大阪交響楽団 2013年度 定期演奏会 曲目解説

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2013年度 定期演奏会 曲目解説

 
 
第177回 定期演奏会   6月18日(火)
児玉 宏
児玉 宏
児玉 宏
エレーヌ・ベルナルディ
児玉 宏

トリスタン秘話≪マティルデ・イゾルデ・マルトゥッチ≫曲目解説
2013年6月18日(火)19時00分開演
 

ワーグナー:
楽劇『トリスタンとイゾルデ』と『ヴェーゼンドンク歌曲集』

 オペラ史上不滅の名作、究極の愛のドラマたる楽劇『トリスタンとイゾルデ』は、世界の歌劇場でたびたび上演される。またこの巨作と並行して生まれた美しい愛の歌『ヴェーゼンドンク歌曲集』も、しばしば演奏の機会を持つ。しかし、今夜のように、この両者を組み合わせて演奏-歌曲集の前後と、それぞれの曲の間に『トリスタン』の音楽を(しかも時間軸順に)抜粋して、音楽が抵抗なく流れるように接続し、切れ目なしに演奏するというプログラムは、他に例を見ないのではなかろうか。
 さて、古今の大作曲家の中でも、リヒャルト・ワーグナー(1813~83)ほど波乱万丈の生涯を送った音楽家は、他に例を見ないだろう。ドレスデン宮廷歌劇場楽長として名声を博しながら同地の革命に参加して失脚、亡命生活の貧窮を味わいつつ他人の経済的支援に縋り続けたかと思えば、のちにバイエルン国王ルートヴィヒ2世の庇護を受け、自らの作品のみを上演する劇場(バイロイト祝祭劇場)を建設するという並外れた大事業をやってのけた人物でもあった。その一方で彼は、生涯にわたって女性への情熱を失わなかった。糟糠の妻ミンナと全く相性が悪かったため、他の人妻と激しい恋に落ちることもしばしばであった。
 今夜演奏される2曲も、その「人妻」の一人、マティルデ・ヴェーゼンドンクへの熱烈な愛の中で生み出された名作である。

○2曲の成立まで

 1849年の革命加担が原因でチューリヒに亡命したワーグナーは、52年に富豪のオットー・ヴェーゼンドンクおよびその若く美しい妻マティルデと知己になった。間もなくオットーはワーグナーに経済的援助を開始した(54年9月)が、これがのちに大変な事件を惹き起こすとは予想もしなかったに違いない。ワーグナーはすでにマティルデへ密かな想いを寄せ、彼女のために『ピアノ・ソナタ』を作曲していた(53年6月)。そして『トリスタンとイゾルデ』の散文スケッチを書きはじめ(54年10月)、音楽スケッチに着手する(56年12月)。更にオットーは、親切にもチューリヒ郊外の自分の家の隣に建てた家をワーグナーに提供した(57年4月)が、これがワーグナーのマティルデへの熱愛を一気に高めたことは間違いない。8月、彼は作曲中だった『ジークフリート』を中断し、『トリスタン』の散文台本に着手、9月18日にはこれを完成してマティルデに贈った。この時の模様を、ワーグナーはのちにこう書いている-彼女は感動のあまり、椅子に私を導き、私を抱擁して「もうこれ以上の望みはありません」と言った・・・・優しい女性がおずおずとためらいつつ、勇気と苦悩の中に身を投じたのだ、「あなたを愛します」と私に言うために-。この直後にマティルデが書いてワーグナーに贈った5つの詩こそ、のちに「ヴェーゼンドンク歌曲集」と呼ばれることになる、官能と憂愁に満ちた名曲の詩にほかならない。
 こういった出来事が、大スキャンダルに至らず終結を見たのは-別居していたワーグナーの妻ミンナが介入して来たのがきっかけで、ワーグナーがその家から退去(58年9月)したにしても-マティルデの自制と、事情を知りながらも大人の対応をした夫オットーの行動によるところが大きかったであろう。ともあれワーグナーは、そののちもマティルデへの(一方的な)文通を続け、『トリスタン』の作曲を順調に進めて行った。そして59年8月6日、ついにその全曲のスコアは完成を見たのであった。

