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楽団員の部屋

インタビュー 安達 琴子(ヴァイオリン奏者)
2024-09-01
— 楽器を始めたのはいつだったんですか。
 5歳ぐらいでしょうか。幼稚園の時です。最初にピアノをやっていたのですが、ピアノの先生の息子さんたちがヴァイオリンを弾いているのを見て「やりたい!」と言ったそうなんです。その後ヴァイオリンの先生を紹介して頂き、その先生のご家族がヴィオラとチェロを教えていらして、毎年夏にあった合宿での弦楽合奏は楽しかったです。ピアノも続けていました。ヴァイオリンはひとりで弾いていてもつまらなかったので、全パートを一人で演奏できるピアノの方が好きでした。それで、ある日突然母に音大のピアノの先生のところに連れて行かれて、その時やっていた曲を弾いたんです。「あなた、将来ピアノで行きたいなら、今すぐヴァイオリンをやめなさい」と言われました。けれど、ヴァイオリンはやめずに続けたんです。

— その後はどうされたのですか。
 音楽高校にはヴァイオリンで入り、ピアノも副科で続けていました。大学を卒業するぐらいかしら、ちゃんと勉強しないとダメだと目覚めて、憧れていたアメリカで学んでみようと思ったんです。ずっと英語が好きで、現地で会話をしてみたいという夢もありましたし。東京で開かれた国際コンクールに来られていた先生の指導を受けたいと思い、音源を送ってメリーランド州のボルティモアに行くことになりました。

— 随分と環境も変わったでしょうね。
 まわりは上手な人ばっかりでした。ソリストを育てる先生だったので、マスタークラスでのレッスンを聴講するだけでも勉強になりました。ただ、私自身にはまったく合わなかったんです。ボルティモアには4年いたのですが、その後に友人の勧めで、シカゴにある奏者を育てるためのオーケストラに応募して合格することができました。改めて大学院にも入って学ぶことになります。シカゴには8年いました。地域のオーケストラで弾いたり、オーディションも受けましたが、ビザの更新もたいへんで、両親が高齢になってきたこともあって、神奈川県の実家に帰りました。それから間もない頃に大阪交響楽団のオーディションを受けたんです。

— 大阪交響楽団の印象はいかがでしたか。
 アメリカのブラスサウンドとは音の出し方が違っていたり、弦楽器の奏法でもアメリカでは使うなとされていたE線の開放弦で和音を鳴らすことも多かったり、指揮の打点も上げた時ではなく下ろした点で合わせる方が多かったりで、はじめはいろいろと戸惑いもありました。弓の返しも細かく決めるので、最初はちょっと窮屈だなとは思いました。入団が2006年で大山平一郎さんがミュージックアドバイザー・首席指揮者を務められていました。私が習っていたシカゴの先生と大山さんがインディアナ大学でクラスメイトだったそうなんです。そのことで親近感があったし、大山さんはヴィオラ奏者でもいらっしゃるので、音の出し方も私がアメリカで習ってきたことと共通していました。2018年に来られたアメリカの指揮者のジョナサン・ヘイワードさんも記憶に残っています。

— オーケストラでヴァイオリンを弾いててよかったなという瞬間は?
 やっぱりみんながひとつになっているという瞬間を感じた時ですね。

— ヴァイオリンのほかに熱中していることはありますか?
 大リーグのオンライン観戦に明け暮れていた時期が10年以上ありましたが、ここ2、3年は世の中の動き、政治、食と健康等について真剣に考える時間が増えました。加えて錆びついた英語を学び直しています。


安達琴子 写真:(C)飯島 隆
 
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
 
~プログラムマガジン2024年度9・10・11月号掲載~



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