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第195回 定期演奏会   7月10日(金)
キンボー・イシイ
山下 洋一

創立35周年記念シリーズ
【ブラームスの影を添えて】
~キンボーのバルトークシリーズ⑥・バルトーク没後70年~
 
2015年7月10日(金)19時00分開演
 
 
ロベルト・シューマン:
序曲「メッシーナの花嫁」 作品100


この作品は、1851年、シューマン40歳の頃に書かれました。この頃、シューマンは、デュッセルドルフ市の音楽監督に迎えられますが、このラインラント地方の明るい土地柄は、シューマンを大いに刺激し、すぐに書かれた交響曲第3番「ライン」にはこの経験が反映していると言われます。ですが同時に、指揮者としての新しい仕事は、シューマンに大きな精神的負担ともなりました。ちなみに若きブラームスがシューマンのもとを訪れるのは、ほんの数年後のことです。
序曲「メッシーナの花嫁」は、元来はオペラのための序曲として書かれたものです。計画されたオペラは、フリードリヒ・シラーの戯曲「メッシーナの花嫁」(1803年初演)に基づくものでした。この戯曲は、中世シチリアのメッシーナを舞台としています。争いあっているマヌエルとチェーザレの兄弟は、生き別れになって尼僧となっていた妹ベアトリーチェを、お互いそれと知らずに愛してしまい、結果的に弟が兄を殺害し、そして弟も真実を知って自決する、というのが、その筋書きです。この戯曲は、ギリシア悲劇に倣って「コロス=合唱」を取り入れたことで議論を巻き起こしました。もしシューマンが最初の意図通り、この戯曲をオペラ化していたなら、このコロスの部分も音楽化されていたはずですが、あるいはこの難題こそが彼のオペラ化の計画を阻んだのかもしれません。結局、シューマンは序曲のみを作曲して、オペラの構想は放棄されました。
序曲は、序奏付きのソナタ形式で書かれています。主題は、3つ現れます。主部冒頭に現れる悲劇的主題と、同じく短調の複符点的主題、そしてクラリネットとファゴットが奏する休息点のような主題、の3つです。形式的には、主要主題に二つの素材があり、3つ目の長調の主題が副次主題ということになります。この3つの主題が、兄、弟、そして妹に対応している、とする説もありますが、展開部でこれら3つの主題が絡まりあう様子は、確かに戯曲の中の愛憎を思わせるところがあります。型通りの再現があり、最後はより切迫したコーダとなって閉じられます。


ヘルマン・ゲッツ:
ヴァイオリン協奏曲 作品22


ヘルマン・ゲッツは、1840年に生まれ、1876年、35歳で夭折した作曲家です。世代的には、ブラームス(1833-1897年)より少し歳下で、チャイコフスキー(1840-1893年)やドヴォルザーク(1841-1904年)と同世代、ということになります。カントが過ごした街、バルト海南岸のケーニヒスベルクに生まれ、ベルリンの音楽院でハンス・フォン・ビューローなどに学び、スイスのウィンタートゥールのオルガニストの職を得て、ここで音楽家として過ごしました。そのあまりにも短かった生涯のうちに、交響曲、2曲のピアノ協奏曲、シェイクスピアを基にしたオペラ『じゃじゃ馬ならし』、そしてこのヴァイオリン協奏曲などを遺しました。これらの作品については、指揮者ヴァインガルトナーや評論家バーナード・ショウなど高く評価する人もなくはありませんでしたが、演奏会のレパートリーとしては長く忘れられていました。近年になって、その緻密な作曲ぶりは再評価されつつあります。
演奏されるヴァイオリン協奏曲作品22は1868年の作品とされています。1838年生まれで、ゲッツの2歳年上にあたるマックス・ブルッフが作曲した、有名なヴァイオリン協奏曲第1番は、1866年に一旦演奏され、その後改訂を経て現行の形で初演されたのが、1868年初頭ですので、二つの協奏曲はほとんど同時に書かれた、と言ってよいでしょう。ゲッツの協奏曲を聴くと、たしかにブルッフの協奏曲と同じ時代の空気が感じられますし、旋律的な魅力の点で、ひょっとするとゲッツがブルッフの協奏曲に刺激を受けたという可能性もあるかもしれない、と思われます。
曲の外観的特徴として挙げねばならないのは、単一楽章の構成です。ただし、その内部はかなりコントラストのはっきりした各部位に分かれます。整理すると次のようになります。

