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第196回 定期演奏会   9月28日(月)
児玉 宏

創立35周年記念
【軌跡①~児玉宏のブルックナーVol.11~】
 
2015年9月28日(月)19時00分開演 
 
 

物事には、始まりがあれば必ず終わりもやってくる。今も忘れることのできない、ブルックナーの交響曲第3番というちょっとユニークな作品による、2005年の喜びに満ちた驚愕の出会いから11年を経て、今ここに一つの締めくくりとなる演奏会がやってきた。11年前のあの演奏会が、まさかこんなにも長大な時間をかけた、実り豊かな成果を生むものになるとは誰も思わなかっただろうが、それほどまでにあの定期演奏会は、オーケストラにとっても、また聴衆にとっても大きな衝撃であったのだ。

大阪にはかつて朝比奈隆というブルックナーの我が国における最高のスペシャリストが存在し、他の指揮者やオーケストラが、あだや疎かに取り組める対象ではなかったし、かつて大阪シンフォニカーと呼ばれたこのオーケストラも、ブルックナーを主たるレパートリーとするようなオーケストラではなかった。それだけに11年前の演奏会から我々は、このオーケストラの新しい可能性と、朝比奈からは聴けなかったブルックナー解釈の新しい夜明けを感じたのだ。

その後20084月に、あの定期演奏会を指揮した児玉宏は乞われて大阪交響楽団の音楽監督・首席指揮者となり、数々の新機軸を生み出し、このオーケストラならではの音や響きを生むとともに、ひと回りもふた回りも大きく成長した独自の性格を持つオーケストラに躍進させ今日に至っていることはご承知の通りだ。その児玉も、8シーズンに亘った音楽監督・首席指揮者職を、楽団創立35周年の節目となる今シーズンをもって退任する。

その意味では、ブルックナーの生涯最後の作品である交響曲第9番をメインとする今回の定期演奏会は、ブルックナーの長期にわたった交響曲全曲シリーズの最終回であるとともに、児玉の有終の美を飾る演奏会になる(在任最後の演奏会ではない)。残念なことではあるが、終わりはまた新たな始まりをも意味する。児玉も大阪交響楽団も、是非新たな飛躍と出会いを我々の前に示して欲しいと心から願わずにはいられない。

 さて今日の定期演奏会は、先ほども言ったように、ブルックナーの交響曲シリーズ最終回として、彼の白鳥の歌となった未完の大作、交響曲第9番が演奏される。個人的な好みで言わせていただければ、私はこの第9番が彼の最高傑作だと思っている。この作品には、元々比較的そう言うものの少ないブルックナーではあるが、すでに世俗的な野心や、少しでも曲を良く見せたいという下心もすっかり払拭され、あるのはただ究極の世界(神の世界)に帰依する澄んだ心だけである。どんな指揮者も、自らの生が終わりに近づくと、演奏したくなり、また名演を残すのは、この作品が野心を持って臨んでは良い演奏にならないことが分かっているからだろう。皆がそういう状況で演奏するのではないのだから、本当に人を納得、感動させるのが難しい作品ということになる。しかし児玉と大阪交響楽団にとっては、これが一つの終わりを意味するということで、これまでにも増して素晴らしい演奏が期待できる。我々も心して聴きたいと思う。

 今回この作品の露払いを担うのは、ブルックナー自らが、勝手に作曲の師と心に決めていたワーグナーの「ファウスト序曲」と、ワーグナーの義理の父親に当たるリストの交響詩「オルフェウス」。例によって、リスト⇒ワーグナー⇒ブルックナーというドイツ・ロマン派の重要な一つの系譜である「新ドイツ楽派」の流れが音によって明らかにされるという意味を持つ児玉一流のプログラミング。その意味も併せてしっかりと味わいたい。

 

 

フランツ・リスト(18111886):交響詩「オルフェウス」

 

 

