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第244回 定期演奏会   11月19日(木)
大山平一郎(C)Tsuru

大阪交響楽団40年の軌跡メモリアルシリーズ
2020年11月19日(木)19時00分開演 
 
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)
交響曲 第1番 ハ長調 作品21
 
今年はベートーヴェン(1770〜1827)の生誕250年という記念の年になり、本来ならば全国各地でベートーヴェンの様々な作品がコンサートのプログラムに並んでいたはずなのだが、新型コロナ・ウィルスの影響で、予定されていたものの多くが開催中止となり、記念の年を祝うにはいささか寂しい状況になっている。それでも今回の定期のように、ベートーヴェンの作品が演奏されることがあって、少し嬉しい気持ちを抱いているのだが、きっとベートーヴェンもあの世で苦笑いしていることだろう。この大作曲家を慰めるためにも、7年後の没後200年の記念の年には盛大にベートーヴェンが鳴り響くことを期待したいものである。
さて、ベートーヴェンが彼の初めての交響曲を世に問うたのは1800年のことである。それまでにかなりの数の作品を発表して名を上げていたわけだから、交響曲に関してはかなり慎重だったようである。そのためかどうかは別にして、この最初の交響曲は1794〜95年頃からスケッチが始められ、長い間構想を練って書き上げられている。そして出来上がった作品は、外見的には種々の点でハイドンやモーツァルトの影響を感じさせるものとなった。例えば第1楽章が緩やかな序奏を経てアレグロ主部に至るとか、第3楽章にメヌエットを置くなど、モーツァルトよりむしろハイドンに酷似しているとも言えるが、伝統的なスタイルをとっている。
しかし内容的には、すでに至る所にベートーヴェンらしさが現れているのも事実で、例えばハ長調が基本の調性であるこの作品の第1楽章で、序奏の冒頭和音をヘ長調の属七の和音で始めるとか、第3楽章が表記はメヌエットながら実質はスケルツォに近いといったことなどである。このように第1交響曲は、伝統的な形式の延長線上にありながら、同時にこれ以降のベートーヴェンの革新的かつ個性的な交響曲の出発点にもなっている。

 
第1楽章〜アダージョ・モルトの序奏に、アレグロ・コン・ブリオでソナタ形式の主部が続く。
第2楽章〜アンダンテ・カンタービレ・コン・モートのソナタ形式。
第3楽章〜アレグロ・モルト・エ・ヴィヴァーチェのメヌエット楽章。
第4楽章〜アダージョの導入にアレグロ・モルト・エ・ヴィヴァーチェでソナタ形式の主部が続く。
 
●作曲年代 1779〜1780年
●初  演
1800年4月2日、ベートーヴェン指揮、ウィーンのブルク劇場にて
●楽器編成 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦5部
 
 
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)
ヴァイオリン協奏曲 第4番 ニ長調 K.218 「軍隊」
 
ベートーヴェンより14年ほど早く生まれたモーツァルト(1756〜1791)は、ベートーヴェンが熟考型の天才であるのに対して、神が降りてきたとしか思えないような天才である。そのひとつの証として、彼が19歳の1775年の4月から年末にかけての1年足らずの間に5曲のヴァイオリン協奏曲を作曲し、その5曲に傑作に上り詰める足取りを記していることが挙げられる。モーツァルトには全部で7曲のヴァイオリン協奏曲が知られるが、確実に彼の作として認められているものは、この年の《ザルツブルク協奏曲》と呼ばれる5曲である。そして、なぜこの年に集中的にヴァイオリン協奏曲を作曲したのかは、分かっていない。
さて、これら5曲の連作協奏曲は、既述のようにわずか1年足らずの間に続けて作曲されたのであり、その間隔は第1番が4月、第2番が6月、第3番が9月、第4番が10月、第5番が12月にそれぞれ完成されている。いずれもウィーン古典派のヴァイオリン協奏曲の典型的な形式で書かれているが、モーツァルトがしばしば見せる、きわめて短期間のうちに飛躍的な前進を遂げる転換がこの5曲の中で起こっている。すなわち第2番から第3番の間は、月日にしてわずか3ヶ月の隔たりしかないが、音楽的な内容においてはこの2曲の間には著しい差があり、第3番以降の3曲がモーツァルトのヴァイオリン協奏曲の傑作群とされて広く親しまれている。
第3番でオーケストラを活用し、ソロとトゥッティの関連が主と従ではなく、対話のような形で互いに優位を競い合うように書かれていたのに対し、第4番ではオーケストラはほぼ伴奏に徹し、その代わりに独奏ヴァイオリンの多彩な表現力の発揮に重点を置いていること、そして曲の構成が非常に自由になっていることが相違点として挙げられる。例えば、この第4番が《軍隊的》という愛称で呼ばれることもある、その理由となった第1楽章冒頭の軍隊的リズムの楽句が展開部にも再現部にも現れない点、第2楽章での独奏の饒舌な点、第3楽章がロンド形式とソナタ形式が合体したような自由な構成をとる点などである。

第1楽章〜アレグロの協奏風ソナタ形式。
第2楽章〜アンダンテ・カンタービレで自由な構成。
第3楽章〜「ロンドー」と記され、アンダンテ・グラツィオーソとアレグロ・マ・ノン・トロッポの2つの部分が交代で現れる。
 
●作曲年代 1775年
●初  演
不明(おそらく1775年のうちにザルツブルクで)
●楽器編成
独奏ヴァイオリン、オーボエ2、ホルン2、弦5部
 
 
フェリックス・メンデルスゾーン(1809-1847)
交響曲 第4番 イ長調 作品90 「イタリア」
 
メンデルスゾーン(1809〜1847)は1829年から数年間、ヨーロッパ各地に出かけて見聞を広めた。最初の年はスコットランドに行き、その翌年にはイタリアを訪れたが、この交響曲はその標題からも分かるように、この時のイタリア旅行の印象を綴った作品である。第1楽章と第4楽章はローマ滞在中に、そして第2楽章は次の訪問地ナポリでスケッチしたと伝えられ、その後ベルリンの自宅に帰ってからの1833年に完成されている。ちょうど仕上げにかかっている頃、ロンドンのフィルハーモニー協会から新しい交響曲を依頼された彼は、出来上がったこの曲を持参し、その年の5月にロンドンで、みずから指揮して初演している。その後メンデルスゾーンは、2度にわたって、主として第2、4楽章に改訂を施し、その改訂版もロンドンで、1838年に初演された。
ところで、この交響曲がドイツで初演されたのは、驚くことに作曲者の死後のことで、出版も彼が世を去ってから行なわれており、そのため、実際にはこれよりあとに完成された第3交響曲「スコットランド」より、大きな番号を付けられることになったのである。ちなみにメンデルスゾーンの第3〜5番の交響曲は、番号順に作曲されたのではないのであって、ちょうどその逆の順で書き上げられている。
この第4交響曲は、シューマンがこの曲について『この曲は聴く者をイタリアの明るい空の下に誘う』と述べているように、まさにその言葉通り、南国的な明るさに支配されている。

 
第1楽章〜アレグロ・ヴィヴァーチェのソナタ形式。
第2楽章〜アンダンテ・コン・モートの3部形式。
第3楽章〜コン・モート・モデラートの3部形式。
第4楽章<サルタレロ>〜プレストのロンド形式。なおサルタレロは、ローマ地方の急速な舞曲の名である。
 
●作曲年代 1831〜33年
●初  演
1833年5月13日、メンデルスゾーン指揮、ロンドンにて
●楽器編成
フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦5部
 
 (C)福本 健(音楽評論) (無断転載を禁じる)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                     
 
 
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