大阪交響楽団 2016年度 定期演奏会 曲目解説

00820204
 
 
 
第201回 定期演奏会   4月7日(木)
ダニエーレ・アジマン
神谷 美千子
林 澄子

2016年4月7日(木)19時00分開演 ザ・シンフォニーホール
 
はじめに

  フェリックス・メンデルスゾーンは、ドイツ啓蒙思想を代表する哲学者モーゼス・メンデルスゾーンを祖父、銀行家アブラハムを父として、裕福なユダヤ系エリート一族に生まれ、幼少より英才教育を受けた。その教育内容は、ピアノ、ヴァイオリン、作曲、英語、フランス語、イタリア語、ギリシャ語、ラテン語、文学、美術、絵画、水泳、フェンシングなど多岐にわたるものであった。しかもこれらの科目はすべて家庭教師によるもので、その家庭教師は皆、当時の著名人だった。それだけではない。自宅の大きな庭には、百名以上が収容できるというサマーハウスが建てられ、隔週日曜日の午前中に「日曜音楽会」が催された。そのためにオーケストラと合唱団が雇われたというのだから、驚愕に値する。少年メンデルスゾーンはそこで自作を披露するのだが、観客として招待されたのが、当時のそうそうたる知識人や政治家たちであったことは言うまでもない。フンボルト兄弟、ヘーゲル、E.T.A.ホフマン、ハイネ、シュレーゲル兄弟、ショパン、モシェレスなどである。このような環境で、メンデルスゾーンは交友関係を構築していったのだ。
  その教育の締めくくりとして、メンデルスゾーンは当時の裕福な教養市民の慣例にしたがい、1830年から1832年にかけて大修養旅行にでかける。ヴァイマールでゲーテを訪問し、ミュンヘン、ヴィーン、ヴェネチア、フィレンツェ、ローマ、ミラノ、スイス各地、パリ、ロンドンへと旅を続ける。実はこの大旅行に出発する直前にも、初めてのロンドンへの演奏旅行をおこなっているのだが、これらを実現に導いたのが、自邸の日曜音楽会で出会った友人たちであった。とりわけ重要なのが、クリンゲマンとモシェレスである。クリンゲマンはハノーファー王国の役人(外交官)で、1816年からパリ、1818年からベルリン、1827年からロンドンに駐在した。もう1人の友人モシェレスは、プラハ出身のユダヤ人作曲家・指揮者・ヴィルトゥオーゾピアニストである。ウィーンでサリエリに師事し、ベートーヴェンやマイアベーアと親しく、1825年よりロンドンに住み、メンデルスゾーンの作品紹介・普及に尽力した。このような背景や友人関係は、本日演奏される作品にどのように関わっていたのだろうか。


