古典派音楽の神髄
2017年10月7日(土)
昼の部 13時30分/夜の部 17時00分 開演
セルゲイ・プロコフィエフ(1891-1953)
交響曲 第1番 ニ長調 作品25 「古典交響曲」
もしハイドンが20世紀に生きていたら書いたであろう作品。そんなコンセプトから生まれたのが、この「古典交響曲」である。
ソ連のセルゲイ・プロコフィエフは、早くより大胆で急進的な作風によって物議をかもしていた。1913年、22歳の年に作曲されたピアノ協奏曲第2番などは、当時の批評に「聴衆を恐怖のあまりぞっとさせ、髪の毛を逆立たせた」と書かれるほどのセンセーションを巻き起こしている。その野心家が、交響曲第1番では一転してウィーン古典派のスタイルを踏襲し、明快な作品を発表した。
1917年の夏、プロコフィエフは革命で揺れるペトログラードを離れ、近郊の田舎でひとり過ごしていた。ここでプロコフィエフはピアノなしで交響曲を丸ごと作曲するというアイディアを思いつく。ピアノを用いて作曲することを常としていたプロコフィエフであるが、「ピアノなしで作曲したほうが、ときには主題の題材がうまく仕上がる」と気づいたのである。
古典的なスタイルを採用した理由について、作曲者はそのほうが作曲が容易であったことに加えて、擬古的な作風で書くことが楽しく、また古典的な音楽も書けるということを自ら証明したかったのだと述べている。作曲にあたっては、音楽院でチェレプニンから受けたレッスンが役立つことになった。チェレプニンによる指揮の授業を通じて、プロコフィエフは学生オーケストラとのリハーサルからハイドンやモーツァルトの音楽スタイルを習得したという。
第1楽章 アレグロ 明朗快活な第1主題に、愛らしい第2主題が続く。
第2楽章 ラルゲット ヴァイオリンによる清澄でのびやかな主題で開始される。
第3楽章 ガヴォット ハイドン時代であればメヌエットが続くのが定石だが、ここでは古典舞曲のガヴォットが置かれる。
第4楽章 モルト・ヴィヴァーチェ スピード感とウィットに富んだ鮮やかなフィナーレ。
作曲年代 |
1916~1917年 |
初 演 |
1918年4月21日。作曲者の指揮でペトログラードにて。 |
楽器編成 |
フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦五部 |
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)
ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 K.466
1785年、ウィーンで時代の寵児となったヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの招きに応じて、父レオポルトは息子一家のもとを訪れる。父親が目にしたのは、息子の驚くべき活躍ぶりであった。レオポルトはヴォルフガングの姉ナンネルへの手紙で、息子が住居(通称フィガロハウス)のために高額の家賃を支払っていることや、息子の演奏会を聴いて感銘を受けたことを伝えている。このピアノ協奏曲第20番ニ短調が初演されたと思われる第1回メールクルーベ演奏会について、レオポルトはこう記している。
「最初の予約演奏会に出かけると、身分の高い人たちが大勢集まっていた。各人が6回のコンサートに1スヴラン・ドール、または3ドゥカーテンを支払う。ヴォルフガングは会場費として毎回わずか半ドゥカーテンを払うだけ。演奏会はすばらしいものだった」
予約者は150人以上いたというのだから、モーツァルトにとって公演の利益率は大いに満足すべきものだったに違いない。全盛期の人気ぶりが伝わってくる。
作品の大半が長調で書かれるモーツァルトだが、ピアノ協奏曲ではこの第20番ニ短調と第24番ハ短調の2曲のみは短調で書かれている。全編に横溢する暗く激しい情熱、爆発的な感情表現は、モーツァルト作品のなかでも異彩を放つ。そのドラマティックな作品の性格ゆえか、若き日のベートーヴェンはこの曲を好んで演奏し、自らカデンツァ(独奏者のみが演奏する即興的な部分)を書き残した。モーツァルト自身はカデンツァを残していないため、現在でもこのベートーヴェン作曲のカデンツァが演奏されることが多い。