   文学的、あるいは絵画的内容を音楽で表現しようともくろんだ交響詩と呼ばれるジャンルは、リストが創始したものであった。彼はこのジャンルに全部で13曲の作品を残しているが、これはその第4番目のものとして1854年に作曲された。ただこの曲、もともとは独立した交響詩としてではなく、ワイマールの宮廷劇場でグルックのオペラ「オルフェオとエウリディーチェ」がリストの指揮によって当地初演された際、余りないことではあるが、オペラに先立つ前奏曲として(実は後奏曲も作曲している)作曲したのであった。 

おそらくそういう理由から、リストはこの曲を叙事的な描写曲としてではなく、むしろオルフェウスという古代ギリシャの伝説的音詩人に対する彼のオマージュ、あるいはファンタジーとして曲にまとめたのである。後にこれを独立した交響詩として出版した際、リストはその長い序文の中で、彼がパリのルーヴル美術館で見た古代ローマの花瓶に描かれたオルフェウスにまつわる絵にいたく感激したことを綴っているが、そのとき感じたオルフェウスに対する憧れや賛嘆の気持ちを音楽化しようとしたものと考えられる。

ハープのアルペジョに乗って奏されるホルンのモティーフで始まり、その後主部に入ってオルフェウスの高貴さを象徴する二つの主題が登場。オルフェウスの音楽に、周りのすべてが魅入られているかのような甘美な旋律と美しいハーモニーが様々な起伏を重ねながら続き、最後はすべてが天上へと吸い込まれていくようにピアニッシシモpppで終わる。

 

 

リヒャルト・ワーグナー(18131883):ファウスト序曲

 

  ワーグナーの作品で、現在演奏される作品は、ほぼそのオペラ、楽劇の10作品に限られる。毎夏、ワーグナー自身が創設したドイツのバイロイトで行われるワーグナー音楽祭で上演することが許されている作品が、彼自身の遺言によってその10作品に限られているのだから、これも当然のことではあるが、もちろんワーグナーはこの10作品以外にもわずかながら作品を残している。今日演奏される「ファウスト序曲」もその一つである。 

1839年から40年にかけてパリで自らの音楽作法を模索していたワーグナーは、おそらく183911月に初演されたベルリオーズの劇的交響曲「ロメオとジュリエット」から大きな刺激を受けて、自分もゲーテの大作「ファウスト」に基づく交響曲を書くことを目論んだのであった。ただ完成したのは、183912月に作曲が終えられた第1楽章のみで、交響曲にすることを諦めた後、演奏の機会を得やすいだろうとの考えから「序曲」の名を付け出版することにした。ただ演奏の機会はなかなか得られず、1843年、44年と改作が重ねられ、1844年の7月にやっと自らの指揮によってドレスデンの宮廷劇場で初演が行われた。そして初演後も、さらにリストやベートーヴェン(特に第9交響曲)などから学んだものを曲に盛り込み、リストに繋がる交響詩のような最終稿を完成させたのだった。

 この作品は、ワーグナーが自己の音楽語法を見いだした最初の作品だったが、聴けばお分かりのように、すでに後のワーグナーの作品に聴かれる様々な特徴の萌芽が認められるという意味で非常に興味深い。曲は、陰鬱な導入部に始まり、その後ベートーヴェン的なものの影響を思わせる、劇的な高揚を伴う自由なソナタ形式のアレグロの主部へと進む。

 

 

アントン・ブルックナー(18241896):

交響曲第9番二短調(1951年ノーヴァク版)  

 

 