曲目解説

フェリックス・メンデルスゾーン(1809-1847)
序曲「美しいメルジーネの物語」 作品32


  《美しいメルジーネの物語》の題材となっているメルジーネは、上半身が女性、下半身が蛇という水の精で、土曜日ごとに下半身を蛇に変え水浴びをする。ドイツに古くから伝わる民衆本が背景だが、この民衆本は1400年頃のフランスを起源とする。さまざまなバージョンがあるが、およその内容は「騎士ライムントとメルジーネが結婚し、この二人の間に多数の子供が生まれる。しかしライムントが、土曜日にはメルジーネの姿を見てはいけないという禁止を破ったために離別する。その後ライムントは修道院で贖罪の生活を送り、子供たちはボヘミアやルクセンブルクで騎士として活躍する」というものである。
  作曲のきっかけは、彼がベルリンで見たオペラの初演だった。ベルリンのアレクサンダー・プラッツにあるケーニヒシュタット劇場で初演された、コンラーディン・クロイツァーのオペラ《メルジーネ》である。ところがメンデルスゾーンは気に入らなかった。なんでも繰り返しばかりで退屈だったらしい。そして自分でもっとすばらしい作品を書こうと考えたらしい(もちろん繰り返し無しで)。
  さて、メンデルスゾーンは作曲の際、友人達に相談を重ねて書き直すという作業を入念におこなっていた。序曲《美しいメルジーネの物語》は1834年4月にロンドンのフィルハーモニー協会で初演されるのだが、それに向けて、クリンゲマンとモシェレスと、何通もの手紙のやりとりをしている。プログラムに載せる作品タイトル、オーケストレーションなど、微に入り細に入りだ。そして1834年2月、モシェレスの指揮で試演をしてみた。クリンゲマンは次のように書いている。「昨晩の君の序曲に感動した。物語が音楽で紡がれ、メルジーネが悲痛に嘆いている場面では皆が共感していた。モシェレスは全霊をかけ、ありったけの愛情をもって指揮をした。しかし1回目はひどくて、つむじ風のようにきつく管楽器が鳴り響き、フォルテは弱々しかった。何度かやると随分良くなり、神のようになってきた」。モシェレスは次のように書いている。「これはすばらしい作品だ。力強いコンセプトと統一性とオリジナリティーが特徴だ。しかし、オーケストラで弱音を演奏するのは易しいことではなかった。特に冒頭は絶望的だ。私はたじろぎ、うめき、開始部分を3回練習した。私は声を限りにピアノ、ピアノ、ピアノ!と叫ばなければならず、地に伏して、獰猛なヴァイオリンと低音楽器を押さえつけようと試みた。」
  これを受け、メンデルスゾーンは即座に改訂する。万全の準備をして望んだ1834年4月7日の初演は、モシェレス指揮の定期演奏会だった。クリンゲマンは報告する。「この前のフィルハーモニー協会の演奏会では君のメルジーネが不評を買った。何も言わない方がいいだろう。私も嘆いている。成功とはいえなかった。」メンデルスゾーンは返事を書く。「あなたも私のメルジーネに拍手をしたくないと思いましたか?そんなものまっぴらごめんということでしょうか。」
  その後、メンデルスゾーンはメルジーネをまったく新しく書き直した。友人たちにさらなる相談をしたことは言うまでもない。1835年11月23日、ライプツィヒでの改訂初演を終えたメンデルスゾーンは、「私の全ての作品の中で一番すばらしい音楽になった」と満足を語っている。

●作曲年代 初稿/1833年、改訂稿/1835年
 
●初演
初 稿/1834年4月7日
    ロンドン・フィルハーモニー協会「第3回定期演奏会」 
    イグナーツ・モシェレス指揮

改訂稿/1835年11月23日
    ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
   「オーケストラ年金基金のための慈善演奏会」
    クリスティアン・ゴットリープ・ミュラー指揮
   (メンデルスゾーン本人の指揮が予定されていたが、父親が
    急逝したためヴァイオリニストのミュラーに変更された)

●楽器編成
フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、   トランペット2、ティンパニ、弦五部




フェリックス・メンデルスゾーン(1809-1847)
ヴァイオリンとピアノと弦楽のための協奏曲 二短調


  14歳のメンデルスゾーンが21歳の親友のヴァイオリニスト、エドゥアルド・リーツのために作曲したのが、ヴァイオリンとピアノと弦楽のための協奏曲ニ短調だ。リーツは残念ながら早世するのだが、彼の弟のユリウスは指揮者としてデュッセルドルフおよびライプツィヒでメンデルスゾーンの後任を務め、メンデルスゾーン旧全集の編纂を担う人物となる。この時期、メンデルスゾーンは他にも、室内楽や協奏曲を多数書いていた。この協奏曲の書かれた14歳の5月までに、室内楽だけで30曲以上も残している。もちろん日曜音楽会で、仲間たちと音楽をたのしむためである。
  この協奏曲はまず弦楽合奏のために書かれ、1823年5月25日に日曜音楽会で演奏された。その日の観客は60名程度だったという。その後、管楽器とティンパニのパートを追加で作曲し、7月3日にベルリンのシャウシュピールハウスで公開初演された。ヴァイオリンがエドゥアルド・リーツ、ピアノはメンデルスゾーンだった。なお、自筆譜は弦楽パートと管打パートが別になっており、どちらのスタイルでも演奏できるようになっている。作品の早熟ぶり、完成度の高さには驚くばかりで、6年後の1829年、初めてのロンドン演奏旅行を目前に控えたメンデルスゾーンに、クリンゲマンは、「モシェレスが演奏したいと言っているからパート譜を持ってくるように」という手紙を書いているほどである。言うまでもないが、ロンドンでのデビュー作として使える見込みがあったからである(実際に演奏された記録は見つかっていない)。

