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私から見た大阪交響楽団史

 
 
 
1980.9.28大阪シンフォニカ―発会式の後、第九のリハーサル
 
大阪シンフォニカ―第1回定期演奏会
大阪シンフォニカ―第1回定期演奏会(1981年3月森ノ宮ピロティホール)
 
 
トーマス・ザンデルリンク
トーマス・ザンデルリンク(第64回定期演奏会1999年10月ザ・シンフォニーホール)
 
児玉 宏
児玉 宏
   
第 1 回
大阪交響楽団の37年を振り返って
福本 健 (音楽評論)
 
 大阪に新しいオーケストラ、それも私設のオーケストラができると聞いたのは、私がこの音楽評論という仕事を始めて間もない頃だった。個人の音楽家が演奏活動を継続することは十分に難しいことが多いし、数人以上の演奏団体になるともっと難しいが、ましてや数十人のオーケストラとなるとさらに継続は困難を極めるに違いない。しかもこのオーケストラが公共的な支援もない、一人の女性、敷島博子の強い情熱で創設されたと聞いた時、いったいいつまで続けられることかという懸念が先立ったことを思い出す。
 このオーケストラは当時、大阪シンフォニカーという名称で演奏活動を開始していたが、そうした懸念もあって、私はしばらく近づかなかった。せいぜい数回の、うまくいって十数回の定期演奏会で頓挫するのでは、と思っていたからである。ところがオーケストラ運営の難しさを乗り越えて演奏活動が続けられているし、当時は健在だった今は亡き小石忠男氏が熱心にこのオーケストラのことを語っておられたこともあって、ようやく聴いてみようと思ったのが1986年10月のピロティホールにおける定期演奏会だった。指揮は、設立当初から音楽監督・常任指揮者だった小泉ひろし。その時の演奏は、正直に言うと一生懸命に音にしているが、少しも魅力的な表現が聴かれなかったと記憶する。そうしたこともあって、少し間隔を置きながら、時々定期演奏会に出かけていたのだが、演奏の充実度や魅力は相変わらず今ひとつということが続いていた。
 それが大きく変化を遂げたのは、1992年にトーマス・ザンデルリンクを音楽監督・常任指揮者に招いてからのことである。就任以前から2度ほど、客演でこのオーケストラを指揮していたザンデルリンクは、その客演時からそれまでとは違った、好き嫌いは別にして積極的に音楽を表現する姿勢を強く打ち出しており、常任就任以後もそれを貫き通してきたように思う。オーケストラの楽員が積極的に音楽を表現しようとすることから来る音楽的充実度の向上とともに、外国から常任指揮者を招いたという運営側の、とても中途半端とは思えない姿勢に、強い感銘を抱いた時期である。
 この頃には、すでに音楽雑誌「音楽の友」で定期演奏会の演奏評が掲載されるようになっており、当初の存続に対する危惧は私の中ではほとんど吹っ飛んでいた。実際、当オーケストラの演奏はますます充実度を高めており、大阪文化祭への参加公演で賞を受けるまでになっていた。これ以後、音楽監督や常任指揮者、あるいはミュージック・アドバイザーといった役職に、曽我大介、大山平一郎、児玉宏を順次迎え入れ、さらに正指揮者に寺岡清高を迎えるなどして演奏の向上と充実を図ってきたことが思い出される。この間に、大阪シンフォニカーから大阪シンフォニカー交響楽団、そして大阪交響楽団へと名称を変えたという歴史もある。大阪シンフォニカー交響楽団に名称変更する際、“シンフォニカー”が“交響楽団”という意味なのに、それをダブらせる名称に非常に違和感を抱いたことも思い出す。“シンフォニカー”という名称が一般の聴衆には馴染みにくく、理解されにくいという状況を変え、少しでも人々に親しまれるオーケストラにしたいという思いが反映されたその奇妙な名称に苦笑いをしたことも、今は懐かしい思い出である。
 この間、それぞれの指揮者がそれぞれの持ち味を発揮させた演奏を繰り広げていたが、大阪交響楽団という名の存在を世間に広く、そして強く印象づけたのは、なんと言っても児玉宏の時代に続けられた、知名度の低い作品を取り上げ続けた偉業だろう。並行して寺岡清高が、やはり珍しい作品をシリーズでプログラミングしたことも注目を集めた。ほとんど誰も知らないような、あるいは存在は知っていても聴いたことがないといった珍しい作品を取り上げることで、聴衆を集めることが困難になるのではないかという不安を抱いたものだが、蓋を開けてみればそんな不安が嘘のように多くの聴衆が会場を埋めていた。大阪交響楽団の定期演奏会でしか聴けない曲が次から次にプログラムに登場することで、関西のみならず、東京やその他の地方からも聴衆が集まるようになったという、驚くべき現象も起きたのだ。もちろん、珍しい作品を演奏するというだけでは、いつまでも聴衆を惹き付け続けることは難しいはずなのだが、珍しい作品を高い水準の充実した演奏で聴かせ続けたことが、この状況を作りあげたのだと思う。そうしたこともあって、彼らの演奏が音楽クリティック・クラブ賞や文化庁芸術祭の大賞を受賞するまでになり、大阪交響楽団が関西の優秀なオーケストラの一つとしての地位を確立するに至っている。ずっと聴いてきて思うのは、楽団員の演奏に対する熱意がステージから客席にダイレクトに伝わってくることが、このオーケストラの最も大きな魅力のひとつになっていることだろう。技術的にはもっと優れたオーケストラでも、いかにもお仕事然と割り切ったような醒めた演奏からは、音楽に対する情熱は伝わってこない。この点は今後もずっと大切にして欲しいことである。
 こうした演奏を折に触れて聴いている間の2004年初め、当時の楽団長だった敷島鐵雄から、定期演奏会の演奏評を当楽団のホームページに、演奏会が終わったその夜のうちに掲載する、これまでに例のない試みをやりたいという話があり、私がその執筆を担当することになった。当初、この仕事を渋っていたのは、楽団のホームページに掲載する批評だから、あまりキツくない、いわば手心を加えた批評しか書けないのでは、という思いからだったが、敷島楽団長はどんなキツいことでもその通りに書いてくれ、という言葉で引き受けた。在関西のオーケストラの定期演奏会は出来る限り聴くように心掛けているが、他のコンサートとの兼ね合いやら私事の都合などで、すべて聴くことは難しいのが実情だが、この演奏評を担当することになって、2004年1月の第90回から2015年2月の第192回までの定期演奏会をすべて聴いたわけである。なんと、ほぼ10年、100回以上の定期演奏会を欠かすことなく聴いたとは、自分でも驚きであり、また有り難い経験をさせていただいたものである。思い返すと、思った通りの批評を書いてきたものの、そんなにキツい批評は無かったように思う。つまり、それだけ演奏が充実してきていたということと考えて良いだろう。
 幾多の困難を乗り越え、もちろんこれからも数多くの困難が待ち構えているだろうが、ここまで発展してきた大阪交響楽団に大いなる敬意を払うと同時に、今後の更なる発展を期待したいと思う。
 
 
「プログラム・マガジン」2016年7・8月号掲載 (C)福本 健
 
 
 
 
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