○『トリスタンとイゾルデ』

 騎士トリスタンは、伯父であるコーンウォール国王マルケの妻に迎えられるイゾルデを船で送る。2人の間には、すでにある出来事をきっかけとする密かな愛が芽生えていたのだったが、それを口にすることは許されぬ状況にあった。2人のプライドはぶつかり合い、ついに2人は「死の薬」を飲む。だがその薬は、イゾルデの忠実な侍女がすり替えておいた「愛の薬」だったのだ(以上第1幕)。2人の一夜の愛の陶酔は、しかしマルケ王たちの発見するところとなる。王の部下の剣の前に、わざと自らを投げ出すトリスタン(第2幕)。重傷を負ったトリスタンは、忠実な従者の手により、領地カレオールに運ばれた。一方、すべてを知ったマルケ王は、苦悩の裡にも諦念をもって2人を許す。こうして王より一足先に船でカレオールにかけつけたイゾルデだったが、すでに遅く、トリスタンは彼女の腕の中で息をひきとるのであった-(第3幕)。
 この楽劇は、ワーグナーの「完成」作品としては、『ワルキューレ』(『ニーベルングの指環』第2部)に続くものであり、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』に先立つものである。前述のとおりこの間には、手がけていた『ジークフリート』(『ニーベルングの指環』第3部)を中断する出来事もあった。彼は、『指環』の前に何か「簡単に上演できる別の作品」を書こうと考え、また「私はこれまで本当の愛の幸福を知らない。だからこの作品の中で愛の耽溺に浸りたいのだ」(リストへの手紙、54年12月)とも思ったのである。

○ヴェーゼンドンク歌曲集

 『天使』(1857年10月~11月)『夢』『悩み』(同12月)『止まれ』(58年2月)『温室にて』(同5月)の順に作曲された。最初は女声とピアノのための作品だったが、『夢』のみは57年12月にワーグナー自身が管弦楽版に編曲、他の4曲はのち指揮者フェリクス・モットルがオーケストレーションした。今夜は一般に演奏される順序と異なり、この作曲順に演奏される。

○「マティルデ・イゾルデ」演奏メモ

 1『トリスタンとイゾルデ』第1幕への前奏曲
  冒頭に出る「憧れの動機」の特徴的な和音(譜例1)。これがいわゆる「トリスタン和音」で、19世紀音楽と近代音楽との分水嶺とさえいわれる、有名な和音である。上行する旋律は全曲いたるところに繰り返され、決して和音的に解決されることはなく、満たされぬ愛と憧れを象徴するように、絶えず不安定のまま進められていく。狂おしい情熱の高まり、その急激な崩壊と絶望感。
             (譜例1)
 

 

 

 2『ヴェーゼンドンク歌曲集』より『天使』(⇒歌詞①)
  「心が不安に震える時、天使が下って来て私の霊を天に導いてくれる」と、悩みの裡にも憧れの感情と秘めやかな情熱が歌われる。

 3『トリスタンとイゾルデ』より(オーケストラのみ)
  第1幕から、2人が「薬」を飲んだ直後の音楽(トリスタン和音)に続き、第2幕から、トリスタンとの逢瀬を待つイゾルデが愛にすべてを捧げる決意と喜びを語る官能的な音楽。これに半音階が連続する有名な愛の2重唱「おお、愛の夜よ」に入る直前の部分が続き、音楽は神秘的な陶酔の世界に沈み、次の『夢』に続く。

 4『ヴェーゼンドンク歌曲集』より『夢』(⇒歌詞②)
  愛の2重唱の神秘的な雰囲気がそのまま取り入れられた。花と香りと幸福を生み出す夢の美しさが歌われる。

 5『トリスタンとイゾルデ』より(オーケストラのみ)
  愛の2重唱から、「でも私たちの愛は、その名もトリスタンとイゾルデというのではありません?」とイゾルデが問う場面、および同幕切れでトリスタンがイゾルデを自らの国(死の国を意味する)に誘う個所からの数小節が演奏される。陶酔的な音楽だ。

 6『ヴェーゼンドンク歌曲集』より『悩み』(⇒歌詞③)
  「夕べに沈み行き、朝には目覚める太陽に対比させ、自らの愛の悩みを語る。苦しみの後に喜びが訪れるなら、わが苦しみも感謝になる」と歌われる。愁いを含んだ音楽はもちろん『トリスタン』の雰囲気だが、昂揚個所は『ワルキューレ』第1幕にも近い。

 7『トリスタンとイゾルデ』より(オーケストラのみ)
  「第3幕への前奏曲」から演奏される。中心モティーフは「愛の憧憬の動機」(「トリスタン和音」を含む)。イゾルデを失ない、重傷を負って床に臥すトリスタンの悲痛な心がそのまま写し出される。

