ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840-1893)
交響曲 第4番 ヘ短調 作品36
交響曲第4番の成立には二人の女性が深く関わっている。一人はチャイコフスキー(1840-1893)の生涯のパトロンとなるナデージダ・フォン・メック。メック夫人はロシアの鉄道王の未亡人で超大富豪、チャイコフスキーの音楽を心から愛していた。1876年12月18日夫人からの賛辞の手紙と作曲家の返信から、以後1200通余りの文通が始まる。1877年5月にはメック夫人に捧げるべく交響曲第4番に着手する。
作曲は順調に進まなかった。かつての弟子アントニーナ・ミリュコーヴァから熱烈なラヴレターを受け取り、押し切られて7月6日に結婚する。もともと同性愛の傾向のあったチャイコフスキーにとって、結婚生活はうまくいかなかった。それでも9月12日には交響曲の第1楽章を完成させた。アントニーナとの生活は結局破綻して、ノイローゼとなり自殺未遂に至る。9月24日ペテルブルクへ逃れ、そこで神経性の発作を起こし意識不明となる。
10月2日に弟のアナトリーに連れられて外国に転地療養することになった。メック夫人に結婚時の1000ルーブルに続いて、旅行費用の借用を頼むと、逆に年金6000ルーブルの申し出を受ける。この後チャイコフスキーはこの多額の年金で作曲のみに専念できるようになる(因みにこの額は、音楽院教師初任給の13倍、現在の教授給料の2倍にもなる)。ドイツ、スイス、イタリアと旅行するうちに作曲意欲が戻ってきた。これまでに書いたスケッチを取り寄せ、交響曲第4番に集中し、12月26日、イタリアのサン・レモの宿で完成した。初演は1878年2月10日モスクワのロシア音楽協会演奏会、ニコライ・ルビンシュタイン指揮で大成功となった。作曲家はフィレンツェでそれを伝える電報を受け取っている。
交響曲第4番には、この人生の危機とそれを乗り越えた体験が如実に反映されている。円熟した管弦楽法と構築法に内容の深みが加わってチャイコフスキーの最高傑作の一つとなった。
第1楽章 : 序奏付ソナタ形式。作曲者はメック夫人に手紙で詳細に意味内容を説明している。冒頭のファンファーレについて「運命。幸福を妨げる宿命的な運命の力であり、容赦なく常に魂を苛む運命」という。主部の物憂げな第1主題は「運命に服従し、虚しく嘆き悲しむ」様子。クラリネットで現れる第2主題では「敗北と絶望の感情はますます激しくなる。」その後半はロ長調に変わって「喜び。甘く優しい幻想が現れる。」展開部は束の間幸福となるが夢でしかなく、再び運命に追い払われる(再現部の強奏)。「人生は憂鬱な現実とはかない夢の交替にすぎない」という。劇的振幅の巨大な楽章だ。
第2楽章 : 三部形式。「悲哀のもう一つの側面を表現する。夕方家に一人で座っている時に取りつかれる憂鬱な気分。思い出は次々と湧き起ってくる。それは楽しいこともあれば悲しいこともある、、、」ロシア的抒情の美しい世界。
第3楽章 : スケルツォ、三部形式。弦楽器だけのピチカートによる主部と管楽器だけのトリオ。コーダでは両者は合体する。「特定の感情は表現されず、ほろ酔い気分の幻想の中で飛び交う気紛れなアラベスク、束の間の幻影。(トリオで)突然酔っ払いの農夫が現れ、街の歌が聞こえる。遠くで軍楽隊が通り過ぎる、、、」
第4楽章 : 自由なソナタ形式。激しく乱舞するような第1主題とロシア民謡「野に立つ樺の木」による第2主題。コーダで曲頭の運命のファンファーレが圧倒的な力で回帰する。「民衆のお祭り騒ぎの場面。人々の喜びの中で我を忘れそうになった瞬間に運命が現れて注意を喚起する。しかし人々は見向きもせず、素朴で力強い喜びに浸っている。人々の幸福を喜びなさい。そうすればあなたも生きていける。」壮大な内面のドラマ。