本文へ移動

楽団員の部屋

インタビュー 白水 大介(トランペット首席奏者)
2025-10-27
— 楽器を始めたのは?
 小学6年生の時です。通っていた小学校に金管バンド部ができたんです。トランペットを見て一目惚れでした。中学、高校と吹奏楽を続けました。青春でしたね。音楽大学に行きたかったんですが、高校の数学の教師をしていた父から「音大に行ってもトランペット奏者になれる人はひと握りしかいない」と言われて。自分の中では中学時代の恩師(担任で吹奏楽部の顧問)に憧れていましたので、じゃあ学校の先生になろうと、国公立で吹奏楽部の強いところを探したんですが、「楽器をもう1本買ってやるから地元の大学に行け」と。それで長崎大学に入ったんです。

— 大学では吹奏楽を?
 それが、中学の恩師に「オーケストラをやった方がいい」と言われて、オーケストラ部に入りました。その恩師から「トランペット教えに来い」と言われて、オケをサボるんですよ。結局オケは辞めて、教える方を選びました。教える中で「僕、誰にも習わずに教えてるな」と気づいたんです。そんな中、九州交響楽団の本村孝二先生と出会い、成長して行く自分が嬉しかったです。大学4年生になって周りが教員採用試験の勉強を始め出すんですが、「このままでいいんだろうか」と中学の恩師に相談したら「数学の先生の免許をとった上で、大学院に行かせてもらったつもりで、2年間の猶予をもらって、楽器奏者にチャレンジしたらどうだ」と言われました。「もう好きにしなさい」と父にも言ってもらえたところ、関西フィルのオーディション締切の3日前だということを知りまして。

— それでオーディションに合格したんですね。
 大学卒業まで待ってもらって、きちんと卒論も書きました。師匠に九響のエキストラも紹介していただき、貴重な経験をした時間でした。1998年3月に21歳で関西フィルに入団しました。1999年に参加したPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル札幌)では、たいへん刺激を受けました。

— 関西フィル時代で印象に残ることは?
 飯守泰次郎先生とのワーグナーの《ニーベルングの指環》のハイライトですね。先生にワーグナーが乗り移ったみたいで。先生の指揮って、わからないとよく言われますが、きちんと勉強して臨むと、先生の指揮はそれしかないというものがあるんですよ。関西フィルには約四半世紀の間在籍しました。子供が産まれて、妻が同じ楽団だったので、スケジュールが重なると送り迎えもたいへんで。違うところでチャレンジしたいという思いもあり、大阪交響楽団にオーディションを受けて入りました。関西フィルでほとんどなかったピットでのオペラ演奏ができるということも大きかったです。

— 大阪交響楽団で印象に残る演奏会を教えてください。
 ≪ルサルカ≫他、柴田真郁(ミュージックパートナー)さんとのオペラ・演奏会形式シリーズ。先日の「4オケ」で演奏した≪ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら≫(「大阪・関西万博開催記念 大阪4オケ2025」2025年5月10日 常任指揮者 山下一史指揮)。オーケストラとしても初めてだったんですが、これまで山下さんとリヒャルトに取り組んできた、その集大成が出たんじゃないかと思っています。大阪交響楽団らしさは短い時間できちんと仕事ができて、オペラをよくやっていることもあって歌があるところかな。

— オーケストラでトランペット吹いてよかったと思うのは?
 若い頃は、もちろんソロがきまった時はうれしかったんですが、最近はブラームスのようなトランペットがそれほど目立たない作品で、ハーモニーの中に入ってオーケストラを支えられた時は、幸せに思います。


白水大介 写真:(C)飯島 隆
 
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
 
~プログラムマガジン2025年度10・11月号掲載~
公益社団法人大阪交響楽団
Osaka Symphony Orchestra
〒590-0074
大阪府堺市堺区
北花田口町3-1-15 東洋ビル4F
TEL:072-226-5533
FAX:072-226-5544
0
1
9
9
9
9
5
0
TOPへ戻る