ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)
ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調 作品37
「フィデリオ」をベートーヴェンに依頼したブラウン男爵は、モーツァルトと共に「魔笛」を作り上げたシカネーダーから、アン・デア・ウィーン劇場の経営権を買い取った人物である。
もともとシカネーダーは「フィデリオ」よりもはるかに以前から、ベートーヴェンに新作オペラを依頼しており、作曲に集中させるためにアン・デア・ウィーン劇場の一室にベートーヴェンと彼の弟を住まわせていた。しかし、ほどなくして劇場が買収されてしまったために、シカネーダーは自分の劇場でベートーヴェンのオペラを世に出すチャンスを失ってしまったわけである。もしも計画がうまく行っていれば、シカネーダーは2大巨匠のオペラ創作にかかわった人物として、音楽史の中ではるかに大きな扱いを受けていたことだろう。
とはいえ、シカネーダー時代のこの劇場で、ベートーヴェンは重要な演奏会を行なっている。1803年、劇場に住みはじめて間もない頃に、彼は「交響曲第2番」「オリーブ山上のキリスト」「ピアノ協奏曲第3番」という大作3つの初演を同日に行なっているのである。この日は他に「交響曲第1番」の再演もあったというから、かなり盛りだくさんのプログラムだ。
初演で独奏を務めたのは、もちろん作曲者自身。彼は自室から階下の劇場に降りて演奏会をこなし、ふたたびまた階段を上って自室に戻ったのだろう(そんな姿を想像すると、なんだか面白いではないか)。ちなみにこの時には独奏パートの記譜が間に合わず、ベートーヴェンは半ば即興的にピアノを弾いたという、なにやら「勧進帳」を思わせるエピソードも残っている。
第1楽章は、ハ短調の決然たる主題といい、そして練習曲のような上行音階で入ってくるピアノといい、交響曲の冒頭楽章を思わせる重厚な音楽。第2楽章は、ベートーヴェンの協奏曲における緩徐楽章の中でももっとも美しい一幕だろう。「ホ長調」という、冒頭楽章からは遠く離れた調で開始されるが、その分、最初に音が鳴った時の新鮮さは格別だ。そして第3楽章は、ハ短調の不安定な旋律が、時に長調に転じ、時には流麗なロマン派風の性格を見せながら進んでゆく。これぞロンドと言いたくなるような、素晴らしいバランスの音楽だが、終結部に待ち構えるピアノの華麗な技巧にも注目したい。