大阪交響楽団 2013年度 定期演奏会 曲目解説

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2013年度 定期演奏会 曲目解説

 
 
第184回 定期演奏会   3月18日(火)
児玉 宏
福間 洸太朗 

≪魅力再発見・ピアノ協奏曲③≫

2014年3月18日(火)19時00分開演 

 

ヘルマン・ゲッツ

ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 作品18 

 

 大器晩成型の作曲家というのは、西洋音楽史上何人か見受けられる。代表として挙げられるのはフランクのような、比較的渋い作曲家である。ブラームスやブルックナー、あるいはヤナーチェクなども大器晩成型と言えるかも知れない。しかしながら、彼らは長生きとまではいかぬとも、60代、70代までは生き抜いた。もし大器晩成の資質を持った作曲家が早死にしたとするとどうなるのだろう?

 ヘルマン・ゲッツという作曲家は、その典型的な例となっている(もっとも、結果的に晩年が、ふつうだったらまだこれからという30代なのだが)。1840年、かつては東プロイセンの中心で、哲学者イマヌエル・カントも住んでいたドイツはバルト海沿いの都市ケーニヒスベルク(7つの橋の一筆書き問題で有名。第二次世界大戦後はソ連に占領され、現在ロシア領のカリーニングラード)で生まれ、187636歳の誕生日の直前にスイスのチューリヒで亡くなっている。

 享年35と言えばモーツァルトと同じだ。また、ゲッツが手本のひとつとしたメンデルスゾーンは37歳で亡くなっている。しかし、どちらも早熟の才能であった。それゆえ残された作品も多いし、自身が名演奏家でもあった彼らは、生前から自作をデモンストレーションすることが可能であった。シューベルトの享年31というのは、さらに短い生涯であったが、歌曲は仲間内でたくさん歌われた。しかしながら、その晩年の大作である交響曲が認められるのは死後になってからだ。

 ゲッツの生涯は、こうした作曲家たちと比べてもはるかに地味だった。ケーニヒスベルクのあと、ベルリンのシュテルン音楽院(現在のベルリン芸術大学の前身のひとつ)で指揮法やスコア・リーディングを学びながら、ハンス・フォン・ビューロウにも就いていた彼は、同時にオルガニストとしての訓練も受ける。その後、彼の中心的なキャリアになっているのは、ベルリンでのアマチュア合唱指揮者としての職と、スイスのヴィンタートゥールでのオルガニストの職であり、そのほかにはピアノの個人レッスンなどが糧を得る術となっている。

 1860年代後半に発病し、不治の病として確認されていた結核が、ゲッツの公的な活動を制限してしまったことは否めない。住まいをチューリヒ、ホッティンゲンと移った際にも維持されていたヴィンタートゥールでのオルガニストとしての職も、1872年に断念する。けれども、ゲッツの本領である作曲の分野で代表作が書かれるのは、まさにこの時期であった。ブラームスに献呈されたピアノ四重奏曲が1867年、1曲だけ残された交響曲であるヘ長調の作品(もう1作のホ短調の作品は、没後に未亡人によって破棄されている)が1873年、そして洗練を極めたピアノ作品がいくつかこの時期に書かれている。

 しかしながら、ゲッツの名を後世に伝えたのは、シェイクスピアに基づいた喜歌劇《じゃじゃ馬ならし》(1868)であろう。この作品は1874年にマンハイムで初演されているが、同じシェイクスピアの原作によるニコライの《ウィンザーの陽気な女房たち》(1849年初演)と並んで、19世紀のドイツ語圏における代表的なコミック・オペラのひとつとなっていた。初演から2年以内に14の歌劇場でかかっており、1880年代までにはロンドンやニューヨークでもかかっている。出版譜も英語版、フランス語版ができており、その人気のほどがうかがわれよう。その後も、ヴァインガルトナー、フェリックス・モットル、マーラーがこの作品を振った記録があり、まさにゲッツの名はこの1作によって後世に伝えられたと言ってもよい。

 でも、それ以外の分野での作品を、同時代の価値観が後世に伝えることはできなかった。ベルリンでの学習時代に、最初のピアノ協奏曲変ホ長調が書かれており、単一楽章のこの作品はフォン・ビューロウの眼に留まっていて、さらに本日演奏される変ロ長調のピアノ協奏曲(1867年という、まさにゲッツの最盛期に書かれている)も、同じくフォン・ビューロウによって評価されたが、ともにいわゆるヴィルトゥオーゾ・タイプの作品ではない。ピアニストとしても活動していたゲッツのあり方は、リストやタールベルクなどが割拠するような19世紀のヴィルトゥオーゾ時代には、燦然たる光の当たるような居場所を見出し得なかったし、逆にショパンのような貴人や他分野の才人たちが集うサロン空間もゲッツには縁遠かった。

 それゆえ、マンハイムでの《じゃじゃ馬ならし》の初演者であった指揮者のエルンスト・フランク(交響曲の献呈者でもある)が、未完成に終わった2作目のオペラ《フランチェスカ・ダ・リミニ》を補作し、他の作品の出版に努力したとしても、早世したゲッツの作品が、それ以上歴史に名を留めることは、きわめて難しい状況にあったと言えるだろう。

 

 ピアノ協奏曲は3つの楽章から構成されており、ショパンやリストのような技巧ではなく、むしろメンデルスゾーン風の急速な運動性やオクターヴ平行によって強調された強い旋律性と和声感がソロ・パートには顕著である。

