インタビュー 宮﨑 真弓(ヴァイオリン奏者)
2024-09-01
— 楽器を始めたのはいつだったんですか。
3歳ぐらいと聞いています。母がもともとピアノを弾いていて、少しだけヴァイオリンもやったことがあったそうです。姉がピアノを習っていて、私には違う楽器をさせたかったと。気がついたらヴァイオリンを弾いていました。母が発表会でピアノで伴奏をしてくれたこともありましたね。練習は好きではなかったんですが、姉と一緒にしなくちゃという気持ちでした。当時はまさか職業にするとは思ってもみなかったのですが、小学校の卒業文集には「ヴァイオリンの先生になりたい」と書いてありました。
3歳ぐらいと聞いています。母がもともとピアノを弾いていて、少しだけヴァイオリンもやったことがあったそうです。姉がピアノを習っていて、私には違う楽器をさせたかったと。気がついたらヴァイオリンを弾いていました。母が発表会でピアノで伴奏をしてくれたこともありましたね。練習は好きではなかったんですが、姉と一緒にしなくちゃという気持ちでした。当時はまさか職業にするとは思ってもみなかったのですが、小学校の卒業文集には「ヴァイオリンの先生になりたい」と書いてありました。
— その後、ヴァイオリン一筋だったんですか。
いえ、テニス部に入ってクラブ活動も続けていました。高校に入る時に習っていた先生に「音大に進みたければ、部活動はやめてしっかり練習しないと」と言われたんですが、そうは思わなかったんです。それならばと、先生が指導されていた熊本ユースオーケストラを紹介されて、入ってすぐにヨーロッパへ演奏旅行に行きました。高関健さんの指揮で、ラトビアとドイツ、オーストリアで演奏しました。大学は教育学部を志望しましたが、最終的には沖縄県立芸術大学に入学しました。初めてのことばっかりでしたが、ほんとに周りの皆さんに優しくしていただきました。
— 卒業にあたって、どうされようと?
教員免許は取っていたのですが、姉が留学していたこともあって、もし行かせてもらえるならと留学を考えました。ドイツのニュルンベルクに行ったんですが、曲に取り組むスピードの速さには驚きました。ニュルンベルクには4年いました。
— その後、ドイツで演奏を続けられたのですね。
応募して、ヒルヒェンバッハという小さな町の交響楽団に研修生として1年ぐらい在籍しました。その間にニュルンベルクの劇場でもオペラを弾いたこともあり、互いの仕事内容の違いも経験することができました。期限付きでしたがエアフルトの劇場で弾くこともできて、4年弱ほどこういう暮らしを続けました。そんな中で2008年に大阪交響楽団のオーディションを受けました。まさか合格するとは思ってもみませんでした。
— 大阪交響楽団の魅力は何でしょうか?
各々の個性を打ち消さずに認め合うところでしょうか。日本のプロオーケストラで弾くのは初めてでしたが、みなさん優しいなと感じました。それまで劇場で長く弾いてきたので、移動の多さには驚きましたが。
— 大阪交響楽団に来てから、記憶に残ることは?
児玉宏さんが音楽監督・首席指揮者の時代でしたが、練習のやり方が独特でした。普通は曲の始めから終わりに向けて進めるところを、後ろから始めたりもするんです。そして何よりも和音を大事にされていたことがとても印象的でした。
— オーケストラでヴァイオリンを弾いててよかったなという瞬間は?
他の楽器が弾くメロディに寄り添えた時、たとえばヴィオラなどの内声とうまく一緒に動けた時ですね。
— ヴァイオリンのほかに熱中していることはありますか?
二人の子供達がチェロをやっていまして、同じ弦楽器でも違うものなんだと日々教えられています。
宮﨑真弓 写真:(C)飯島 隆
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
~プログラムマガジン2024年度9・10・11月号掲載~
