ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)
合唱幻想曲 ハ短調 作品80
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの音楽の魅力や面白さは緻密かつ堅固で説得力のある構成にだけあるのではない。時にはそうしたものを壊しかねないほどに大胆な実験や仕掛けもまた彼の音楽の随所にはあり、両者のせめぎあいが音楽にいっそうの輝きをもたらしている。『合唱幻想曲』もまた然り。この曲の場合には「実験」という性格の方が些か強く出ており、そこがまた1つの魅力であろう。
曲名の『合唱幻想曲』とは、「合唱のための、(あるいは、合唱を主体とした)幻想曲」ではなく、「合唱つき幻想曲」を意味する。そして、そこで重要な役割を担うのがピアノだ。冒頭は自由な即興演奏を思わせるハ短調のピアノ独奏に始まり、それを管弦楽が承け、ピアノとの「問答」をしつつ本編のお膳立てをする。その「本編」ではハ長調に転じ、ピアノが主題(初期の歌曲『愛されない男のため息と愛の応え』WoO118(1794-95)の一節に基づくもの)を奏で、これが変奏されていく。その中で音楽はテンポ、調性、性格を変えてゆき、再びハ長調へ戻り、満を持して独唱、次いで合唱が登場する(驚くなかれ、全曲約20分のうち、この時点で15分ほどが経過している!)。テキストはクリストフ・クフナー(1780-1846)という詩人の作で、「美しき芸術」の力を讃えるものだ。
ところで、この『合唱幻想曲』がいろいろな点でのちの交響曲第9番の第4楽章を先取りしているとは、よく言われることだ。まず、「主題」が「歓喜の歌」の旋律と似たところがいろいろある(さらには歌詞の内容も少なからず重なっている)。また、主題の多様な変容、声楽で登場するまでの「じらし方」や両者のちょっとしたパッセージの類似、そして、曲の締めくくり方等々。だが、この『幻想曲』はそれだけでも十分に面白く、無理に「第9」と関連づけずに聴いた方がその独自性を楽しめるかもしれない。
『合奏幻想曲』が初演されたのは自らが主催した公演でのことで、演目には交響曲第5、6番の初演に加え、ピアノ協奏曲第4番やミサ曲ハ長調の抜粋も含まれていた。何とも壮観だ(が、さすがにこれでは演奏会の時間が長すぎたし、大急ぎで書かれた『合唱幻想曲』は練習不足で失敗だったとか)。