— オーケストラでトランペットを吹いていて、良かったという瞬間は?
僕たちのオーケストラは2管編成なので、古典の曲をやることが多いのですが、2本のトランペットとティンパニがチームになって、一つに揃った感覚が最後まで続くと非常に充実感があります。もちろんトランペットが活躍する作品もそうなのですが、そちらは、どちらかというと、吹き終えるとホッとしますね(笑)
— トランペットはいつから?
北海道の旭川出身なんですが、小学4年生で入ることになった器楽クラブです。母がPTAのコーラスをやっていて、どちらも同じ先生が指導されていたのがきっかけでした。僕の意見はほとんどなし。余っていたのがトランペットだったんです。しばらく音なんか出ませんよ。面白くなってきたのは高校生になってからです。仲間に全国選手がいて、刺激されました。練習量が増えて、試してみる、吹けるようになる、だから面白いという循環ができたんです。市民バンドで大人の人と接したことも、よい経験になりました。
— 音楽家になることを意識したのは?
教員になることしか考えてなかったんですが、「その成績では社会科は受からないぞ」と言われて、教育大学の音楽科に進学することになりました。ところが大学にはトランペットの先生がおらず、先輩に札幌交響楽団の松田次史先生のところに行くぞと連れて行かれたのが始まり。札響の演奏もよく聴くようになって、これは楽しいなと。在学中に、札響の演奏会と金管アンサンブルに仕事として呼んでいただいたこともよい経験になりました。
— その後はどうされましたか。
東京や大阪、海外に行こうとはせず、地元を地盤にプレイヤーとしての活動や、指導者としての仕事を続けていました。その中でプロのオーケストラを受験するようになって、2003年に大阪シンフォニカー交響楽団のオーディションを受けることになりました。まったく縁もゆかりもなく、事務所に電話した時「えぇ!北海道!!」と言われたんですよ。
— 入団後は?
オーケストラ曲のレパートリーを、日々追いかけることから始まりました。大変というよりも、息つく間もない感覚でした。自分のポジションを確立するまで3年ぐらいはかかったように思います。吹奏楽ではオーケストラ曲を編曲したものも演奏していましたが、オーケストラで触れた時に、全部が本物というか、先人が残したものを何も変えずにやれることの凄さを感じました。
— 最近で印象に残る本番はありましたか。
毎回濃い経験が続いているんですが、特に外山雄三先生と、スタンダードな曲を時間をかけて練習できた時には、格別な刺激を受けています。その結果、常に身体と頭を使って演奏することになります。「古典をエレガントに」と師匠に教わってきたんですが、以前モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲を演奏した時に、これが一つのあるべき姿なんだなと感じました。
徳田知希写真(C)飯島 隆
聞き手/小味渕彦之(音楽学・音楽評論)
~プログラムマガジン2019年度1・2・3月号掲載~