●作曲年代 1823年 
 
●初演
初演(非公開)
弦楽合奏バージョン
1823年5月25日 ベルリンの自宅での「日曜音楽会」
おそらくエドゥアルド・リーツがヴァイオリン、メンデルスゾーンが
ピアノを担当
 
公開初演
フルオーケストラバージョン
1823年7月3日 ベルリン・シャウシュピールハウス
ヴァイオリン:エドゥアルド・リーツ ピアノ:メンデルスゾーン
 
●楽器編成
弦楽合奏バージョン/ヴァイオリンソロ、ピアノソロ、弦五部
 
フルオーケストラバージョン/上記プラス フルート2、オーボエ2、  クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、トランペット2、ティンパニ



フェリックス・メンデルスゾーン(1809-1847)
交響曲 第3番 イ短調 作品56 「スコットランド」
 

 
 1829年7月22日、初めてのロンドンで華々しい成功を収めたメンデルスゾーンは、1ヶ月半にわたるスコットランド旅行にクリンゲマンと出かける。彼らがまず目指したのはエディンバラのホリールード宮殿である。12世紀に建てられた宮殿は、歴代のスコットランド王の居城であったものの、メンデルスゾーンが訪問した時にはすでに廃墟となっていて、文学、絵画の題材となるだけでなく、観光スポットとして有名な場所だった(現在も)。彼らがエディンバラに到着したのは7月26日。翌々日の28日および30日にメンデルスゾーンは父に宛てて手紙を書き、スコットランドの悲劇の女王メアリー・スチュアートを、まるで透視したかのような感想を書き綴った。そして同じ30日付けで、16小節の交響曲の冒頭スケッチを残した。このスケッチから交響曲《スコットランド》が完成するまでは、実に13年もかかることになる。しかしそれは、メンデルスゾーンが自ら納得して完成させ、自ら出版した唯一の交響曲となった。
  主に作曲に従事したのは1841年の夏で、1842年3月3日にライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団で初演された。メンデルスゾーンはかねてより、交響曲の4つの楽章が、楽章間に拍手されることを嫌っていて、この時の初演では、拍手されないように4楽章を切れ目無く演奏した。ところがこれが大変不評だった。2週間後の3月17日、同じくライプツィヒで再演された時にはカール・バッハという指揮者が指揮をし、楽章の間に拍手があったという。6月13日にはロンドン初演される。この時はメンデルスゾーンが指揮をしたにもかかわらず、楽章間に拍手があり、それどころか、第2楽章のあとの拍手がなりやまずに、もう一度第2楽章が演奏されたらしい。本日はくれぐれも拍手なさらぬよう。

●作曲年代 1829〜1842年
 
●初演
1842年3月3日
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団「第19回定期演奏会」
メンデルスゾーン指揮
 
●楽器編成
フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、
トランペット2、ティンパニ、弦五部

 
         (C) 小石かつら(音楽学)(無断転載を禁じる) 

 

 

 
 
 
一般社団法人大阪交響楽団
Osaka Symphony Orchestra
〒590-0074
大阪府堺市堺区
北花田口町3-1-15 東洋ビル4F
TEL:072-226-5533
FAX:072-226-5544
 
 
四国支局
〒790-0051
愛媛県松山市生石町
649-11-402
TEL:089-947-4751
FAX:089-934-3577
 
 
201309301658395847.jpg
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
<<一般社団法人大阪交響楽団>> 〒590-0074 大阪府堺市堺区北花田口町3-1-15 東洋ビル4F TEL:072-226-5533 FAX:072-226-5544