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第193回 定期演奏会   4月13日(月)
阪 哲朗

創立35周年記念シリーズ
【春のフランス便り②】~デュカス生誕150年・没後80年~
 
2015年4月13日(月)19時00分開演
 
 しばしば指摘されるように、近代フランスの音楽は普仏戦争(1870-71)の敗戦が起点になっている。
 なにしろナポレオン三世自身が捕虜になるという最悪の形で第二共和制が突然断ち切られ、しかも宿敵のプロイセンは、戦後、こともあろうにフランス文化の象徴たるヴェルサイユ宮殿でドイツ統一の宣言を発表した。ズタズタに、そして完膚なきまでに引き裂かれたプライドを取り戻そうとしたフランス人たちは、あらゆる分野における文化の再構築を急ピッチで進めることになる。もちろん19世紀を通して、フランス文化は大いに花開いていたわけだが、その視線はあくまでも内側、すなわち国内側に向かっていた。しかし普仏戦争後のフランスは、自国の文化の優位性を外側に向けても強烈に発信することになるのである。
 もちろん音楽も例外ではない。「アルス・ガリカ(ガリア=フランスの芸術)」という旗印のもとに「国民音楽協会」が設立され、ここを一つの母体にしながら、ドビュッシーやラヴェル、そして彼らとほぼ同世代にあたるルーセルやデュカス、さらには「六人組」世代やイベールといった才能が次々にあらわれて、フランス音楽は一気に、とてつもない高揚を迎えることになったのだった。
 彼らの音楽の特徴は、それが高度にハイブリッドな性格を持っていた点にある。古くはラモーあたりに端を発し、19世紀にはマスネやグノーが基盤を作った「フランス風」の和声書法をベースにしながらも、ワーグナーを中心とする後期ロマン派の和声がそこに混ぜ合わされ、さらには世紀末の異国趣味によって、ロシアはもちろんのこと、遠い東洋の音楽までもが召喚される。必然として、その音楽はフランス的でありながらも様々な混合に満ちた、独特の芳香をたたえることになったわけである。
 本日の3曲は、この豊かな実例ということができよう。

 
ルーセル
小管弦楽のためのコンセール 作品34
 
 アルベール・ルーセル(1869-1937)といえば、まずはバレエ音楽「くもの饗宴」や4つの交響曲で知られる作曲家であるが、その個性については十分に知られていない感がある。
 まず注目しておかねばならないのは、彼がパリ音楽院ではなく、1894年に新設された「スコラ・カントゥルム」の出身者ということ。この機関の主要な目的は、グレゴリオ聖歌以降、ルネサンスやバロックの音楽を見直しながら、音楽史を重層的に体験するという点にあった(言うまでもなく、この発想は当時きわめて新しいものである)。結果として、スコラの作曲科の卒業生たちは、和声やフーガの流麗な処理という点では、そしてオペラの書法という点ではパリ音楽院には一歩譲るとはいえ、しかし幅広い歴史的パースぺクティヴを基盤にした、どこかゴツゴツとした肌触りを持つ個性的な音楽を書くようになったのだった。サティやヴァレーズといった卒業生の名を挙げれば、この雰囲気は理解されよう。
 25歳で海軍を退役し、スコラ・カントゥルムの一期生となったルーセルは、まさにこの学校の美点を存分に吸収した作曲家だった。19世紀末から20世紀初頭のフランス音楽にしかあり得ない洒脱なセンスを基にしながらも、時にあえてアルカイックな、あるいは東洋的な色彩に深く傾斜するあたりに、彼独特の持ち味がある。実際、日本の音楽史に詳しい方ならば、ルーセルが、伊福部昭の「日本狂詩曲」を第一位に選出したチェレプニン賞の審査員であったこと、そして深井史郎の傑作「パロディ的な4楽章」の中で採りあげられている存在であることを思い起こすはずだ。
 1927年に作曲された「小管弦楽のためのコンセール」も、こうした彼の音楽の特徴を余すところなくあらわす音楽のひとつ。曲は3つの楽章からなる。
 第1楽章(アレグロ)は、2つの主題を基にしたソナタ形式的なフォルムを持つが、何より耳を奪われるのはその楽器法だろう。機知に富んだ弦楽器のパッセージの合間から、様々な管楽器の独奏やアンサンブルが次々にあらわれる。オーケストラ好きにはたまらない音楽だが、楽団側からみれば個々の奏者の力量があらわになってしまう、きわめてシビアな音楽ともいえる。第2楽章(アンダンテ)は、フルートの響きに始まり、徐々に弦楽器を巻き込みながら、まるでアラビア文様のように旋律が絡み合い、終始うねうねと進行を続ける。終結部ではかそけきピアニシモの中に響きが沈んでいったと思いきや、そのまま休みなしで第3楽章(プレスト)に突入。一見すると単純な三拍子を基盤にしながら、およそ考え得る限りの様々なタイミングで、そして様々な調的ニュアンスで各楽器が合いの手を入れる。結果として、多彩な楽想がコラージュのように重ねあわされて、不思議な立体感を形作るのである。
 
