インタビュー 村瀬 司(クラリネット首席奏者)
2016-04-01
— 今となっては村瀬さんが、創設時のメンバーで在籍している、唯一の楽団員になるわけですね。
(大阪シンフォニカーが誕生したのは)ちょうど大学の4回生の時でした。その後、トーマス・ザンデルリンクさんが音楽監督になった時代に楽団の基盤がようやく整ったと捉えています。敷島鐵雄さんが事務局長として事務局に入られた頃でした。そこから20年以上が経ち、成熟した大人になってきたという感慨深いものがあります。演奏者として、できるだけオーケストラの中で大樹になれるようにと、自分自身を見つめてきたつもりです。
— 指揮者が変わることで、オーケストラに変化はあるものですか。
新しい指揮者が来るということには必然性があると思っています。色々な意見があるにせよ、オーケストラが成長していくために、その方が来られたのですから。今までの指揮者の中では、児玉宏さんが一番強烈な印象でした。我々は自分たちの意思で演奏の方法を選んでいるつもりなんですが、それが不思議と児玉さんの思う通りになるんです。練習中によく児玉さんが「僕は神様じゃないから」っておっしゃるんです。それは自分自身で決めろという意味だと理解しました。決して強制をしない。皆がそれぞれ考えて、皆で行動できるという場を、その一言で作ってしまうんですね。「神は自分の心の中にある」ということなんだと思います。
— 4月から外山雄三さんとのシーズンが始まるわけですが。
私の父もクラリネット奏者で、京都市交響楽団に在籍をしていたのですが、外山さんが京響の常任指揮者だった時代がありました。ですから、こうして親子二代にわたって外山さんにかかわることができたんだという感慨があります。外山さんもそう思ってくださっているようで、うれしいです。
— 長年オーケストラ・プレーヤーとして演奏してきて、一番大切にしてきたものは何でしょう。
自分を見失わないこと、それに尽きると思います。もちろん上を見ていなきゃいけないんですけど、今の自分にできることを常に持っているというのが、大事にしてきたことです。オーケストラのプレーヤーは過酷な職業だと思います。心がいつまでも健康にいられる方法を、何らかの形で楽団に残すことができればと思っています。
村瀬 司 写真:(C)飯島 隆
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
~プログラムマガジン2016年度4・5月号掲載~

インタビュー 森下 幸路(首席ソロコンサートマスター)
2016-04-01
— 森下さんの首席ソロコンサートマスター就任は、2001年10月でしたね。
もう15年になりますね。(当時の音楽監督・常任指揮者の)曽我大介さんに誘われて来たんです。その間に、このオーケストラはすごく変わりました。機能的になったと思うんです。その頃から機能性など、熱き想いでスタートした楽団が客演を含め様々な指揮者から我々が学んだことが多いように感じます。曽我さんを継いで、ミュージックアドバイザー・首席指揮者となった大山平一郎さんが弦楽器のトレーニングをしてくださったことも大きかった。
—(前音楽監督・首席指揮者の)児玉宏さんとの8年間はいかがでしたか。
音楽的にストレスのない演奏ができるんです。とても自然な流れがあって、児玉さん個人の呼吸感を押し付けないんです。他にそういう指揮者はいません。未知の作品を数多く演奏してきたことで、読譜力もきたえられました。
— さて、4月から外山雄三さんをミュージック・アドバイザーとして迎えますね。
一番の大きな期待は、日本のクラシック界を牽引してきた第一人者である外山先生から倣うことが多いということ。ストラヴィンスキーの指揮で演奏したという人ですからね。あと、私が仙台でコンサートマスターのキャリアを始めたのが外山先生となので、原点にかえることができるという個人的な企みもあります。
— コンサートマスターを務める上で気をつけていることは、何でしょう。
自己陶酔しないことです。ただ、常に冷静でいて、自分をコントロールしての音楽創りというものは、非音楽的だと思うんですよ。そのジレンマに苦しめられます。感情を制御しながらも、自然な息遣いで演奏できることを目指したいです。そのためには日頃の生活から、そういった心根でいないといけないと思っています。
— コンサートマスターをする時と、ソロや室内楽の時のバランスはどうやって取るのですか。
これは、必ずできると信じているとしか言いようがないんです。ただ、呼吸感は変えています。ソロや室内楽では、小さな作業がたくさんできるんですが、オーケストラは小回りがきかない。急ブレーキ、急発進はオーケストラではできないんです。大所帯だから鋭い息遣いが不自然になります。落ち着いた呼吸を心がけています。
— これからの大阪交響楽団でしていきたいことは。
この楽団ができた初心というのは、熱い思いで敷島博子さんが作ったわけですから、それを忘れずにやりたい。絶え間ぬ努力をし続けるオーケストラでありたいんです。創立の当時の気持ちを忘れないで、一回一回のコンサートをしっかりやっていきたいなと思っています。
森下幸路 写真:(C)飯島 隆
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
~プログラムマガジン2016年4・5号掲載~

