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第250回 定期演奏会   9月9日(木)
寺岡 清高(大阪交響楽団 元常任指揮者)
岡本 奏(C)Kazashito Nakamura

 
2021年9月9日(木)19時00分開演 
 
当初出演を予定しておりました指揮者 グイード・マリア・グイーダ氏とソリストのキム・ヒョンジュン氏は、新型コロナウイルス感染症に関わる入国制限により来日困難となりました。代わりまして寺岡清高氏と岡田 奏氏が出演いたします。なお、曲目に変更はございません。
 
ヨハネス・ブラームス(1833-1897)
ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 作品83

 後半生のヨハネス・ブラームス(1833-1897)は、夏の避暑地で集中的に作曲を手がけるようになる。1881年に赴いた避暑地は、ウィーン近郊のプレスバウム。この年に生み出されたのは、《哀悼歌》作品82、そして、すでに数年前から着想を温めていた、《第1番》以来20年ぶりに手がけた新しいピアノ協奏曲であった。雄大な曲想、ピアノに負けず活躍するオーケストラ、あたかもオーケストラの一部であるかのように演奏される独奏ピアノといった同曲の特徴は、ブラームスを擁護していた音楽評論家エドゥアルド・ハンスリックが「ピアノ序奏を伴う交響曲」と呼ぶほどの規模を有するものであった。
 第1楽章冒頭には序奏がなく、ホルン独奏によって第1主題が示される。本来ならば華々しく登場するはずのピアノ独奏は、その主題を後追いするに過ぎない。前半は上行し、後半はほぼそのままの音型で下行するこの主題によって、全曲が緊密に練り上げられていく手法は、ベートーヴェン《交響曲第5番》などに見られるような主題労作にも近い。交響曲で言えばスケルツォに当たるのが第2楽章。なぜこの楽章を作曲したのか、という友人の問いに、ブラームスは「第1楽章があまりに簡明で、その後の同じような単純なアンダンテの前に、いくらか強烈で、情熱的なものが必要だと感じたから」と答えている。冒頭の第1主題は、やはり第1楽章の第1主題から派生したものだろう。第3楽章における独奏チェロとピアノの絡みは、この6年後に作曲される《ヴァイオリンとチェロの二重協奏曲》のそれを彷彿とさせる。中間部のクラリネットの旋律には、78年に作曲された歌曲《死へのあこがれ》作品86-6の引用が聴こえる。ビゼーの歌劇《カルメン》に、あるいはロマ(ジプシー)の音楽に影響を受けたとも言われる第4楽章。軽快なリズムに彩られる第1主題と、ほぼ同じ音型で短調の旋律を奏でる第2主題の対比が美しい。
 
●作曲年代 1878〜81年
●初  演
1881年11月9日、独奏:ヨハネス・ブラームス、指揮:アレクサンダー・エルケル、ブダペストにて。
●楽器編成
独奏ピアノ、フルート2(うち1名はピッコロ持ち替え)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、ティンパニ、弦5部
 
 
 
リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)
交響的幻想曲「イタリアより」 作品16
 
 リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)が、ワーグナー、リストに連なる、「新しいドイツ」時代を代表するような交響詩やオペラ作品を世に問うことで活躍し始めるのは1890年代に入ってからのこと。1880年代には、むしろ古典派的な作品、とくに室内楽・交響曲の作曲を本領としたブラームスに影響を受けていた。ハンス・フォン・ビューローの推挙によって、マイニンゲン宮廷管弦楽団の指揮者に就任・活動した1885年には、ブラームスが同地で《交響曲第4番》を初演し、シュトラウスもこの演奏に携わっている。翌86年、シュトラウスは早くもマイニンゲンの職を辞し、4月17日から5月25日までイタリアを旅している。イタリア各地を巡った際に書きとめた楽想を新しい作品へと活かすにあたり、シュトラウスが範としたのはやはりベートーヴェンであった。《ピアノ・ソナタ》ロ短調(1882)では、《交響曲第5番》の4音モティーフを換骨奪胎して作品に取り入れたが、新しい交響的作品を作るにあたっては《交響曲第6番「田園」》に注目したと思われる。
 ベートーヴェンを下敷きにしつつも、リスト、ワーグナーの語法を採り入れながら作曲を進めたことで、シュトラウスは過去から未来へのバトンを次世代へと引き継ぐ方法論をみずからのうちに確立した。従来型の交響曲と見なして演奏できるような、若き日のシュトラウスによる独特のバランス感覚が保たれており、絶対音楽から標題音楽へ、交響曲から交響詩へと進んでいく作曲家シュトラウスにとって、本作は前者の要素により大きな比重を置いている。この堅固な音楽作りが、第4曲で用いられた「フニクリ・フニクラ」のように(後述)、一歩間違えればキッチュな響きに堕してしまいがちな危険を回避し、むしろ音楽全体の強力な推進力へと転化させる力を生んでいる。伝統に立脚した楽曲様式の枠内で描写的な標題を表現する「交響詩」という武器を得て、シュトラウスは1890年代のドイツで作曲家としての名声を確立することになる。1886年の間に作曲を終えたシュトラウスは、翌87年3月2日にミュンヘンで、みずからの指揮によって初演を果たした。
 この作品に「大管弦楽のための交響的幻想曲(ト長調)  Sinfonische Fantasie (G-Dur) für großes Orchestra」という副題が添えられたのも、交響曲でありつつも、かならずしもその在り方にあてはまらない自由な形式を与えたことの宣言であった。交響曲ならば、冒頭楽章に大々的なソナタ形式を置くのが通例だが、本作の第1曲「カンパーニャにて」はかなり自由な三部形式であり、音楽的にはむしろ第2曲への序奏的な役割を果たしている。古代ローマの別荘地として発展し、すでに廃墟となっていたカンパーニャの様子は、冒頭のト長調・空虚5度で示される(この開始部が、すでにワーグナー《ラインの黄金》の冒頭部からの影響を感じさせる)。トランペットの主題に導かれた堂々たるハ長調で始まる第2曲「ローマの廃墟にて」では、主要な主題だけでも4種が用いられ、ソナタ形式として見てもより複雑な書法を試している。第3曲「ソレントの海岸にて」では、その情景を思わせる第1主題に対比させるかのように、ドイツの民謡的な主題が第2主題に選ばれ、望郷の念が示されている、といわれている(楽曲形式的にはソナタ形式だが、再現部がかなり短くコーダを兼ねているので、A-B-Bの展開-A〔コーダ〕ともとれる)。第4曲「ナポリのひとの生活」では、イタリア旅行の前年に作曲された、ルイージ・デンツァによるヴェスヴィオ火山登山電車のコマーシャルソング「フニクリ・フニクラ」を、シュトラウスが以前から同地に存在する民謡だと勘違いしてこの楽章に入れてしまい、トラブルになったという逸話が有名となった。ソナタ形式の大詰めに置かれた、シュトラウス特有の遊び心に満ちた総休止と最後の三つの和音からは、聴き手を愉しませるための「エンターテインメント」としての音楽語法を、シュトラウスが若い頃から身に付けていたことを窺わせる。

 
●作曲年代 1886年、イタリアおよびミュンヘン
●初  演
1887年3月2日、指揮:リヒャルト・シュトラウス、ミュンヘンにて。
●楽器編成
ピッコロ、フルート2、オーボエ2(うち1名はイングリッシュホルン持ち替え)、クラリネット2、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、シンバル、トライアングル、タンバリン、小太鼓、ハープ、弦5部
 
 
曲目解説:(C)広瀬 大介(音楽学・音楽評論)(無断転載を禁じる)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                     
 
 
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