シャルル・カミーユ・サン=サーンス(1835-1921)
ピアノ協奏曲 第5番 ヘ長調 作品103 「エジプト風」
シャルル・カミーユ・サン=サーンス(1835-1921)は、チェロの名曲「白鳥」(組曲「動物の謝肉祭」の1曲)や交響詩「死の舞踏」などで知られるフランスの作曲家。手堅い作曲技術を持ち、交響曲、協奏曲、オペラなどの傑作をものにしたほか、オルガンやピアノ奏者としても名声を博した。19世紀後半のフランスの音楽界におけるもっとも重要な人物のひとり。
ピアノ協奏曲第5番は、彼が書いた最後の、そしてもっとも頻繁に演奏されるピアノ協奏曲。二管編成を少し拡大した編成は特別に大きなものとは言えないが、色彩的できらきらした響きが目立つ。「エジプト風」と呼ばれるのは、第2楽章がアラブの音楽をほうふつとさせるから、そして、作曲されたのは滞在先のエジプト、ルクソールにおいてだったから。
第1楽章はアレグロ・アニマート(活発なアレグロ)で開始されるソナタ形式。第1主題はシンプルで、透明感があり、明朗だ。第2主題は対照的に、ショパン風の悲哀や憂鬱を感じさせる。ピアノの名手が書いた作品らしく、ピアノ・パートはのびやか。
第2楽章はアンダンテだが、叩きつけられるように開始されるのが珍しい。まるで中東の音楽のようにエキゾチックかつラプソディックにピアノが登場する。初演を聴いた聴衆の驚きはどれほどだったか。サン=サーンスは旅行を好み、アフリカや東南アジアまで出かけ、高齢で没したのもアルジェリアにおいてだったが、彼が生きた時代は、鉄道が整備され、旅行が手軽になり、強国が植民地を争って求めた時代でもあった。それがヨーロッパ、ことにフランスの芸術においては異国情緒として反映されている。
中間部は穏やかで、東欧風の素朴でしみじみした旋律がピアノと管弦楽で繰り返される。
第3楽章はモルト・アレグロで、フィナーレらしい開放的な疾走を見せる。
作曲家は、たとえ長生きはしても、晩年においては創作力のかげりを見せるものである。還暦を超えたサン=サーンスがこのように清新な作品を書き残すことができたのは、むしろ例外的と言えよう。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)
交響曲 第9番 二短調 作品125 「合唱付き」
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)の最後の交響曲。ベートーヴェンの交響曲のひとつひとつには、さまざまなアイデアを盛り込まれているが、特に第9番は、かつてなく長大であり、また最後には独唱者や合唱も取り入れられた、きわめて特徴的な姿をしている。
初演ではさかんな喝采を浴びたとされているが、演奏は決して容易ではなく、敬遠される時代が続いた。しかし、この作品に強く魅了された大作曲家リヒャルト・ワーグナー(1813-83)の尽力もあって、19世紀後半には広く聴かれるようになり、多くの作曲家に強い影響を与えた。
第1楽章はアレグロ・マ・ノン・トロッポ、ウン・ポコ・マエストーソ。速すぎない、荘重さを持つ楽章である。冒頭の極めて簡潔で断片的な動機が、徐々に明快な形をなし、巨大化していく様子は、宇宙の生成にもたとえられる。
第2楽章はモルト・ヴィヴァーチェのスケルツォ楽章。ここでも単純な主題が増殖するようにして運動的な時空を作り上げる。スケルツォ楽章は通常、中間部が前後よりもゆっくりしているが、この曲は例外的で、中間部のほうが速い。ただし、これが奇妙あるいは不思議な印象を与えるため、長いこと、速度を落とすか、差を際立てないようにして演奏されてきた。
第3楽章はアダージョ・モルト・エ・カンタービレ。じっくりと歌い上げる。全体的にダイナミックで運動性に富むこの作品の中では、まるで別世界のような抒情的で甘美な音楽だ。やさしい慰めや憧れに満ちた楽園幻想であろうか。
第4楽章は、交響曲というジャンルとしては例外的な自由な形式を持つ。荒れ狂う嵐のように激烈に開始され、第1~3楽章が少しずつ回想されては否定されていく。そしてやがて「歓喜の歌」として知られる素朴な旋律が姿を現すのである。この旋律はおずおずと奏ではじめられるが、やがて力と大きさを増して、熱狂にまで至る。
バリトンが「友たちよ、このような音楽ではなくて…」と第3楽章までの音楽ではない、新たな音楽の到来を告げる。それ以後の歌詞は、ドイツの大詩人フリードリヒ・シラー(1759-1805)の「歓喜に寄す」という、当時、特に若者たちによって愛唱された詩にベートーヴェンが変更、追加を加えたものである。フランス革命のあとで、自由や平等への憧れが強まり、ことに若い人々は新たな時代を希求したのだった。ベートーヴェンとてそのような思潮と無縁ではなかった。
その後、音楽は宗教音楽のように厳粛になったり、トルコ音楽のように打楽器が活躍したり、さまざまな局面を経たのち、祝典的な華々しさを持つ、疾走するようなコーダに行きつく。
作曲年代 |
1823-24年 |
初 演 |
1824年5月7日、ミヒャエル・ウムラウフ指揮、ウィーンにて。 |
楽器編成 |
フルート2、ピッコロ、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、
ティンパニ、トライアングル、シンバル、大太鼓、弦5部、独唱(ソプラノ、アルト、テノール、バリトン)、混声合唱 |