A 主部(アレグロ・ヴィヴァーチェ 8分の12拍子)
B 中間部(アンダンテ 4分の4拍子)
→レチタティーヴォ風結尾
A’ 主部の再現(アレグロ 8分の12拍子)
→大規模なカデンツァ
X スケルツォ的コーダ(4分の2拍子)

つまり、大きく見ればA B A’の三部分形式にコーダが付いており、その中間部Bが同時に緩徐楽章の役割を、そしてXは同時にフィナーレの機能も果たしている、ということになります。ただ、Bの最後に現れるレチタティーヴォ風の楽句は協奏曲の中では珍しいもので、しかもカデンツァではAの素材と同時にBの素材も重要な役割を果たしており、全体は非常に緊密に結びついている、という印象を生みます。19世紀の隠れた名曲と言えそうです。

   
ベーラ・バルトーク:
管弦楽のための協奏曲


この作品は、今年没後70年を迎えたハンガリーの作曲家、ベーラ・バルトークの最晩年に書かれました。1943年5月、バルトークは指揮者セルゲイ・クーセヴィツキーからの手紙を受け取りました。クーセヴィツキーは、ロシア生まれのユダヤ系で、長年ボストン交響楽団の指揮者をつとめた人物です。夫人ナターリエはロシアの紅茶商の裕福な家庭の令嬢でしたが、その夫人が1942年に亡くなったのを偲んでクーセヴィツキー音楽財団が創設されたばかりでした。異国で白血病を発症して入院したバルトークの窮状を見かねた旧友たちは、クーゼヴィツキーに働きかけ、これをうけてクーセヴィツキー財団がバルトークに作品を委嘱したのでした。
この委嘱によって、バルトークの病状は目に見えて回復します。退院した後、彼はニューヨーク州北部のアディロンダック山地の中のサラナック湖のほとりに移動し、ここで秋まで過ごしました。クーセヴィツキーの委嘱曲、後に《管弦楽のための協奏曲》と名付けられることになる作品が書かれたのは、主にこの時期でした。バルトークは、それまでにあたためていたいくつかのアイディア(バレエのためのいくつかのプラン、学生オーケストラのためのコンチェルト・グロッソ的作品、合唱とオーケストラのための作品など)を盛り込み、異例の速さで作曲を進めました。9月の終わりにはほぼ完成したようです。
初演は、ボストンで、1944年12月1日に、クーセヴィツキーの指揮するボストン交響楽団によって行われました。日本では1951年10月1日、上田仁指揮、東京交響楽団による演奏が最初とされています。
全体は5楽章構成。作曲者自身は、この全体構造について「(おどけた調子の第2楽章を別とすると)、第1楽章の凝固から、第3楽章の陰鬱な死の歌を経て、終楽章の生の肯定へといたる」と述べています。

第1楽章 (序)
まず序奏部分で、低弦が完全4度の音程で伸び上がり、また元の音に戻る、という動機を奏しますが、この響きはバルトーク唯一のオペラ《青ひげ公の城》の冒頭(と末尾)の部分を思い出させます。Y. ルノワールは、これと同じ輪郭を持つハンガリー民謡を見つけ出し、その民謡の歌詞が「ここに私の母が眠り、私は孤児になってしまった」という内容だ、という興味深い指摘をしています。バルトークは、1939年に母を亡くし、それも一つの理由となってアメリカ移住を決意した、と言われていること、そしてこの作品が前述のとおり或る女性への「レクイエム」的性格を持つものとして委嘱されたこと、を考えあわせると、この民謡(ないしその輪郭)を作品の冒頭に置いた、と考える理由はあることになります。
主部は、作曲者自身の解説によれば、ソナタ形式による、ということになりますが、そうなると再現で主題が提示とは逆の順番で再現する点、あるいは各主題の調性が通常の5度関係ではなく増4度関係にあること、などの点で異例のものとなっています。
 