 

1楽章「中庸に動いて」変ロ長調 4分の4拍子。ホルンのファンファーレに続いてピアノが華麗に登場するが、これがソナタ形式の第1主題をなし、そのリズムと音型はこの楽章を通じて頻繁に用いられている。しばらくこの主題でオーケストラとの掛け合いが行われるが、そのあとカデンツァ風のソロになったところで優美な第2主題が現れる。ふたつの主題がその後も交互に現れるので、展開部から再現部への移行は明確ではないが、第1楽章はそのまま中断せずに第2楽章に続く。

 

2楽章「中庸にゆっくりと」変ホ長調 8分の9拍子。主題を構成する3度下行による短い序奏のあと、ソロに現れるのが主要主題で、この楽章は中間部を含む3部形式。中間部は弱音の弦の揺れるような音型の上に、ソロが装飾的な動きを重ねていくもの。

 

3楽章「ゆっくりと~活き活きと」変ロ短調~変ロ長調 4分の4拍子~8分の6拍子。メランコリックなソロで始まる序奏は、すぐにテンポを上げ、快活な8分の6拍子、変ロ長調のロンド主部へと移っていく。ヴァイオリンに現れるクプレの主題は2拍子系に変わっているが、これらのふたつの主題は楽章の最後の方で絡み合わされる。そして一瞬「ゆっくりと」した4拍子の新たな主題が現れたかと思うと、曲は最初のロンドにもどり、この華麗な楽章は軽やかな余韻を残しながら終結する。

 

 

ヨハネス・ブラームス

交響曲 第4番 ホ短調 作品98

 

 

 ヨハネス・ブラームス(1833-97)が交響曲というジャンルで作品を発表したのは43歳のとき。もちろん、それ以前にも多くの名作を完成させていたこの作曲家が大器晩成であるかどうかは議論の余地があろう。なにも交響曲を書くことだけが偉いわけではない。しかしながら、ブラームスが交響曲の創作に苦労したというのは、彼自身がバロック音楽から19世紀の彼に到るまでの音楽の歴史を知悉していたからであり、このジャンルを創作することの当時の意義を十全に理解することと、崇拝するベートーヴェンの創作を前にたじろぐという歴史感覚は、ブラームス以前にはあり得なかった。メンデルスゾーンもシューマンも、そうした悩みの上に創作を行うという時代には生きてはいなかったのである。書いた作品はその後も、そして死後もずっと残って演奏され続けていくという、演奏中心の市民的音楽社会の誕生は、筆の運びをそれまでの作曲家たち以上に重くさせた。 

 しかしながら、第1番を完成させてからのブラームスの筆はさほど遅いとは言えない。翌年には第2番、その6年後ではあるが、第3番、第4番もあしかけ3年の間に立て続けに書かれている。

 1885年に完成された交響曲第4番は、第2楽章に教会旋法であるフリギア旋法のような響きが採り入れられ、また終楽章にはパッサカリア(シャコンヌ)という、バロック時代までさかんに用いられていた変奏手法を採り入れているので、当時としてはかなり大胆な先祖返り音楽であった。それゆえヴァーグナー崇拝者のフーゴー・ヴォルフなどは、批評でさんざんに貶めていたが、こうした過去の遺産なくしては、次の100年間のヨーロッパ音楽の歴史がなかったことは言うまでもない。フランスではナショナリズムの声の下に、ドイツに毒されていない中世やバロックの音楽手法が新しい作品にさかんに採り入れられて、音楽の懐を──ドイツ語圏とは異なった方法で──豊かにしていったわけだし、20世紀初頭、新古典主義の名の下にバッハをはじめとするバロック音楽が大きな手本となり、ストラヴィンスキーやシェーンベルクといった、一見対立するような作風の作曲家たちがこぞってバロック的な形式や構成を採り入れていった。「進歩主義者ブラームス」というシェーンベルクによる講演は、まさにブラームスの温故知新の創作哲学を顕彰するものであった。

 

 交響曲第4番の構成は次のようになっている。

 

1楽章「アレグロ・ノン・トロッポ」ホ短調 22拍子。嘆じるような下行と、希望のような上行が入れ替わる、まさにブラームス的にうじうじした、しかし魅力的な第1主題であるが、この主題とそれに反抗するような、決然とした第2主題からなるソナタ形式。

 

2楽章「アンダンテ・モデラート」ホ長調 8分の6拍子。「ミ」音を主音にするフリギア旋法的なホルンの主題で孤高に始まり、慰めのようなチェロによる第2主題を持つソナタ形式。

 

3楽章「アレグロ・ジョコーソ」ハ長調 4分の2拍子。2拍子系であるが、一種のスケルツォで、全奏による押し出しの強い主要主題と、滑稽で軽妙な中間部からなる。

 

4楽章「アレグロ・エネルジコ・エ・パッショナート」ホ短調 4分の3拍子。パッサカリアの形式に従って、8小節の主題がまず管で奏され、以後このバス主題の変奏として全曲が紡がれる。性格はまったく異なるが、変奏手法によるフィナーレとしては、〈エロイカ〉主題に基づくベートーヴェンの《英雄》交響曲に範をとるとも言えるだろう。 

 

 

                                     (C) 長木誠司(音楽評論家)(無断転載を禁じる)

 

 

 

 

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