大阪交響楽団 2017年度 定期演奏会 曲目解説

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第214回 定期演奏会   12月8日(金)
デリック・イノウエ
エディクソン・ルイース

 
2017年12月8日(金)19時00分開演 
 
 
ロベルト・シューマン(1810-1856)
序曲、スケルツォとフィナーレ 作品52
 
シューマンといえば、ドイツ・ロマン派を代表する大作曲家。ところが、もっぱらピアノ曲や歌曲の人というイメージが強く、その管弦楽曲は、演奏機会に恵まれているとは言い難い。シューマンはオーケストラの扱いが得意ではなかった――そんな意見もあるくらいなのだ。
だがそれは、オーケストラが巨大化する20世紀の過程で生まれた偏見にほかならない。シューマンの念頭にあったのは、彼が作曲活動を本格化させた地、ライプツィヒに本拠を置く、19世紀前半のゲヴァントハウス管弦楽団である。当時、同団は最大で40人あまり。また楽器も20世紀のそれとは違う。しかもシューマンの筆は、そうした条件下でこそ聴き分けられるような微妙な音色、微妙な音形を書きつけているのであって、この点を考慮してどのように演奏するか。そこが現代の演奏家の課題となるだろう。

さて、若きシューマンには「交響曲」への野心があった。それは室内の孤独な音楽ではなく、よりパブリック(公的)な音楽である。試作を経て、ついに1841年、矢継ぎ早に交響曲(もしくは準交響曲)の完成作がなったのは偶然ではなかろう。というのも、シューベルト最後の交響曲をウィーンにて作曲家の兄の引き出しから発見し、ライプツィヒに送り世界初演させたのが1839年。ピアニスト、クララ・ヴィークと、その父親の猛反対を押し切って結婚したのが翌40年。つまり、幸福感と社会的責任の高まったまさにその時に、管弦楽への大々的な歩を踏み出したのだ。
まずは交響曲第1番「春」から。1841年の初春に一気に書かれ、初演され、公衆の大喝采をさらった。続いて生まれたのが「序曲、スケルツォとフィナーレ」と第4交響曲(初稿)である。本日は、うち前者を最初に聴き、後者(改訂稿)を最後に聴く。
前者は1841年4月、まず「序曲」のスケッチが開始された。当初それだけで独立した演奏会用序曲として構想されたもののようだが、その後、スケルツォとフィナーレが足され、シューマンはこれを「小交響曲」とも「組曲」とも呼ぶようになる。「形式的に交響曲と違うところは、各楽章を別個に演奏することもできる点です。(中略)全体の性格は軽快で、親しみやすいものです」。出版社に売り込むべくシューマンは手紙でそう書いているが、このいささか特異な形式は、すでに初演時から戸惑いを生んだようだ。1845年、ライプツィヒから移り住んだドレスデンにて改訂がほどこされ、出版はデュッセルドルフに移ってから、1853年に実現した。
たしかに、主題やハーモニーの展開に、彼の交響曲ほどの大胆さはない。しかし、悲しげに始まったかと思うとすぐに威嚇するような身ぶりをみせたり(序曲の序奏冒頭)、フーガふう書法を含む壮麗さと慰めるような旋律が交差したり(フィナーレ)と、シューマンらしさは充分。スケルツォ(A-B-A-B-コーダ)の主題素材が、序曲の終わりから採られている点にも注目したい。
 
●作曲年代  1841年
●初  演
 1841年12月6日。フェルディナント・ダーフィット指揮。ライプツィヒにて
●楽器編成
フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、弦五部
 
 
 