第1楽章 アレグロ 揺れるようなシンコペーションのリズムで開始され、オーケストラが悲劇的な気分を高める。寂寞とした様子で独奏ピアノが登場する。終結部の手前にカデンツァが置かれる。
第2楽章 ロマンス ピアノ独奏による柔和で穏やかな主題で始まる。中間部では一転して激しく決然とした表情に。
第3楽章 ロンド、アレグロ・アッサイ 急き立てられるような独奏主題で開始され、緊迫感みなぎる楽想が展開される。終結部の前にカデンツァが置かれる。最後はニ長調に転じて、晴れやかな気分で曲を閉じる。
作曲年代 |
1785年 |
初 演 |
おそらく1785年2月11日、作曲者独奏でウィーンにて。 |
楽器編成 |
独奏ピアノ、フルート1、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦五部 |
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)
交響曲 第41番 ハ長調 K.551 「ジュピタ-」
1788年、モーツァルトは最後の交響曲となる交響曲第41番「ジュピター」を書きあげた。32歳の作曲者にとって、これが最後の交響曲となる予感があったとは思えないが、結果として最後の作品にふさわしい偉大な名曲が生み出されることとなった。
もっとも、この作品がどのような目的で書かれ、いつどこで初演されたかはわかっていない。この年、交響曲第39番から第41番「ジュピター」に至る三大交響曲が完成されているが、一方でピアノ協奏曲は第26番「戴冠式」が書かれたのみ。モーツァルトの自作協奏曲の独奏者としての人気はすでにひと段落していたことがうかがえる。代わって、3曲もの充実した大交響曲が書かれたことは、作曲者がなんらかの音楽市場の変化に対応した可能性を思わせる。
「ジュピター」の愛称はモーツァルトが付けたものではない。ハイドンをロンドンに招いて大成功を収めたことで知られる辣腕の興行主ヨハン・ペーター・ザロモンがローマ神話の主神にちなんで名づけたとされる。作品のたぐいまれな壮麗さにふさわしいということなのだろう。早くも19世紀初頭からイギリスでこの愛称は使用されており、現代に至るまでこの名が定着していることからも、ザロモンのネーミングセンスは秀逸というほかない。
第1楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ 扉を連打するような、オーケストラ全体による力強く威厳に満ちた主題で開始される。モーツァルトの多くのアレグロ楽章で聴かれる陽気さに代わって、典礼風の荘重さが打ち出される。
第2楽章 アンダンテ・カンタービレ 憧憬に満ちた冒頭主題が奏でられると、即座にこれを否定するかのような荒々しい応答が返る。安らぎの音楽のようでありながら、どこか空虚な表情を垣間見せて、漠然とした不安を漂わせる。
第3楽章 メヌエット 流れるようなリズミカルな舞踊の音楽。対して中間部のトリオは踊りの合間にそっと語りかけるかのよう。
第4楽章 モルト・アレグロ 冒頭のジュピター音型(ド─レ─ファ─ミ)をもとに複数の声部を複雑に絡み合わせながら、終結部の輝かしいフーガへと向かって突き進む。この圧倒的な高揚感を前に、ザロモンの脳裏に「ジュピター」の名が浮かんだとしても不思議はない。
作曲年代 |
1788年 |
初 演 |
不明。 |
楽器編成 |
フルート1、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ、弦五部 |
(C) 飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)(無断転載を禁ずる)
飯尾 洋一
音楽ジャーナリスト。著書に『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシック』(廣済堂新書)他。雑誌、コンサート・プログラムへの執筆や、テレビ朝日「題名のない音楽会」音楽アドバイザー、FM PORT「クラシックホワイエ」ナビゲーター、ANA「旅するクラシック」監修他、放送でも幅広く活動する。1965年生まれ。
田中祐子写真(C)sajihideyasu
菊池洋子写真(C)Marco Borggreve