやっと本音で師匠と話ができたように感じました。ビザの更新も難しくなっていたので、帰るなら今だと思いました。家族のこともあって、関西に戻って仕事をすることにしましたが、人との出会いと、その後の良い関係を続けることができたご縁が膨らんで、今、この大阪交響楽団にいるのだと思います。お二人のコンサートマスターがいらっしゃる中で、そこから学んで自分ならどうするのかを常に考え、模索しているところです。
 
 
 
岡本伸一郎写真(C)飯島 隆
 
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
 
~プログラムマガジン2019年度1・2・3月号掲載~
 
 
 
 
 

新入団員のお知らせ 蔭山 真理子(ヴァイオリン奏者)

2019-01-08
蔭山 真理子(ヴァイオリン奏者)
2019年1月1日付でセカンドヴァイオリントゥッティ奏者に
蔭山 真理子(かげやま まりこ)が入団いたしました。

▶︎大阪音楽大学 卒業。2011年4月より、ザ・カレッジ・オペラハウス 管弦楽団セカンドヴァイオリン奏者。北浦洋子、宗倫匡、久合田緑、赤松由夏氏に師事。
 
メッセージ
この度、セカンドヴァイオリン奏者として大阪交響楽団で演奏させていただく事になりました、蔭山真理子です。セカンドヴァイオリンは、テンポ感やリズムを作ったり、和声の変わり目で全体の雰囲気を変化させたり、ファーストヴァイオリンとは一味違う魅力がたくさんあります。他のパートにさり気なく寄り添って内声を作り上げる作業がとても楽しく、大好きなパートです。これまで所属していたオーケストラでもセカンドヴァイオリンを担当しておりましたので、培った経験をしっかり発揮できますよう、精一杯務めたいと思います。よろしくお願い致します。
 
 
 
 
蔭山真理子写真:(C)飯島隆
 
公益社団法人大阪交響楽団
Osaka Symphony Orchestra
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大阪府堺市堺区
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