セルゲイ・クーセヴィツキー(1874-1951)
コントラバス協奏曲 作品3
 
クーセヴィツキーと聞いて、音楽ファンが真っ先に思い浮かべるのは、彼のどんな活動だろうか。ハンガリーの大作曲家、バルトークに、その晩年、移住先のアメリカで「管弦楽のための協奏曲」(1944年)の創作を依頼した話などは有名だろう。こればかりではない。たとえば、すでに1922年の時点で、ムソルグスキーのピアノ曲「展覧会の絵」を管弦楽版にアレンジする仕事を、かのラヴェルに頼んでいる。つまりは旺盛な音楽プロデューサー。その恩恵に、現在の私たちも大いに与っているというわけだ。
クーセヴィツキーはまた、同時に指揮者であり、出版人でもあった。いや、そもそもそのような立場にあったからこそ、委嘱活動にも積極になったのだろう。
そんなクーセヴィツキーに、若干数とはいえ、作曲作品があるのは意外に思われるだろうか。その多くがコントラバスのための作品であるのは、ほかでもない、彼自身が当初、名コントラバス奏者であったからである。
クーセヴィツキー家はユダヤ系で、セルゲイは19世紀末期、ロシアのヴイシニー・ヴォロチョークに生まれた。両親からヴァイオリンとチェロを学んだ彼が、その後モスクワでコントラバスを専攻するようになったのは、その時に奨学金の枠がファゴットとトロンボーンとコントラバス専攻にしか設けられていなかったためと言われる。1894年に学業を修了したのちは、ボリショイ歌劇場のコントバス奏者や、モスクワ音楽院教授の地位を得た。ソリストとしても1896年にデビュー。1903年にはドイツでもソリスト・デビューを果たし、ボッテジーニらのオリジナル作品に加え、モーツァルトのファゴット協奏曲やブルッフの「コル・ニドレ」を、コントラバス用に編曲して演奏したという。
これから聴くクーセヴィツキー自身のコントラバス協奏曲は、ちょうどこの頃の作品。アレグロ、アンダンテ、アレグロの計3つの楽章から成るが、両端楽章は、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番冒頭を思わせる開始部といい、互いによく似ており、全体はA-B-A’ のフォルムをとる1楽章の音楽といった趣が強い。ほかにもグリンカ、ダルゴムイシスキー、グリエール、ラフマニノフといったロシアの作曲家からの影響が濃厚である。両端楽章での、高音域で展開する速い技巧的なパッセージなどは、ドヴォルジャークのチェロ協奏曲をも思い起こさせよう。
クーセヴィツキーはその後、演奏家としては指揮者業に集中することになる。資産家の娘と二度目の結婚を果たし、1905年から1909年にベルリンに滞在したのが大きかった。ワインガルトナー、ニキシュほか、当時の大指揮者の仕事をつぶさに観察したのである。それからモスクワで、そしてパリでも、自分のオーケストラを設立・指揮し、ついに1924年、ボストン交響楽団の音楽監督に就く。1949年まで同職を務め上げるあいだ、1935年には、のちにレナード・バーンスタインや小澤征爾らも関わることになるあのタングルウッド音楽祭を創設している。
 
 
●作曲年代 1902年
●初  演
1905年2月25日。セルゲイ・クーセヴィツキー独奏。モスクワにて
●楽器編成
フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、ティンパニ、ハープ、弦五部
 
 
 
ロベルト・シューマン(1810-1856)
交響曲 第4番 ニ短調 作品120
 
シューマンの創作後期、デュッセルドルフ時代に仕上げられたと、ひとまずは言うことができるが、本稿のはじめに述べたとおり、すでに1841年ライプツィヒにて、初稿がいったん完成をみている。その初演も、同年同地で行われており(「序曲、スケルツォとフィナーレ」と同じ日)、順序から言えば、ほんらい交響曲第2番と呼ぶべき作品である。このライプツィヒ初演が芳しくなかったため、出版がとん挫。10年後の1851年に改訂を施し、再演、これが成功して出版に至り第4番とされた。今日も、こちらの一般的な改訂稿で聴く。
両稿の間には、オーケストレーションをはじめ、細部でかなりの違いがあるが、ここでは当初から変わらない基本コンセプトの方に注目したい。まずは、その「コンセプト」をたくまずして衝いた、1841年初演時の批評を見てみよう。
「聴衆は、ことに彼の交響曲に対して、驚きの色を隠せなかった。というのも、全ての楽章が繋ぎ合わされてしまっていたからである。多くの人は戸惑い、じっと静かに聴いていた人たちも、全体を通常よりもいささか長い第1楽章と思っていたのだった」
そう、シューマンは、1. 急速な楽章 2. 緩やかな楽章 3. 舞曲ふうの楽章 4. 急速な楽章という、交響曲の旧来の型を踏襲しつつも、間に休みを置かずこれを全部つなげてしまったのである。そればかりではない。より重要なのは、楽章間での楽想の共有が著しい点で、これが、なにか一つの記憶がぐるぐると巡るような不思議な感覚を引き起すのだ。
たとえば、第1楽章には憂愁ただようゆっくりとした序奏が置かれているが、これがなんと第2楽章の途中で、とつぜん戻ってくる。また、この序奏が、第1楽章でじわじわと高揚し主部へと移行する場面にもご注目。ここでヴァイオリンが何度も繰り返す音形は、このあと速度の高まる主部の主題となるし、また第4楽章の序奏でも、主部でも、再び利用されてゆく。
いや、「音形」とみるのではなく、その音の連なりをゆるやかにとらえれば、これは第2楽章にも第3楽章にも谺しているということができる。シューマンが本作を当初「交響的幻想曲」と呼んでいたのも頷けよう。いわば一個の「詩的想念」が楽曲全体をおおう、一編のファンタジー。従来にない交響曲の試みだったのである。
 
 
●作曲年代 1841年
●初  演
初稿:1841年12月6日。フェルディナント・ダーフィット指揮。ライプツィヒにて。
改訂稿:1853年3月3日。ロベルト・シューマン指揮。デュッセルドルフにて
●楽器編成
フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、
弦五部
 
 

 (C)  舩木 篤也(音楽評論家)(無断転載を禁じる)
 
 
デリック・イノウエ写真 (C) Satoru Mitsuta
 
 
 
 
 
                                     
 
 
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