 ブルックナーの生涯最後の作品。自身は最後まで完成に対する大きな意欲を持ち続けたが、結局果たせないまま生涯を終えた。作品への着手は、18878月までさかのぼることが可能だが、レーヴィに演奏を断られたことから、完成していた交響曲第8番の改訂に取り掛かるとともに、他の多くの作品の改訂にも手を付けてしまったため、長らくの中断を余儀なくされ、1891年になって初めて本格的に取り組んだのだった。ただ意外と作曲は進捗せず、第1楽章がいったん完成されたのは189210月で、すでに2年近くもの時間が経過していた。なおすべての点検を終えた最終的完成はさらに1年後の189312月のことになる。つづく第2楽章スケルツォは、すでに第1楽章の点検作業と重ねて作曲が進められていたようで、18932月には一応の完成を見ているが、これもまた最終的完成に至るまでにはさらに1年近くを要し、18942月に脱稿している。アダージョ楽章も、すでに18931月頃から書き始められているが、加齢による体力の衰えや病気のためもあって思うようには捗らず、約2年後の189411月にやっと完成を見ることになった。その後も健康は優れず、最終楽章に着手したのは18955月のことであった。彼自身はフーガに基づく終楽章を書き上げることが最後の念願で、多くのスケッチも残していたが、結局完成を見ることができず、18961011日に帰らぬ人となった。

 彼はこの交響曲第9番を作曲中、加齢や健康不安から常に死の予感に襲われていたようで、この作品について様々な考えを周囲に漏らしている。その一つは、この作品を特定の個人にではなく、「愛する神にささげたい」ということであった。この作品では、成功への世俗的な野心や、少しでも曲を良く見せたいという現世的関心はすでにすっかり失せており、彼の心に去来するのは、ただ神への深い思いだけであった。また彼は、「この作品が未完成に終わった時は、終楽章として自作のテ・デウムを演奏して欲しい」とも、抒情的で荘厳な第3楽章アダージョに対して「これは自分の人生へのお別れである」とも漏らしているが、このことは、この作品が、自身のこの世に対する最後のメッセージとして、飽くまで神聖な目的のために書かれていたことを強く暗示している。この作品にみられる、どこまでも澄み切った神々しさや、無限の宇宙空間をも想わせる広大な拡がり、至福の彼岸を想わせる淨福感は、まさにブルックナーの現世に対する別れの言葉であるとともに、神に対して捧げる無限の愛のメッセージでもあったのである。

 なおオーレル校訂による旧全集版と、1951年にノーヴァクの手によって校訂、出版された新全集版との間に、特筆すべき違いは存在していない。

 1楽章は、ブルックナーならではのトレモロと木管の持続音のあとに、ホルンのまるで何かを問いかけるようなモティーフが重ねられる混沌とした状態に始まる。そこから突如出現する全管弦楽による圧倒的な力強さと悲壮感を漂わせたニ短調による第1主題と、イ長調による歌謡的な第2主題、さらにニ短調による行進曲風の第3主題によって、既成の形式規範を大きく超えたブルックナーならではのソナタ形式が展開される。

 2楽章スケルツォは、彼がこれまで作り続けてきた比較的分かり易い構造を持つどのスケルツォとも異なりかなり奇抜である。その主題はリズムが激しく押し出されたバーバリズム的性格を持ち、いわゆる「トリスタン和音」と同じ響きが用いられるため、不安定でおどろおどろしい雰囲気を持つ。その構成も3部構成に導入的な要素が加えられた極めてダイナミックなものとなっている。トリオもかなり規模の大きなもので、舞曲調の軽快な主題と哀しみを湛えた歌が、かつてないような速いテンポでロンドを形成する。

 3楽章は、様々な感情が入り混じった半音階的に上行するホ長調ながら短調的性格の濃厚なA主題と、変イ長調による宗教的性格を漂わせたB主題によってA-B-A’-B’-A”という形でロンドが形成されるが、ABを提示部、A’を展開部、B’を再現部、A”をコーダとみてソナタ形式楽章とみることもできる。楽章の最後には、彼の旧作の様々な主題が、まるで過去を回想するかのように現れ、この世に別れを告げるかのように静かに曲を閉じる。 

 

 
 (C)  中村孝義(大阪音楽大学教授・音楽学)(無断転載を禁じる)
 
 
 
 
 
                                     
 
 
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