 
イベール
フルート協奏曲
 
 ジャック・イベール(1890-1962)は、ドビュッシーやラヴェルよりもおよそ一世代後にあたる1890年、パリの生まれ。年代としては、いわゆる「6人組」の作曲家たちに近く、実際に彼らとの交流も盛んだった。のちにオネゲルは、第一次大戦で海軍士官を務めることがなければ、イベールも「6人組」の一員になっていたかもしれない、と述懐している(その場合には「7人組」という呼称になっていたのだろうか?)。
 イベールはパリ音楽院を優秀な成績で卒業し、その後は管弦楽、室内楽はもとより、オペラ、バレエ、映画音楽など、およそあらゆるジャンルで能力を発揮した。決して多作ではないものの、フランスではほぼ全作品が現在でも演奏される、数少ない作曲家のひとりといえる。
 先にルーセルと日本をめぐるエピソードを紹介したが、実はイベールも同じ時期に日本と深くかかわっている。1940(昭和15)年、彼はフランスを代表する作曲家として、日本政府の依頼で「皇紀2600年」を祝う「祝典序曲」を作曲しているのである(他にはドイツ代表としてリヒャルト・シュトラウス、イギリス代表としてブリテン、イタリア代表としてピツェッティらに委嘱が行われたのはご存知のとおり)。この作品は、同年の12月に東京の歌舞伎座において、山田耕筰指揮で初演が行われた。当時のイベールはイタリアに居を構えていたのだが、その後の世界大戦の進展を枢軸国側で体験しながら、複雑な思いにかられていたに違いない。
 この「フルート協奏曲」は「祝典序曲」に先立つ7年前の1933年、20世紀を代表するフルーティストであり、現代フルート奏法の基礎を作ったマルセル・モイーズのために書かれた作品。当時、30代半ばのモイーズは絶頂期を迎えていたが、この協奏曲の初演は彼の名声をさらに決定的にしたのだった。
 曲は3つの楽章からなる。
 第1楽章(アレグロ)は、管弦楽による序奏から、勢いよくフルート独奏が飛び出し、きらびやかな第1主題を奏でる。なんとも印象的な開始部だ。その後は細かい拍の仕掛け(4分の2拍子の中に、8分の3拍子が埋め込まれている)を挟みながら無窮動風に音楽が突進してゆく。ティンパニがドドンと鳴ってからが展開部。そしてさいごには第1主題と第2主題が対位法的に絡み合うという、恐るべき巧緻な書法で書かれた再現部へと続く。第2楽章(アンダンテ)はサラバンド風の緩徐楽章。全編にわたってフルートの音色が堪能できる音楽だが、とりわけ後半部ではヴァイオリンの独奏と絡み合って、さらに異なった味わいがもたらされる。ちなみに、父の死を悼んだ音楽という説もあるが、定かではない。第3楽章(アレグロ・スケルツァンド)は、ロンド形式の終曲。目まぐるしく楽想を交替させながら、そして楽器法を変化させながらフルートが跳ね回る様子は、時にジャズ的な感興を思わせるもの。短いながらも気の利いたカデンツァも用意されている。
 
