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インタビュー 青木 宏朗(ホルン副首席奏者)
2021-09-06
— 大阪交響楽団に入って何年になりますか?

2016年9月入団ですから、ちょうど5年になります。最初の2年ぐらいはずっとだめだったんですよ。曲をとにかく勉強して、実際に求められるものを練習してきたんですけど、さらに難しいものをやっていかないと、自分の実力が全然伸びないことが、3年目ぐらいでようやくわかってきました。

— 以前は兵庫芸術文化センター管弦楽団(以下PAC)に所属されていましたね。

PACではゲストで素晴らしいプレーヤーが来られますけども、同僚は歳が近い。こちらに来てみたら、ほぼ全員、私よりはるかに経験豊富な方々ばかりです。ついて行くのに必死という状態でした。そのために、自分により厳しい練習を課す必要があったんです。同時に僕自身が二十代から三十代になって身体が疲れやすくなった。どうしたら、きついことをしても翌日元気に吹けるのかを考えました。

— ホルンを始めたきっかけは何だったのですか?

小学校の時に金管バンドに入っていたし、習いごとでフルートをしていたんですが、中学で最初はバスケットボール部に入ったんです。でも、あまりうまくいかなくて辞めてしまいました。そこで中1の冬に吹奏楽部を考えたのですが、「ホルンかテューバをやれ」と言われて、当時はチビでガリガリだったし、金管バンドではアルトホルンを吹いていたので、同じホルンだなあと思って始めたんですが、全然違いました。

— ホルンはどのあたりから面白くなってきましたか?

中3の時に顧問の先生が替わって、正しいホルンの楽譜の読み方を教えてもらってようやくです。でも高校に入った時は今度こそフルートを、と思っていたのですが(笑)結局またホルンかテューバかということになって、じゃあホルンかなぁと。高2の時、身の回りに様々な不幸があって、生きている間は何か自分が心からやりたい!と思える事に一生懸命取り組んで生きていきたいと思ったんです。その時思い浮かんできたのが、何故かホルンでした。

— 音楽大学に進学されて、ホルン奏者を職業にしようと考えたのはどの段階でしたか?

大学に入った時に師匠の水野信行先生が着任されたばかりで、「オーケストラを受けたい人いますか」と言われて、みんな手を上げていたんですが、僕はまだオーケストラを知らなかった。当時は音楽の先生になろうかなと思っていました。大学4年生ぐらいで、オーケストラが面白いと感じ出したんです。

— 卒業してどうしましたか?

29歳でPACに受かるまではフリーです。全然違うアルバイトもしていました。レッスンも受けていたんですが、先生の言う通りにできたのに、コンクールやオーディションの1次試験に通らないことがあったんです。そこで、自分でやりたい演奏を考えて、それを本番でやってみたら、初めて1次を通ったんですね。そこからは自分でやりたいように練習して、勉強を続けました。

— オーケストラでホルンを吹いていて良かったと思えること、そして印象に残る出来事を教えてください。

初めて第九の4番ホルンのソロをまかされて、何とか吹けた時はうれしかったです。1ヶ月ぐらい前から緊張に慣れようとメンバーに聴いてもらうために、休憩時間にずっとさらっていました。
 
 
 
青木宏朗写真(C)飯島 隆
 
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
 
~プログラムマガジン2021年度8・9月号掲載~
 
 
 
 
 
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