第2楽章  対による提示
全体は、序A(ファゴット2本、6度間隔)、B(オーボエ2本、3度間隔)、C(クラリネット2本、短7度間隔)、D(フルート2本、完全5度間隔)、E(トランペット2本、長2度間隔)、トリオ、A’(ファゴット3本)、B’(オーボエ2本+クラリネット2本)、C’(クラリネット2本+フルート2本)、D’(フルート2本+オーボエ2本)、E’(トランペット2本)、コーダという構造となっています。
上記のA~Eの各主題は、ほぼ並列されるのみで発展や変奏の関係はなく、冒頭に現れるドラムのリズムが全体を縫い取る細い糸となっています。多様な楽器の「対」が織りなす響きは、あるいはクロアチアの民俗楽器ソペラの合奏に影響を受けたかもしれない、と思われます。また、トリオの部分は金管によるコラール的な音楽となりますが、ここにバッハのカンタータ第61番でも知られる賛美歌「来たれ、諸民族の救い主よ」を聴き取る論者もいます。

第3楽章 悲歌
作曲者自身の説明では、この「悲歌」には、3つの主題が現れますが、その主部の前後に霧がかかったような部分が置かれている、ということになります。序の冒頭の低弦の旋律は、完全4度を基礎とするもので、第1楽章冒頭と関連しています。次に現れる木管の素早い上下行の動きは、オペラ《青ひげ公の城》では「涙の湖」で現れた音型で、この楽章のタイトルから考えても、これが涙や悲しみと結びつくものであることは明らかです。
主題1は、第1楽章の序奏で現れたもの。主題2は、バルトークが熱心に調査したルーマニアの葬送歌を思わせる旋律。そして主題3はやはり第1楽章序奏で現れた主題の変形です。主題1と主題3はもともと似た性格を持つので、主部はABA’に近い形となり、その前後に「霧がかかったような部分」が置かれているとすると、この楽章自体も5部分構造を持つことになります。そのような相称的な構造の核(それは同時に作品全体の一番内奥の部分です)に主題2の葬送歌が置かれていることは、第1楽章冒頭に関して述べた民謡の意味とも関連していて注目されます。

第4楽章 中断された間奏
「中断された間奏」というタイトルを持つこの楽章は、全曲の中で最も具体的・標題的な連想が起こりやすいエピソードです。全体はA→B+A’→「中断」→B’+A’’とでも図式化できます。
Bの旋律(第42小節からのヴィオラ)は、ジグモンド・ヴィンツェ(1874-1935年)のオペレッタ『ハンブルクの花嫁』で歌われる有名なアリア「美しく、素晴らしいハンガリー」の旋律と関連している、という指摘があります。
さらに「中断」の場面は、その美しい場面になだれ込む群衆たちで、彼らが一杯機嫌で歌う安っぽい歌はレハールのオペレッタ『メリー・ウィドウ』の中の「マキシムの歌」から採られている、とされます。ですが、指揮者A・ドラティが作曲者に聞いたところでは、バルトークはレハールの旋律ではなく、これは作曲当時、あまりにも頻繁に演奏されていたショスタコーヴィチの交響曲第7番《レニングラード》(1941年)の主題を揶揄するものだ、といいます。いずれにせよ、この楽章にはナチスによって蹂躙されたヨーロッパ(ないしハンガリー)に対する想いを下敷きにして、苦い諧謔が込められている、と見ることができます。

第5楽章 終曲
かなり異例ですが、全体構造はソナタ形式を基礎としていると考えられます。冒頭にはホルンによる動機が置かれ、すぐに無窮動風の主題が始まります。これはルーマニアのロマの楽師たちのバンド(「タラフ」と呼ばれます)の音楽に近いものです。第2主題は、トランクィロでオクターブ下行で始まる主題。そして特徴的なのは第3主題で、この主題はファンファーレ的に響きますが3度音を欠いており、城郭で吹かれるトランペットのファンファーレというよりも、バルトークがかつてハンガリーで集めた「豚飼いの角笛」の旋律を模倣しているように聞こえます。そして、この主題の背景で奏される音型はバグパイプの模倣です。バルトークにとって、豚飼いの角笛の旋律とバグパイプの曲を次々と集めた村での調査の記憶は最も喜ばしい「生」の記憶でした。異国で病に倒れ、もう一度生きる意志を確認するときに、彼がその記憶をたぐり寄せていたとしても不思議ではないでしょう。

 
  
   (C) 伊東 信宏 (大阪大学教授/音楽学)   (無断転載を禁じる)
 
 
 
 
                                     
 
 
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