新入団員のお知らせ 増山 頌子(チェロ副首席奏者)
2016-07-01

インタビュー 牛尾 佳子(ヴァイオリン奏者)
2017-10-11
— 楽器を始めたのは、いつですか。
相愛の音楽教室に通っていて、最初はピアノを習っていました。小学校に上がる時に一緒に通っていた友人とヴァイオリンを始めました。音楽教室のソルフェージュや聴音などのクラスは私には苦痛でしかなかったのですが、弦合奏やオーケストラのクラスで弾けるようになり、一緒に演奏する楽しさは何にも代えがたいものになりました。周りには演奏の上手な方がたくさんおられて刺激をうけました。高校は父の転勤でロサンゼルスの学校に転校しました。LAでもヴァイオリンの先生はすぐに見つかりましたが、車社会のLAではレッスンに行くのも車がないと行けません。母の不慣れなfreewayの運転でレッスンに連れて行ってくれた事は感謝ですね。
— ヴァイオリンを仕事にしようとするきっかけはありましたか。
オーケストラで弾けたらいいなという気持ちはずっとありました。大学を出て間もなく大阪シンフォニカーのオーディションを受けて入団しました。それ以前から、このオーケストラにはエキストラで弾きにきていました。小泉ひろしさんが音楽監督・常任指揮者の時代です。パドマ幼稚園で練習をしていて、昼間は子供たちがいるので、練習は夜でしたね。
— ずっとこのオーケストラで弾いてきて、変わってきたものはありますか。
自分が一番変化してきたのかもしれません。オーケストラで弾きながら、子育てもしてきました。子供が社会人になって、自分自身の心の変化と体力の変化を感じています。体力の維持に苦労することがありますが、それでもやっぱり前向きにやっていければと思っています。それも勉強ですね。
— 一番思い出に残る指揮者はどなたでしょう。
最近では児玉宏さん(音楽監督・首席指揮者 2008年4月〜2016年3月)ですが、トーマス・ザンデルリンクさん(音楽監督・常任指揮者 1992年1月〜2000年12月)の時は団員の意識も変わりました。音楽に対して厳しかったです。現在の外山雄三さん(ミュージック・アドバイザー 2016年4月〜)も厳しく、緊張感があります。基礎的なことをおっしゃるのですが、そうした部分を見直す機会を与えられます。体力がないなんて言っていられません。
— オーケストラで弾いていて「よかった!」と思えたことは。
やっぱり、一つの音になれること。床から伝わって来るものもあれば、小さな音で、自分はドキドキしながら弾いていますけど、一つに揃って消え入るような音が響くこともあります。あと、同じ曲を演奏しても指揮者によって違うというのが魅力です。やっぱり好きだという気持ちがありますから、いつまでも音楽を続けていきたいです。
相愛の音楽教室に通っていて、最初はピアノを習っていました。小学校に上がる時に一緒に通っていた友人とヴァイオリンを始めました。音楽教室のソルフェージュや聴音などのクラスは私には苦痛でしかなかったのですが、弦合奏やオーケストラのクラスで弾けるようになり、一緒に演奏する楽しさは何にも代えがたいものになりました。周りには演奏の上手な方がたくさんおられて刺激をうけました。高校は父の転勤でロサンゼルスの学校に転校しました。LAでもヴァイオリンの先生はすぐに見つかりましたが、車社会のLAではレッスンに行くのも車がないと行けません。母の不慣れなfreewayの運転でレッスンに連れて行ってくれた事は感謝ですね。
— ヴァイオリンを仕事にしようとするきっかけはありましたか。
オーケストラで弾けたらいいなという気持ちはずっとありました。大学を出て間もなく大阪シンフォニカーのオーディションを受けて入団しました。それ以前から、このオーケストラにはエキストラで弾きにきていました。小泉ひろしさんが音楽監督・常任指揮者の時代です。パドマ幼稚園で練習をしていて、昼間は子供たちがいるので、練習は夜でしたね。
— ずっとこのオーケストラで弾いてきて、変わってきたものはありますか。
自分が一番変化してきたのかもしれません。オーケストラで弾きながら、子育てもしてきました。子供が社会人になって、自分自身の心の変化と体力の変化を感じています。体力の維持に苦労することがありますが、それでもやっぱり前向きにやっていければと思っています。それも勉強ですね。
— 一番思い出に残る指揮者はどなたでしょう。
最近では児玉宏さん(音楽監督・首席指揮者 2008年4月〜2016年3月)ですが、トーマス・ザンデルリンクさん(音楽監督・常任指揮者 1992年1月〜2000年12月)の時は団員の意識も変わりました。音楽に対して厳しかったです。現在の外山雄三さん(ミュージック・アドバイザー 2016年4月〜)も厳しく、緊張感があります。基礎的なことをおっしゃるのですが、そうした部分を見直す機会を与えられます。体力がないなんて言っていられません。
— オーケストラで弾いていて「よかった!」と思えたことは。
やっぱり、一つの音になれること。床から伝わって来るものもあれば、小さな音で、自分はドキドキしながら弾いていますけど、一つに揃って消え入るような音が響くこともあります。あと、同じ曲を演奏しても指揮者によって違うというのが魅力です。やっぱり好きだという気持ちがありますから、いつまでも音楽を続けていきたいです。
牛尾佳子写真:(C)飯島 隆
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
~プログラムマガジン2017年度9・10月号掲載~

新入団員のお知らせ 吉武 由夏(ヴアイオリン トゥッティ奏者)
2016-04-01