 
デュカス
交響曲 ハ長調
 
 冒頭にも記したように、世紀末のフランスにもっとも大きな影響を与えたのはワーグナーの音楽だった。非常に大雑把にいえば、ラモー以降の「フランス風音楽」の中にワーグナーの毒が混ぜ合わされたときに、近代フランス音楽が出発したといってもよい。周知のように、最初にこの毒をもっとも直接的に受けとめたのがベルギー出身のセザール・フランク(1822-1890)であった。執拗な半音階に満ちた彼の音楽は、まさにワーグナーにも劣らない中毒症状を聴き手に与えるものといえる(実際、「ワグネリアン」「フランキスト」といった呼称がしばしば用いられるのは、彼らの音楽が強い吸引力を発揮していることの証左といえる。同じように好まれている作曲家であっても、ブラームス・ファンにこうした呼称はない)。
 こうして、フランク経由でこの国に浸透したワーグナー熱に強く感染したのが、今年生誕150周年を迎えるポール・デュカス(1865-1935)である。ユダヤ系の家庭に生まれた彼は16歳でパリ音楽院に入学し、やがてワーグナーとフランクの熱烈な信奉者になった。しかし、おそらくはその濃厚な和声語法のせいもあったのだろう、将来を嘱望されながらも、彼は新進作曲家にとって最も大事な「ローマ大賞」を逃してしまう(最高でも2位に留まった)。すっかり自信を失った彼は、生来の完璧主義の度合いをより強め、きわめて寡作になると同時に、のちには初期作品をほとんど破棄してしまったのだった。また、同時期に音楽批評家として活動を開始したことも、自他の芸術に厳しい目で接する傾向を強めたに違いない。
 かくして、彼の作品表は、多くの破棄作品と多くの未完作品に満ちたものになったわけだが、例外的に生き残った曲の一つが、1895年から96年にかけて書かれた「交響曲ハ長調」である。全体は40分を要する規模を持ち、内容の点でもまさにフランクの交響曲に比すことができる充実した質を誇る。管弦楽の編成も二管編成に準ずる一般的なものだから(テューバ含)、世界のオーケストラの標準的なレパートリーになっても、全くおかしくない交響曲といえよう。全体は3つの楽章からなる。
 第1楽章(アレグロ・ノン・トロッポ・ヴィヴァーチェ、マ・コン・フォーコ)は、当然ながらソナタ形式で書かれているわけだが、そのフォルムは一筋縄ではいかない。というのも主要主題は最低3つ(それぞれハ長調、イ短調、ヘ長調)を数えることができるし、その他の副主題もしばしば構造の中に深く食い込んで、様々な機能を果たすからである。結果として、音楽が一方向に進んでいくようでいながら、聴き手は様々な既視感にからめとられ、不思議な球体に閉じ込められたような感覚に陥る。また、全体を通して半音階的/異名同音的な揺らぎが至る所にしかけられて独特のコクを醸し出しているだけに、楽章終結部のハ長調和音はハッとするほど輝かしく感じられる。
 第2楽章(アンダンテ・エスプレッシーヴォ)は、緩徐楽章だが、やはり複数主題を備えたソナタ形式的フォルムを持つ。まずは前半、ホ短調で始まった曲がやがてホ長調、変イ長調へと転じる中で、次々に和声の色合いを変えてゆくのだが、この推移は波打つような弦楽器の響きとも相まって、息を呑むほどに鮮やか。多くの評者が、この楽章を全曲の頂点に据えるのも理解できよう。随所に置かれたコラール的な響きの荘厳さも忘れがたい。
 第3楽章(アレグロ・スピリトーソ)は、豪快なロンド。ここにいたってデュカスのワーグナー/フランク的な音の志向は全面的に展開されて、外側に向かって華やかに開花する。推進力は抜群ながらも、至る所で細かい対位法が動いており、結果として響きはかなり厚ぼったい。当然ながら、管楽器群にもかなりの体力が要求されよう。後半では、ロンドを構成する各主題が結び合わされて、一種のアマルガムを成しながらクライマックスへとなだれこむ。
 ちなみに、デュカスはこの後、「交響曲第2番」を完成間際まで書き上げたというが、残念ながら破棄してしまった。「ハ長調」の完成度を考えると、この破棄はいかにも惜しい気がする。 
 
 
      (C) 沼野雄司(音楽学)(無断転載を禁じる) 

 

 

 
 
 
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