 8『ヴェーゼンドンク歌曲集』より『止まれ』(⇒歌詞④)
  目まぐるしく移り行く世界に悩み、「せめて一瞬なりとも止まって私を憩わせてほしい」と歌う。苛立たしい気分に満ちた曲。半音階的な音楽は『トリスタン』そのものだ。

 9『ヴェーゼンドンク歌曲集』より『温室にて』(⇒歌詞⑤)
  前出の「第3幕への前奏曲」がそのまま再現。後半はとめどない悲痛な憧れの感情に移る。温室の植物に例えて、結ばれぬ恋の苦しみが歌われる。

10『トリスタンとイゾルデ』より(オーケストラのみ)
  第3幕、死の床に臥すトリスタンのもとにイゾルデがかけつけ、「イゾルデが来たのよ、トリスタンと一緒に死ぬために来たのよ」と叫ぶ場面の音楽。-だが、すでにトリスタンは息絶えていた。

11『トリスタンとイゾルデ』より『愛の死』(⇒歌詞⑥)
  全曲の最後を飾る愛の陶酔の歌音楽。イゾルデがトリスタンの亡骸にすがり、幻想の中に彼の吐息を感じ、彼の声を聞き、その陶酔の大波の中に、恍惚のうちに、溺れ、沈んで行く喜びを歌う。これまで何度も繰り返されて来た「愛の憧憬の動機」が、全曲の最後で初めてロ長調の和音に解決する-2人の恋人が死して結ばれたことを表すように。

○後日譚

 『ヴェーゼンドンク歌曲集』5曲の初演は62年夏にラウベンハイムで行われたが、この時にピアノを弾いたのは、大指揮者ハンス・フォン・ビューローだった。一方『トリスタンとイゾルデ』は、ミュンヘン王室宮廷劇場で1865年6月10日に初演され、大成功を収めたが、この指揮を執ったのもビューローだった。
 だが、この時すでにワーグナーは、ハンスの妻コージマと秘かに熱烈な恋に落ちていたのであった。これは当時ミュンヘンを揺るがす大スキャンダルとなったが、結局2人は70年8月に正式に結婚する。またワーグナーはのちに、ジュディト・ゴーディエという美しい才女と恋に落ちたが、これはコージマが断固として介入し、はねのけた。-かようにワーグナーは、生涯にわたって、多情多感な音楽家だったのである。

マルトゥッチ:
交響曲 第1番 ニ短調 作品75


 前項『トリスタンとイゾルデ』は、徐々に欧米各国でも上演されていったが、そのイタリア初演(1888年6月2日)をボローニャで指揮して行なったのが、ほかならぬこのジュゼッペ・マルトゥッチ(1856~1909)である。
 彼は、若い頃にはピアニストとして名声を博し、80年ナポリ音楽院ピアノ科教授に就任したが、翌年には指揮活動に転向してしまう。83年にはワーグナー追悼演奏会を指揮したが、この頃からすでに彼のワーグナーへの傾倒は始まっていたのであろう。そして86~92年にはボローニャ音楽学校の校長を務める一方、前述の『トリスタン』のイタリア初演を手がけたほか、ブラームスや英国の作品などを盛んに指揮したりした。なお1902年にはナポリ音楽院長に就任、生涯をその地で閉じる。
 マルトゥッチは、作曲面でも少なからぬ数の作品を残しているが、イタリアの作曲家には珍しく、オペラには全く手を染めていない。『サムエル』というオラトリオは書いているものの、ほとんどが器楽作品と歌曲ばかりである。交響曲は2曲あり、特に『第2交響曲』(1904年完成)は「非オペラ的イタリア音楽復興の出発点」(マリピエロ)と評されたものであった。今夜演奏される『第1交響曲』(1888~95年作曲、95年ライプツィヒで初演)も,気魄と抒情美にあふれて、すこぶる魅力的な特徴を持った作品である。
 マルトゥッチの作品には、ブラームスの影響が強く表れていると言われることが多い。だがマルトゥッチを高く評価し、また人間的にも尊敬していたという大指揮者トスカニーニは、そんな風評をものともせず、ことあるごとに彼の作品をプログラムに乗せていた。「ブラームスに似ていないでしょうか、先生?」とNBCのスタッフが恐る恐る尋ねても、「いいや、ちっとも」と気にも留めなかったという。とはいってもこの『第1番』第3楽章には、ブラームスの『第2交響曲』第3楽章へのオマージュが聞こえるのも事実であろう。

 

(C)東条 碩夫 (音楽評論)(無断転載を禁ずる)

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